2017年12月13日水曜日

ダメな店とは

毎年恒例のごとく同じ展示会を繰り返しやっているお店について、「いつも同じことやって飽きないのかなぁ」とか「それでお客さん来るのかなぁ」とか、そんな失礼なことを思っていたような思っているような気がしないでもないが、でもそうしてうちも毎年のごとくこの『玉木新雌』展示会をやらせてもらっている。



でもこれだけは言っておきたいのだが、同じ展示会を繰り返しやっているからといって、それはお店や創り手が同じ場所にいるかといえば、それがそうではないのだ。優れた創り手は、優れた創り手であるからこそ、彼ら彼女らはつねに蠢いている。蠢きを止めたら彼らは創り手では無くなる。すくなくとも僕はそう思う。すくなくとも蠢いていない創り手はうちの店にはいない。







特にこの『玉木新雌』というブランドにおいてその蠢きは顕著だ。兵庫のファクトリーに伺うたんびに新たな蠢きに驚かされ、はっとする。特に今回はこの新作シャツ『ケスケス』に一目でロックオンした僕はすぐさま自ら試着して、すぐさま自分用に購入し、すぐさまその後ろに待ち並ぶ数人の喜ばしきお客さまの顔が浮かんでは仕入れ、そして実際に喜んでもらえては売れて、追加でまた注文した。といってうちの規模なのでたいした数ではないのだけれど、でもそれはたかが数の問題では決して無い。僕が創り手からなにかを受けてはそれが胸とこころを穿ち、それをお客様に僕なりのやり方で伝え、そしてそれが嬉しいことにきちんと伝わり、代金が支払われ作品がお客様の元に旅立つ。そしてきっと明日からまた新しい生活が始まる。・・・言って見ればそれが僕の仕事のすべて。でもそれはまったく簡単なことじゃない。見渡してもどうやらそれが本当の意味できちんとできているお店だって、そうそうは在るものじゃない。名の在るものをただただ売って喜んでも仕方ない。少なくともそれは自分の仕事ではないんだ。・・・といつも自分に言い聞かせる。











とまた果たして誰に向かって書いているのかよく分からぬ文になっているが、そしてもちろんこれは自分に向けて書かれているのだけど、それにしても今回のDMは素晴しい。カメラマンえとうくんの本領発揮である(ちなみに同日行われた『catejina』のルックもヤバかった)。撮影が展示会初日の数日前に行われたという、もはや完全にスケジュール失敗なダメな店の典型であるのだが、ダメな店はダメな店なりの意地と希望があり、僕らはそれに向かって今日も来年も突き進むのだろう。といってもダメな店の定義なんてものは誰それでそれぞれであるはずで、僕にとって本当の意味でダメな店と言うのはDMが遅い店なのでは無くって、なによりDMがダサい店に他ならない。ダサいと言うことは、つまりはそこに己の想いが籠ってないということ。それに尽きる。ロックバンドとDMは格好がすべて。DMはその店の顔であり、その街を映し出す景色のひとつだ。たぶんその考えはずっと変わらない。たかがDMごときにそうそうアツくなるなよ、おっさん。てなものだろうが、でもそれはやっぱりどうも違うようで、今回もこのDMが響いたうえでこの店に来ていただいた方がすでにいらして、それはそれは嬉しい。だって、それはすでにしてこちらの想いが伝わっていることに他ならないのだろうから。それは例えば音楽においてのジャケ買いのようなものなのではないか。


・・・つってもまぁこれまたなにがダサくてなにがダサく無いかなんてそれこそひとさまそれぞれであるからして、要は僕やきみがかっこいいと思うことを貫けばいいだけなのだ。きっと。ということで『玉木新雌』展示会はクリスマスの25日まで続きます。

2017年12月1日金曜日

『catejina』との出会い



そもそも『catejina(カテジナ)』という洋服ブランド、そしてきんちゃんこと、告鍬陽介くんに出会ったのはいつの頃だったろうか。僕がまだ前の編集の仕事を辞めて、離婚もして、なにか人生の路頭と陶酔に迷い込んでいる頃だったような気がする。アルコールとセックスとセンチメンタルの霧が、色濃く深く、真っ黒で真っ白な霧の最中に居たあの頃。あの頃はあの頃で愉しかった。そしてやっぱりせつなかった。

そんなとある日、トウキョウに住む、大学時代からの悪友ともいえる女友達からとある連絡があった。「熊本出身の洋服の創り手で、とても面白い子がいるから会ってあげてほしいのだ」と。できれば熊本で洋服の取り引き先も探しているから紹介してあげてほしいのだと。果たして創っているのがどんな服で、創っているのがどんなヤツか、なんてまったく聞いていない。その状態のまんま、僕らは熊本駅で僕がその頃に乗っていた古いジムニーで「はじめまして」と出会った。なんでそんなことが起きたのかと言えば。というか、なんでそんな出会ったこともない人間とそんな流れになったのかといえば、もちろん僕がその頃暇だったからに他ならない。・・・のだが、そうはいっても僕だって見知らぬひとにそんな風に普通は会いはしない。それはなんといっても彼を紹介してくれた悪友の女友達のお陰である。昔っから彼女のセンスは、なんにしても間違いが無かった。「まぁ彼女が言うんだったら」。それが一番大きかった。あのウソみたいな90年代をともに同じ大学で送り、数えきれない程の酒を呑んでは呑まれ、本当にお互いいろんなことがあった悪友だけれど、最終的に僕らはまだ奇しくも悪友同士で、まだともに生きている(そして今ではお互い子どもが居る。なんと、お互いに子どもが!)。なんにしても僕らを繋げたのが彼女だったということは、僕にとっては本当に大きいことだった。だからこそ出会うべくして出会った、と言えるだろうから。





その頃『catejina』は自ら描いたイラストを全面に押し出した総柄のシャツなんかを創っていた。すごくパンチとフックのあるテイストで、アートでグラフィックっぽいといえばそうもいえるし、いやいやゲーマーでオタクといえばそうだし、なんだかジャンクっぽいといえばそうもいえた気がする。そしてその頃からなんだかやっていることが分かるような分からぬような、分かるひとには分かるような分からぬような、でも結局のところ他にはこんな服まずもってないよなぁ、創っているヤツの頭の中はどうなってんだろう?という感じであった。友人の店を数店舗紹介しがらともに出向き、創り手のきんちゃんはほとんど旅芸人のごとく大荷物の中から洋服のサンプルを出しては見せ、出しては見せ、そこで出会ったひとびとのいろんな意見を聞いたりして頷いたりしていた。それはすぐには結果に繋がらなかったけれど、それも今となっては良い想い出だ。いま考えてみると、そんな出会いはそれから5、6年後である現在の布石に違いなかったのだ。

僕が店を出してからも、きんちゃんはトウキョウからこっちに帰省しては、いつも必ず店に顔を出してくれた。来るたんびにそのときどきでやっていた展示会を見に寄ってくれては褒めてくれた。僕にとってはじつはそれはとても大きなことだった。もちろん僕だって自分で間違いないと思ってやっているのだけど、なかなか鳴かず飛ばずで(それは今もだけど)やっぱりこれってどうなんだろう、正しいのかな、ダメなことやってるのかな、と自信が無くなることもある。といって僕は熊本に向けてなにかをやっている意識はほぼ無いので、トウキョウに住むいちクリエイターの意見はとても貴重だったのである。そんななか、どうやら今年そのきんちゃんが熊本に帰ってくると聞いた日には、本気で嬉しかった。ああ、これで自分周辺のなにかが変わる、と喜んだものだった。こういう風に周囲の温度を少しばかり上げる男というのは、実はいそうでなかなかにいないものなのだ。



それでなくともきんちゃんとは本当に食の趣味が合う。お互い長い間トウキョウで過ごして来ているし、好きな感じの店とか食の話を始めると延々と終わらない。彼はトウキョウに居た頃、なぜか燻製ユニットなるものを組んで、燻製を作っていた謎のキャリアもある。いつか夢のサワー屋をやりたいというウソだかホントだか分からぬ希望もある。真面目な話とにかく今の時代、自分の創りたい作品なんかだけではなくって、その一方で食に対する探究心がある男が居るのはとても重要で大事なことだと思う。なにかをやる時に、食の関心があるかないかはそのひとを見極めるのにとても重要なファクターだと思う。





出会った頃からすると、『catejina』というブランドも遥かに違う場所に進んで行っている気がする。僕が最初に出会った頃の『catejina』はあくまでまだその一面的な要素に過ぎなかった。実は告鍬陽介というクリエーターの奥底は、そんなものじゃなかったのである。描く、というのはあくまでラーメン好きな彼の一麺、じゃなかった、一面に過ぎない。一表現方法でしかない。自らが持つ小さな織り機を使ってチクチク織ってはそれを素材として使って洋服を仕上げる。もしくは自分の感にビンビン来るヤバい古着をゲラゲラ笑いながら堀りに掘って探し見つけてはそれをリメイクして洋服を創る。そしてまた自ら描いてはそれを素材にして服にする。こう書くとやり方はバラバラだけど、実はそれはすべて繋がっている。・・・少なくとも彼の頭のなかでは。他の人間では理解出来ない、その世界の終わりと未知なるワンダーランドの中に置いては。そしてその根底にはヒップホップの精神が流れている。まだ見ぬ世界へのアゲアゲで貪欲な憧れ、いつだかへの過去に対する絶え間ないリスペクト、表現方法としてのカット&ペースト、サンプリング文化への目配せ感、イン&アウト、天国と地獄の絶対的な見極め、そしてとどのつまりはカルチャーへの絶対的な服従と信頼と貢献。そう、「文化が街を作る」、といい放ったあの賢者への絶え間ないリスペクト。ある光。僕が自分の店でこのブランドを、この友人がやっているブランドを、ちゃんと展示会で紹介しようと思ったのは、いつからかそんなすべてを僕なりに受け止めたからだった。ちょっとわけがわからないが、わけがわからないなりにこのブランドはひとに届く、それも大切なのは「世代に関係なく」これは届く。と深く思ったからだった。そこだけはきっちりここに書いておきたい。



・・・でも伝わらないよな。うん、きっと伝わらぬ、伝え切れてないだろう。このブランドのなにかとそのすべてを。まぁとにかく伝えるのが難しいブランドなのだ、この『catejina』は。なかなか「~みたいなブランド」と言うのも難しいし、いまの洋服の世界の主流とも言えない気がする。でもそれだけにどこにも無い洋服なのは確かであって、一度出会ってしまうとなかなか抜けれぬブランドなのです。というわけで『catejina』の展示会は今週いっぱい12月3日までです。



2017年11月18日土曜日

とあるノスタルジア

先日、天草でのイベント出展において、個人的にいちばん驚いた瞬間と言うかグッと来てしまった瞬間というのがあって、正直この辺の話、つまりはカルチャーめいた話はあまり人気が無いので、あらかじめ釘を打っておきますが。

初日前の搬入日に事が終わり、友人の車に乗せてもらいご飯を食べにいく車中であった。カーステなんて懐かしい呼び名からとある音楽が聴こえてきて、僕はその音楽を、とても大切に思える音を、明らかに聴いた事があるような気がしたものだが、なにせ搬入やらなにやらで皆疲れに疲れ、とてもじゃないけどそれを言い出す感じでもなかったから、何事も無くやり過ごした。

次の日、またその車に乗った時、やっぱり明らかにあの音だと感じたので、僕は友人にいった。「・・・これ、もしかして岡田拓郎?」と。そう、その車中でかかっていた音楽は岡田拓郎の『ノスタルジア』というアルバムだった。友人とは陶芸家の金澤宏紀くんだったのだが。



まぁこんな知らないかもしれない固有名詞が出て来ただけで、ほら、もう何十人がこれを読むのを止めてしまうんだろうけど、別にそれは誰のせいでもないのだろうけど、僕にとってはすごく大切なことだから、続けて書き続ける。岡田拓郎というのはもう無くなってしまった「森は生きている」のメンバーで、僕はそのバンドのことが、たった2枚しかアルバムを出さないで風のように散ってしまったバンドがその音が、とても好きだったのだけれど、その主要メンバーであるひとが最近アルバムを出したんですね。もちろん僕はそれをすぐさま手に入れるつもりだったのだけど、どう考えてもその後にレコード盤で出る気がしていたから買うのを迷って主にスポティファイで聴いていた。というかそんなことはどうでも良くって、そもそもこのひとの音楽のことをどこかで話せる気がまったく僕はしていなかったんです。少なくともこの熊本という地で。


なんかというか、もうそこにこそ、この地の、とある地方の、カルチャー飢餓としての現実があるというか、もちろん広くて狭い熊本だからそんなことは無くってどこかの誰かとそれについて語れるのだろうが、こっちで勝手に狭くしてしまう。そして現実的にいってもこのご時世、なかなか狭い音楽については誰かと語れないですよ。悲しいかな。でもそれがとても近い友人と本当に偶然話せたのがこれくらい嬉しいものだとは。最前線の創り手、クリエイターはやはり違うものだなぁ、と勝手に偉そうに感心してしまった。そういえば、その前に彼の奥さんである木ユウコさんのお手伝いにおうちに伺ったら、これまた大好きなソランジュのレコードがあって、そのときはそこに居合わせた僕と僕の奥さんが嬉しくて驚愕したんだった。そのアルバムはふたりとも大好きな一枚だったから。それは木さんが好きで、と話していた気がする。いずれにしても良い話だ。というかなんだか贅沢な話だ。・・・ん?そうは思いませんか。



もしこの辺の話を読んでただの自慢話にしか聞こえたり、まったくもってピンと来ないひとは、例えばあなたが好きなお店、それが洋服屋でも雑貨屋でもインテリア系の店でも飲食店でも、そこに行ってみて、そこでかかっている音楽を一度気にしてみたらいいと思う。果たしてこのとある地方でのとある店で、この2017年の日本の音楽のなかで、後々考えても必ずや聴かれるべき一枚、でもどうにも見過ごされそうな素晴しき一枚が、ひっそりとでもかかっているところが果たしていくつあるだろう?たぶん僕は無いと推測する。あるとしたら、うちともう一店舗くらいだろう。そんなある意味、気違いめいた店は。いろんなお店のいろんな立場と意見があってしかるべきだと思うけども、僕にとってはそこはとても大切な問題だ。なぜってすべては繋がっていると思うから。創り手やお店の人間が果たしていま何を聴いて何を観て何をいいと感じているのか。何に歓喜し何をファックと思うのか。ある意味、それってすべてじゃないのかな。突き動かされしものはなんですか? みたいな。・・・まぁとにかくそんなアルバムがとある車中でかかっていたんだから、そりゃ僕としては小躍りするってものだ。

そんでまたこういうことを書くと、また自分が感じ悪い系というか知ってりゃいいのかバカというか、なんでそんな偉そうなんだよスノッブタコとか、そもそもなんで先輩はそーいう所でいつも上からなんですかそーいうところはっきり言って大嫌いですとか(経験談)、いろいろ言われるのだろうけど、うーん、でもたぶんそもそもカルチャーってそういうものだと思う。好きなひとはほっておいてもわざわざ自分のお金と時間を割いて新しいもの、自分がピンときてハッとするものを追い求める。そこにおいては例え出会いがどうだとしても、あくまで受動的ではなく、自動的にそれを選ぶ、というのが最も大切だと思う。たぶんそこで彼、彼女らは横から誰がなんといおうとそれを手に入れるだろう。例えソランジュのレコードを買おうとレジに持っていこうとしていたら、横からおせっかいな店員が来て「・・・お客さん、それ買うんでしたら私はお姉さんのビヨンセのアルバムの方がいいと思いますよ。絶対そう思います」なんて茶々を入れられようが(そんなことあるわけないけど)きっと彼、彼女らは買うのだ。断じて買うに違いない。

考えてみるとうちのお店のお客様にはカルチャー女子というか、かつてのカルチャー女子というか、引き続きのカルチャー女性と言うか、つまり僕より少し年上で音楽とか映画とか本がとても好きな女性の方たちがよくいらして、彼女たちと話すのはとてもシアワセな事だといつも思う。彼女たちはもはやカルチャーという草木一本生えていないように思えるこの地で、くんくんくんとその独特な鼻を効かせてはこの満月ビル3Fまで辿り着き、また改めてカルチャーという甘くて刺激的な草木を貪っては懐かしんでいるようにも思える。そんな感じでそれについて僕と延々とお話しする。そりゃ僕だってプリファブ・スプラウトとかペイル・ファウンテンズとか『パリ、テキサス』の映画の事とか、そんな話を愉しくしながら、刻々と時間が過ぎていくのはたまらなく嬉しい。なんというか、少なくとも僕らの間には、とても豊かで濃かったカルチャーの時代を生きた証みたいなものがお互いにくっきりと在るのが分かる。そう、いま考えてみるとあの時はとても豊かだった。少なくともカルチャーにおいては。



といって今の時代がすべて薄いとも思わない。時代はすっかり変わっていまや配信の時代になり、果てしなくただでいろんな音楽が聴け、それを享受できる。それがとにかく豊かだとは少なくとも古い自分のような人間は思えないけれども、当たり前に今の時代は今の時代なりのカルチャーが存在して、それが一部では機能しているのも分かっている。その一部というのがどうもこころもとない、一つになり難い、今まで以上に狭い穴のような気もするけども。まぁとにかくそんなこんなだから、うちの店は取り引きする創り手の方もカルチャーめいた方々が自然に集まってくるような気がしてとても面白くて嬉しい。いやはや、産まれてこのかたどこへも繋がらない無駄な事ばかりにお金と時間を割いてて本当に良かったよな、と改めて思う所存であり、もし君が若くてそんな状態で困って迷っているのならば(たぶんそんな若いひといまいない気もするけど)果てしなくその道を進んだらきっと良いよ、と無責任にも思うわけでありますね。

2017年11月15日水曜日

動物嫌い




というわけで今年もやってきました、モロッコラグの展示会。今年で早くも三回目。昨年は『旅するボシャルウィット』とか言って天草に大量のラグを持って行きましたが、今回は大人しく満月ビル3Fで展開しております。お世話になるのはもちろん香川の『maroc』さん。今年もやはり間違いのないチョイス。

・・・いや、あなた、一言でチョイスなんて言葉を書き連ねますが、そうそう簡単なことではないんですよ。言って見れば『maroc』さんだってうちと同じように販売店、あくまで小売りであって、モロッコラグを創っているわけではないんですよね。ということはとどのつまりは何を選んで何を選ばないか、というか、きっと「何を選ばないか」の方が重要になるように思われます。だってそれこそモロッコラグなんて、現在とて現地に行けばお土産的なものから本当にたくさんあるはず。今でもラグは創られているだろうし。でもやはり日本と同様、手仕事なんてものの想いやその濃さは時代と共にどうにも徐々に薄れていくわけで、それは昔のひとの苦労にはかなわないでしょう。もちろん昔のものだからすべて良いかといわれるとそうでもないだろうけど、とにかくはそのなかから「これは間違いなく良い、わたしはかわゆいとおもう」と思うものをチョイスしなければならぬ。もしくはそういう価値や関係を分かり合える現地スタッフを捕まえなければならぬ。その苦労は簡単なものじゃないはず。



だからこそ、というべきか、悲しいかな「わたしがかわゆいとおもう」ラグは年々減り、『maroc』さんのお話だともう本当に無いらしい。リミットらしい。それを最近現地に行って痛感したのだそうだ。まぁ古いものを扱っている以上はそれはいつかは仕方のないことなのだろうけど、いつまでもそれが在るとどこかで気楽に信じきっていた自分が少し恥ずかしくも悲しい。だからやっぱりこれらのラグを某ニトリなんかのものとは決して一緒にしてはならぬ。それこそが命題だ。これはまったく別のモノなのだ。某ニトリが悪いとはまったく言わないけれども、ただただそれとは異なる、それだけひとの想いとひとの時間がかけられたものなのだ、ということを改めて僕らは知るべきだ。




・・・なんてまぁいつものように分けも分からず毒づいていますが、とにかく今年もかわゆいです。展示会が始まって、特に福岡からのお客様が多いことに本当に驚くばかり。







いつも『maroc』さんのサイトを見ていて、できれば実際のラグが観たいと熊本まで来られたそうだ。ある方においては昨年に引き続き来ていただき、2枚目をご購入の方もあったりとこれまた驚くばかり。他にも北九州に佐賀と本当に有り難し。・・・に比べると熊本からのお客様が少ない気がする。とある言説によればどうやら熊本のひとは外側にお金をかけて内側にかけることが少ないらしい。洋服の街だとか言われる、あのアヤシい都市伝説めいたこともそれに関係しているようで、例えば自分の外観に関することにはお金を落とすが、家に行くとその調度品の落差に驚く、とかなんとかいう話を聞いたことがある。だからこの地ではインテリア系の店が生き残って行くのが現実的に難しいのだとか。本当なのだろうか。現時点ではそれを裏付ける結果にもなっておりますが。






それはそうと今回のDMの撮影は大変だった。カメラマンのえとうくんと朝の4時出発で阿蘇の草千里まで行き、サクッと撮影しようしたものの、あまりの風の強さにどうにもならず、場所はもちろん良いのだけどなかなかイメージのものが撮れない。しかも当たり前に寒いし、冷たい。僕は完全に阿蘇を舐めていてしかも薄着であって、そもそもが風邪気味だった。しかもいたるところにお馬さんがいて、えとうくんが恐い恐いとシャッターがなかかか切れない。そうであった、えとうくんは基本、動物がダメで犬さんさえも苦手だった。















僕がくるまったり、いろんなところにかけてみたり、さまざまなことを試すがどうにもならぬ。ようやく最後の方で柵にかけてお馬さんをバックにオンしたものがなんとか形になった。終わってからふたりで食べた、温かくて優しい「ウエスト」のうどんのウマかったことウマかったこと。実はその日えとうくんも風邪気味で、我がうどんにウソのように、もはやスウプが見えなくなるくらいにネギをこんもりとインしていたのが忘れられない。こうやって日々はローリングストーンのように転がっていくのです。ということで、モロッコラグの展示会は今週日曜19日までです。












2017年11月12日日曜日

メイクドラマ





祭りの余韻、未だ覚めやらず。うん、そうだ。あれはたしかに祭りであった。ひとびとは器というものに酔いしれ、戸惑い、恋い焦がれては、家路についたのだろう。だからこそ僕も終始、大陶磁器展という祭りのさなかに身を置きながら終始、ひとと酒に酔っぱらい、なんだかふうわふうわしていた。だからこそ、それに終止符を打つこと、つまりは撤収もなかなかに大変だった。

それに僕は撤収時に仕入れも考えていた。せっかく器の祭典に参加させていただいたのだ。これはみなさま(お客様)にその甲斐と成果をお見せしなければ、日頃やっていることがウソになる。なので、金澤宏紀くんと木ユウコさんに無理を言って、撤収時にその場で泣きの仕入れをお願いする。でもその時、他の窯元の方々は当然凄まじい撤収の嵐で、祭りの喧噪も終わりを迎えようとしていた。そんな凄まじい喧噪のなかでひとつひとつ仕入れる作品を選ぶことの難しさ。いやはや、大変だった(でもちゃあんと新作仕入れましたよ)。



ようやく仕入れ選びを終え、自分のブースに戻り、そしてようやっと撤収の準備に取りかかる。もう周りは半分以上撤収を終えようとしていた。まぁ焦ることは無い。少しずつやって、ぼちぼち熊本に帰ればいい。・・・そうはいってもなんとなく焦る。それも祭りの作用のように思われる。展示していた什器の数も細かくて多いし、行きは奥さんに手伝ってもらいながら車のバンに積み込んだが、帰りはなんだかんだと荷物も増え、とにもかくにもなんだか心配だった。でも他のひとに台車なんぞを借りつつ、なんとかひとりで積み終えた。そのときの達成感といったらば大袈裟だけど、なかなかずしんとした心持ちはきっと他のひとには分かってくれないものがあると思う。それくらいこの祭りは自分にとって大きかったのだと思う。ひとつの地にここまで長い間泊まることもそうそう無いし、労力を使うこともあまり無い。もちろんそれは他の参加者、もっといえば作品を出されていたそれぞれの窯元さんたちももっともっと大きな安堵感があったんじゃないかと思う。この祭りのために長い間力を裂いて作品を創り続けたはずだから。まぁ兎に角、さよなら、天草。さよおなら、器の祭典。サヨナラ、愛すべきみんな。









・・・・・・と、挨拶をして帰ろうとしたら、無い。無い。ゲゲゲゲッ。カギが無い。車のカギがどれだけ探しても無いのだ。ポケットを探してもバッグのなかを探しても無い。無いものは無い。でも撤収をする前には確かにあった。もしかしたら撤収しているときにどこぞの荷物にカギが落ちたのでは…。でももうすでに車のバンに荷物はぎゅうぎゅうに詰め込まれている。しょうがなく、泣く想いで車の後ろのドアを開け、少しずつ荷物を降ろしてはカギを探してみるが、やはり無い。無いものは無い。そもそもどこの荷物に入り込んでいるかも分からないわけだから、もう一回最初から荷物を全部降ろしてカギを探さなきゃいけないのか。ま、まじか。どうすればいいんだ。もう外は夕闇を超えて、明らかに暗い。カギが見つからなかったら、このままここに車を置いて行かなきゃ行けないのかな。おれってなんでいつもこうなんだろう。焦りながらももはやどうにもならなくなって、ひとり泣きそうになる。というか、明らかに気持ちは折れてこころは全泣きだった。産まれてこの方のすべての我がトラウマがここに恐ろしく襲ってくる。あのときもああだった。このときもああだった。いくつになってもそうだった。いくつになっても我が影からは離れられない。いくつになってもこうやって途方に暮れることからは逃れられそうに無い。泣きそうになりながら、なぜか足が赴くままにふらふらと受付に行ってみたらば・・・なんとそこにカギがあった。落としたものを誰かが届けてくれたのだろう。もはや射精するほどの安堵感と高揚感。自らが偶然にも演出し描いたメイクドラマをくぐり抜けることの多大な苦痛さと疲れるほどの幸福感。すぐさま、想う。「・・・おれに似てしまった我が息子もこれから大変だろうな」と。

そもそもなんでこんなことを自分はここに書き付けているのだろう。家に帰ってからその一部始終を奥さんに話してみると笑いながら「最終的にそこで誰かのお陰でカギが見つかるのがあなた(でありわたし)よね」という。まぁそうだろうな。誰かの善意が無ければ自分は文字通りここにはいないだろう。それだけは確かなことだ。そしてすべての事は、悪い方に流れればもっともっと悪い方に向かっても良かったはずなのだ。なんだか根本的ダメ人間の結果オーライ讃歌のように聞こえなくもないが、まぁそれを引き受けるしかないのかもしれない。

でもそんな自分を引き受けながら、もういよいよ次の展示会は始まっておるのです。昨年もお世話になったモロッコラグの展示会。19日までですので、みなさまぜひお越しを。










2017年11月11日土曜日

文化が町を作る、とは

今回も昨年と同じように、天草に出向き、『天草大陶磁器展』の「アマクサローネ」に参加させていただいた。搬入日から含め実に五泊六日の旅。いやはや、なかなかにハードで楽しい旅であった。



昨年はモロッコラグの販売をしたけど、今年は友人でもあるきんちゃんの洋服ブランド『catejina』との出展で、洋服を始め、さまざまなうちの雑貨を販売させていただいた。まぁそんなに長い間、店を閉めて出展して果たして大丈夫なの?というのもあるのだけれど、今回はとにもかくにも我が友人を天草に連れて行きたかったし、とにもかくにももっと天草という地を知ってもらいたかった。それが必ずや長い目で見れば、今後良き面に左右するはず。つうか、そんなバディ的理由で事を進めていいのかと不安になるが、まぁいいんである。局面局面で己の意思で舵を切り続けるのが個人店の役目であり、強みなのだから。と強引に話を進める。



本会場のホールには地元天草の創り手を始め、実に110の窯元の出展者があり、その器うつわした広がりはなんとも圧巻であった。見ても見ても、うつわ、器、ウツワ、utuwa…。そこに過去最高の来場者数も相まって、ホールはなにやらとてつもないグルーヴを醸し出していた。110も創り手がいれば、もちろん自分的には絶対選ばないテイストの創り手もあるのだけど、いやいや確かにその点こそが大陶磁器展としての醍醐味であるかもしれなくて、果たしてどんなひとが足を運んでも何かしら引っかかる器が見つかるのかもしれぬなぁ、と小さき店の店主はおののくのであった。



・・・ただ、逆にいえば、だからこそうちのような小さな店主のエゴ&チョイス丸出しな店の役割も見えてくるというか、その点を確認できたのも大きかった気がしている。実際に会場にいらしたうちのとあるお客様もおっしゃってたけども、100を超えるあの圧倒的なラインのなかからたったひとつの器を選び抜くエネルギーというのはひととして確かにハンパないわけで。そこを小さな店のこの店主のあまりに偏った独自目線でしっかりと選んでは無闇巧みに編集し、そしてそこのあなたにどうにか紹介するのがなんとしても自分の役目なのだと。まぁいろんな独自目線が存在するのも大事だから、ひとそれぞれでいいけども、たまたまこの店の目線を共有できて、喜びを他の誰かと分かち合う、それだけがこの世の中を熱くする、といった感じになればいいよなぁと思ったりするわけで。

だから我の売り場をさぼっては器の渦のなかに没入し、「・・・ああ、なんだかんだいっても自分は器が好きなのだなぁ」とぼんやり思いながら会場をぐるぐる周ってさまざまな作品を観ては、あらためて自分の店がチョイスした作家たちの素晴しさを鑑みるという、よくわけのわからぬ自画自賛的作業を結構繰り返した。もちろん新しい出会いもあったけど。



それにしても驚いたのが、器が売れゆくパワーだった。それぞれのお客様たちの買い物かごにはそれこそ器がいっぱいいっぱい。モノが売れない売れないと嘆く売り手たちを他所に、この圧倒的に結集した創り手たちの作品はぼんぼこと旅だっていく。でもまあそれもこのとんでもない舞台あってのもの。こんなとんでもない舞台を用意する主催者の方々の苦労を思うと、んもうヤになってしまうくらいだけど、そこまでしないとここまでモノは動かないということなのだろうかしらん。

まぁそれはそれとして。今回の旅はどちらかというと本当に我が友人にこの地を知ってもらうためのものであって、もちろんそれは昨年のこのイベントに参加させてもらったことで自分がこの地を改めて知ったからに他ならなかった。しかもcatejianのきんちゃんとは本当にお互い時間があればあるだけ延々と食い物とか酒とかウマい店の話ができるという、食い吞みバディであって、そこに新たに天草という共通の体験ができるだけで、はたまたその話を肴に新しい酒が飲めるであろうという、終わること無いループ&ループな旅の始まりでもあるのかもしれなかった。もはや聖地と呼びたくなるくらいの「丸高」。いわんや、丸高に始まり丸高に終わる。そして、どう始まろうとも汝なぜか食道園に終わる。熊本市内ではもはや過ぎ去り消え去りし古き良き老舗のグルーヴが日夜僕らをキックする。












catejinaは今回のために「SHIRO AMAKUSA」ロングTを創ってくれて、かなり好評であった。新作のサッカーマフラースウェットもこれまたかなり手応え十分で、11月23日からまたキックするうちの展示会でも好評だろうと推測する。数字的にはとんでもなく良くもなかったけれど、まぁなんとか悪くはない感じだ。昨年はこの天草という地がなんとはいっても島である、ということを身を以て知った旅であった。であれば、今回の旅の意味とは(というか果たしてそんなものがあればの話だが)なんなのだろうと、特に最終日、ひとりになってぼんやりとしながらずうっと考え続けていた。



カルチャー。答えはたぶん、それだった。あたりまえにそれしか無かった。もちろん僕は友人にこの地をもっと知ってもらいたくて今回の旅に出向いたのだけど、それはもっといえばこの地にしっかりとしたカルチャーが存在するからに他ならないのだった。それは食べ物しかり。そして音楽しかり。例えば展示会中に入り口のところで地元ハイヤの踊りが催されていたのだが、これがまた素晴しく、市内から来たきんちゃんの友人のDJはあまりに感動してフル尺を聴き入ってしまったくらいだった。でもそれがどんなグループが演ずるハイヤであってもそうあるかといえばどうもそうでもなく、やはり歌う、弾く、踊るひとたちによってグルーヴというかそのネイティヴ具合にどうやら違いがあるようで、こちらのノリにもそれは確実に伝わってくるのである。ということは、つまりそれだけ奥が深いに違いなくて、地元のひとからすればそれはたわいもないことなのかもしれないが、でもそこには歴史に裏付けられた確かで豊かなカルチャーが存在するといっていいだろう。そしてそれはもちろん陶芸の世界とて同じであろうと思う。天草陶石をバックボーンにしながらこの地が産み出す作家、作品の数々はあまりに豊かで、なぜ未だに地元熊本でもその事実を知らない人間がいるのかと訝しがりたくなるくらいである。でもそれは渦中のひとびとにはなかなか分からない。ましていわんや豊かさのなかにいるひとたちにはますますそのことは分かりっこ無い。そういう意味ではこの地は本当に豊かであると思う。そのことを体現した僕らにできることとは果たしていったいなんなのだろう。そんなことをぼんやりと考えている。・・・とある賢者は言った。「人びとの文化は、町を作る。そして都市を作る。」今回の旅でその言葉がこんなにも身に滲んだことをここに記しておく。