2015年12月27日日曜日

2015年


2015年もそろそろ終わり。自分はなんせ近過去に弱く、それが今年のことだったのか去年のことだったのかというのが一番区別が付かず苦手なことなのだけど、今年はなんとなく記しておきたいなぁと思い、いろんな形でここにピン留めをしようと思う。

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・『モーターサイクルダイヤリーズ』のサントラ



言わずと知れたチェ・ゲバラの伝記映画『モーターサイクルダイヤリーズ』のサントラ。これはアルゼンチンのグスタボ・サンタオラージャというひとが手がけたヤツ。以前からとある本でこれはいい、というかこのひとが手がけた音楽はヤバい、というのを常々聞いていて、数年前にTSUTAYAのセールで見つけて買ったもの。そもそもアルゼンチンの音楽ってタンゴなんかのイメージがあるかもしれないけれど、それとは別にアルゼンチン音楽シーンというのがちゃんとあって、それが以前から大好きでお店でも販売しているくらい。アレハンドロ・フラノフとかね。

どんな音楽?と聞かれてもなかなか難しいんだけど、よく巷では「アルゼンチン音響系」と括られるように、全体的にかなり空間的な広がりを感じさせる音楽で、スピリチュアルなものも多い。それこそジャンル的にはフォークやらジャズやら民族音楽やらさまざまなものベースにしながらいろんなひとがいろんなものをやっているので、一度入るとなかなか抜けられないのが「アルゼンチン音楽道」というわけだ。そんな道のとっかかりになりやすいのが、このグスタボ・サンタオラージャというひとらしく。

それにしてもこのサントラは今年本当によく聴いた。今年のテーマアルバムのようだった。聴くのはいつも出勤の時が多かった。1曲目からだだっ広い南米大陸がバーンと広がるような、それこそギターがジャーンなオープニングなんだけど、でもとにかくせつなくて、とにかくなんだか暗い。そしてすべからく啓示的というか崇高的。車を運転しているでしょう。聴いていると思わず目を細めて視線を遠くに向けてしまうような(危ないって)崇高さ。吉本ばなな×三砂ちづるの対談本『女子の遺伝子』(この本もよく読み返した)



にも書いてあったけど、南米って生と死そのものの存在がかなり近いようで、その辺がスピリチュアルなトーンに繋がっているのかもしれない。

曲によっては酒場で踊るシーンのような、おちゃらけたものもあるんだけど、でもそれが逆にアルバム全体のトーンの暗さを助長させる感じ。それが逆に今年の自分には本当にピッタリだった。今年は自分自身、まさしく生と死が交差する年だったので、このサントラが自分のサントラにもなったのだと思う。今年コラボさせていただいた南阿蘇の『久永屋』の操さんにもお貸ししたら、とても喜んでいた。この音楽が南阿蘇のあの壮大な風景と溶け合う様はそれはそれは見事だろう。・・・まぁそんな音楽です。

・「HAIR STYLISTICS/DYNAMIC HATE」



なぜか今年最後買った音楽がこれ。というか、今日届いたんだけど。ヘア・スタイリスティックス a.k.a. 中原昌也の2013年のアルバム。いまこれを聴きながらこれを書いてるんだけど、これがくそカッチョ良い。「暴力温泉芸者=Violent Onsen Geisha」はノイズで知られていたけど、これはもう完全にヒップホップ。鎮座ドープネスも参加しているし(このトラックがまたヤバい)。というか、このジャケすんごく好き。「暴力温泉芸者」の頃、自分が大学生の頃から、この人のジャケは好きで気になっていたんだけど

 


その当時の女友達が「・・・趣味悪!!」と大声で言い放ったのを今でも忘れられない。でもこのアルバム、ほんとチープでドープなビートが正真正銘かっこいい。ネバネバとねちっこくて、ズブズブ奥に入っていく様が二日酔いの日にいい感じ。趣味悪が一週廻ってかっこいい世界に突入してる感じ。

それにしてもなぜにいまこのひとなのか。実はこのひとの映画評論の本とか、最近だと人生相談本(これがまた素晴らしい。これも今年よく読み返した)




を読んだのだけれど、なにかどうも気になって調べていたらこのアルバムにあたって、買ってしまった。やっぱり自分にとっては、ひとだとか音楽も映画も本も出会いに尽きる、と思っている。毎日毎日シャワーのように注がれる情報の渦から、どうしてそれをいまのいまチョイスするのかなんて説明もできないけど、そこには「分からなくていいなにか」があるはず。それは成るべくして成っているはず。ひとだって、きっとそうだ。このままもう一生会わないひともいるだろうけど、その一方で必然的に会うひともいる。それはもしかしたら、自分自身の日々の過ごし方、生き方にかかっているのかもしれないと今日の朝、ふと考えた。だからこそ俺は、自分なりに魅力的でいなければならないのだと。

それにしても、なぜにいま中原昌也なのか。自分の店もやればやるほどアンダーグランドな世界に行っている気がして仕方ない。自分では決してそんなつもりはないんだけど。ど真ん中とは言わないが、端の端ではない感じ。そういう意味ではいまの自分の位置をヘア・スタイリスティックス a.k.a. 中原昌也にシンクロさせているのかもしれない。・・・キケンですね。でもアンダーグラウンドでいながらポップな感じって目指すべき場所かもしれない。


・蕎麦屋「森山」が無くなったこと



行きつけの蕎麦屋が無くなってしまう悲しさというのは、もうその人しか分からない。それは歯痛なんかと同じことだ。本人じゃないとその痛さは分からない。「たかが食う場所がひとつ無くなっただけじゃねーか。また探せ」という言葉もあるだろうし、それはそうなんだろうけど、なによりあの空間が無くなってしまったのが大きいのだ。

僕はそれこそ大学時代からすべての友達やら恋人(なんて久々タイプしたけども)そして家族をもすべてこの店に連れて行ったので、それはもうある意味、店ではなくて学校が無くなってしまったかのような感じである。歴史がまるごと無くなってしまった、ような。今からあれに代わる場所を探せ言われても、それは無理な話。愛犬が死んだら、また別の愛犬を飼ってその穴を埋めるしか無いというけれど、少なくとも同じ穴は、無いのだから。

最近出会って飲むようになった若い仲間たちを連れていけなくなったのも痛い。そんな彼らも「もっとあの店に行きたかった、もっと知りたかった」と言っている。そんな店、ほかにあるのかなぁ。「いつまでも あると思うな 蕎麦屋と髪の毛」というフレーズがループ&ループする。


・詩(うた)



今年は年がら年中、ほとんどもうすぐ二歳になる子どもの詩(うた)と過ごした。毎週のように店でも面倒みたし、天草やらの取材にも二人で行ったし、毎日のように店でまかないを作っては一緒に食べたし、常に一緒だった。うちは同じ店で共働きだし、奥さんはマッサージの仕事をしているので、完全に手が塞がるから、どうしても僕が面倒を見る時間が増える。

そもそもはここまで面倒を見るつもりもあんまり無かったのだけど、あるときから逆に「俺みたいなヤツこそ、完全に面倒を見るべきなんじゃないか」と考えた。だって普通のサラリーマンであれば、そんなことはまず無理だ。朝の子どもの寝顔を見て会社に行き、帰って来てはまた寝顔を見て、ようやく休みの日に一日過ごす。たぶん、人によっては普段から面倒を見ていないので、世話だってなかなかうまくいかないだろうと想像する。おむつだって、ご飯を食べさせるのだって、お風呂に入るのだって、一緒に笑い合って遊ぶのだって、ご機嫌を取るのだって、二人でちょっとした旅に出るのだって、何気に時間を過ごすのだって、これすべて、難しい。いや、難しいという言葉は違うな。

一緒に居る時間があればあるだけ、それはよりクリアになっていくというか。たぶんこれは人間関係の基礎なのだと思う。そしてそれは、子どもの世話を真面目に向き合ってするということは、仕事や接客やあらゆる人間関係やら、あらゆるすべてのことに繋がるのでは、ということにだんだん気づく。行うことすべて自分に返ってくる、ということを、徐々に悟っていくこの過程。だからこそ、男として子どもと同じ時間をこんなにも共有できることを、自分はきっと祝福せねばならない。そう、自分はジョン・レノンの、吉本隆明の、伊丹十三の、渡辺俊美の、主夫のなかの主夫たる男たちの末裔なのです。