2015年12月27日日曜日

2015年


2015年もそろそろ終わり。自分はなんせ近過去に弱く、それが今年のことだったのか去年のことだったのかというのが一番区別が付かず苦手なことなのだけど、今年はなんとなく記しておきたいなぁと思い、いろんな形でここにピン留めをしようと思う。

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・『モーターサイクルダイヤリーズ』のサントラ



言わずと知れたチェ・ゲバラの伝記映画『モーターサイクルダイヤリーズ』のサントラ。これはアルゼンチンのグスタボ・サンタオラージャというひとが手がけたヤツ。以前からとある本でこれはいい、というかこのひとが手がけた音楽はヤバい、というのを常々聞いていて、数年前にTSUTAYAのセールで見つけて買ったもの。そもそもアルゼンチンの音楽ってタンゴなんかのイメージがあるかもしれないけれど、それとは別にアルゼンチン音楽シーンというのがちゃんとあって、それが以前から大好きでお店でも販売しているくらい。アレハンドロ・フラノフとかね。

どんな音楽?と聞かれてもなかなか難しいんだけど、よく巷では「アルゼンチン音響系」と括られるように、全体的にかなり空間的な広がりを感じさせる音楽で、スピリチュアルなものも多い。それこそジャンル的にはフォークやらジャズやら民族音楽やらさまざまなものベースにしながらいろんなひとがいろんなものをやっているので、一度入るとなかなか抜けられないのが「アルゼンチン音楽道」というわけだ。そんな道のとっかかりになりやすいのが、このグスタボ・サンタオラージャというひとらしく。

それにしてもこのサントラは今年本当によく聴いた。今年のテーマアルバムのようだった。聴くのはいつも出勤の時が多かった。1曲目からだだっ広い南米大陸がバーンと広がるような、それこそギターがジャーンなオープニングなんだけど、でもとにかくせつなくて、とにかくなんだか暗い。そしてすべからく啓示的というか崇高的。車を運転しているでしょう。聴いていると思わず目を細めて視線を遠くに向けてしまうような(危ないって)崇高さ。吉本ばなな×三砂ちづるの対談本『女子の遺伝子』(この本もよく読み返した)



にも書いてあったけど、南米って生と死そのものの存在がかなり近いようで、その辺がスピリチュアルなトーンに繋がっているのかもしれない。

曲によっては酒場で踊るシーンのような、おちゃらけたものもあるんだけど、でもそれが逆にアルバム全体のトーンの暗さを助長させる感じ。それが逆に今年の自分には本当にピッタリだった。今年は自分自身、まさしく生と死が交差する年だったので、このサントラが自分のサントラにもなったのだと思う。今年コラボさせていただいた南阿蘇の『久永屋』の操さんにもお貸ししたら、とても喜んでいた。この音楽が南阿蘇のあの壮大な風景と溶け合う様はそれはそれは見事だろう。・・・まぁそんな音楽です。

・「HAIR STYLISTICS/DYNAMIC HATE」



なぜか今年最後買った音楽がこれ。というか、今日届いたんだけど。ヘア・スタイリスティックス a.k.a. 中原昌也の2013年のアルバム。いまこれを聴きながらこれを書いてるんだけど、これがくそカッチョ良い。「暴力温泉芸者=Violent Onsen Geisha」はノイズで知られていたけど、これはもう完全にヒップホップ。鎮座ドープネスも参加しているし(このトラックがまたヤバい)。というか、このジャケすんごく好き。「暴力温泉芸者」の頃、自分が大学生の頃から、この人のジャケは好きで気になっていたんだけど

 


その当時の女友達が「・・・趣味悪!!」と大声で言い放ったのを今でも忘れられない。でもこのアルバム、ほんとチープでドープなビートが正真正銘かっこいい。ネバネバとねちっこくて、ズブズブ奥に入っていく様が二日酔いの日にいい感じ。趣味悪が一週廻ってかっこいい世界に突入してる感じ。

それにしてもなぜにいまこのひとなのか。実はこのひとの映画評論の本とか、最近だと人生相談本(これがまた素晴らしい。これも今年よく読み返した)




を読んだのだけれど、なにかどうも気になって調べていたらこのアルバムにあたって、買ってしまった。やっぱり自分にとっては、ひとだとか音楽も映画も本も出会いに尽きる、と思っている。毎日毎日シャワーのように注がれる情報の渦から、どうしてそれをいまのいまチョイスするのかなんて説明もできないけど、そこには「分からなくていいなにか」があるはず。それは成るべくして成っているはず。ひとだって、きっとそうだ。このままもう一生会わないひともいるだろうけど、その一方で必然的に会うひともいる。それはもしかしたら、自分自身の日々の過ごし方、生き方にかかっているのかもしれないと今日の朝、ふと考えた。だからこそ俺は、自分なりに魅力的でいなければならないのだと。

それにしても、なぜにいま中原昌也なのか。自分の店もやればやるほどアンダーグランドな世界に行っている気がして仕方ない。自分では決してそんなつもりはないんだけど。ど真ん中とは言わないが、端の端ではない感じ。そういう意味ではいまの自分の位置をヘア・スタイリスティックス a.k.a. 中原昌也にシンクロさせているのかもしれない。・・・キケンですね。でもアンダーグラウンドでいながらポップな感じって目指すべき場所かもしれない。


・蕎麦屋「森山」が無くなったこと



行きつけの蕎麦屋が無くなってしまう悲しさというのは、もうその人しか分からない。それは歯痛なんかと同じことだ。本人じゃないとその痛さは分からない。「たかが食う場所がひとつ無くなっただけじゃねーか。また探せ」という言葉もあるだろうし、それはそうなんだろうけど、なによりあの空間が無くなってしまったのが大きいのだ。

僕はそれこそ大学時代からすべての友達やら恋人(なんて久々タイプしたけども)そして家族をもすべてこの店に連れて行ったので、それはもうある意味、店ではなくて学校が無くなってしまったかのような感じである。歴史がまるごと無くなってしまった、ような。今からあれに代わる場所を探せ言われても、それは無理な話。愛犬が死んだら、また別の愛犬を飼ってその穴を埋めるしか無いというけれど、少なくとも同じ穴は、無いのだから。

最近出会って飲むようになった若い仲間たちを連れていけなくなったのも痛い。そんな彼らも「もっとあの店に行きたかった、もっと知りたかった」と言っている。そんな店、ほかにあるのかなぁ。「いつまでも あると思うな 蕎麦屋と髪の毛」というフレーズがループ&ループする。


・詩(うた)



今年は年がら年中、ほとんどもうすぐ二歳になる子どもの詩(うた)と過ごした。毎週のように店でも面倒みたし、天草やらの取材にも二人で行ったし、毎日のように店でまかないを作っては一緒に食べたし、常に一緒だった。うちは同じ店で共働きだし、奥さんはマッサージの仕事をしているので、完全に手が塞がるから、どうしても僕が面倒を見る時間が増える。

そもそもはここまで面倒を見るつもりもあんまり無かったのだけど、あるときから逆に「俺みたいなヤツこそ、完全に面倒を見るべきなんじゃないか」と考えた。だって普通のサラリーマンであれば、そんなことはまず無理だ。朝の子どもの寝顔を見て会社に行き、帰って来てはまた寝顔を見て、ようやく休みの日に一日過ごす。たぶん、人によっては普段から面倒を見ていないので、世話だってなかなかうまくいかないだろうと想像する。おむつだって、ご飯を食べさせるのだって、お風呂に入るのだって、一緒に笑い合って遊ぶのだって、ご機嫌を取るのだって、二人でちょっとした旅に出るのだって、何気に時間を過ごすのだって、これすべて、難しい。いや、難しいという言葉は違うな。

一緒に居る時間があればあるだけ、それはよりクリアになっていくというか。たぶんこれは人間関係の基礎なのだと思う。そしてそれは、子どもの世話を真面目に向き合ってするということは、仕事や接客やあらゆる人間関係やら、あらゆるすべてのことに繋がるのでは、ということにだんだん気づく。行うことすべて自分に返ってくる、ということを、徐々に悟っていくこの過程。だからこそ、男として子どもと同じ時間をこんなにも共有できることを、自分はきっと祝福せねばならない。そう、自分はジョン・レノンの、吉本隆明の、伊丹十三の、渡辺俊美の、主夫のなかの主夫たる男たちの末裔なのです。

2015年11月7日土曜日

久永屋

「そのひとの本質が知りたければ、そのひとの隣に居る“友”を見よ」と、昔のひとは言った。

・・・かどうかは知らないが、ひとの本質を知るにあながち間違った術ではないと思う。ほら、よくいるじゃないですか。本人はほんといいやつでみんなから好かれるのに、なぜかいつも連れてる彼女が「うーん」という男が。そこのセンスが合わないとどうも心底信用が・・・って、あれ? それちょっと違う話か。でもまぁとにかく、普段誰と一緒に居て、誰と仕事をして、誰と気が合い笑い合うのか、というのは、そのひとの本質を表すのに無関係ではないはずであり。ということで、今回のモロッコのラグ、ボシャルウィットの展示会でコラボレーションすることになった『久永屋』さんについて記そうと思うわけです。





知っている方も多いかもしれないけど、『久永屋』は熊本・南阿蘇鉄道の長陽駅にある駅舎カフェで、30半ばの久永操さんという方がやられている。カフェ自体は土、日、祝日のみやっており、他の通常の日は資本ケーキ(この店ではシフォンを資本と呼ぶ)をいろんなところで売り歩くという、「サルキ売り」という独特のスタイルを取っている。『久永屋』の印が天上にドデンと記された赤いミニ・クーパーで至る所に出没し(そんな看板背負って走ってたらば、どう考えても悪いことができないと思うんだけど)、保存料・添加物無しのフレッシュふわふわシフォン・・・じゃなかった資本を売り捌くという、かなりアグレッシヴで面白い販売方法だ。

そもそも僕がこの『久永屋』を知ったのは、前職の編集をやっていた時。『九州の食卓』という雑誌の編集をしていた僕は、入ったばかりの時の南阿蘇特集で『久永屋』のシフォンケーキを知り、紹介する記事を書いた。そして実際プラベートでも何回もこのカフェに行き、やがて店主である久永操さんと出会い、その後はたまたま別の仕事でなかなか濃密なインタビューをさせていただき、彼がこれまでやってきたことだとか、その考えだとか、その経緯なんかをしっかりと知るようになったのだった。





実際に行ってみると分かるけども、とにかくこの『久永屋』は本当に特別なカフェだ。それはなにも駅舎を使ったカフェというスタイルを取っているから、そのせいだけじゃない。例えば普通はやはり阿蘇でカフェをやるとなれば、観光客のお客さんが多いのが当たり前だろうが(そして実際多いんだけど)、この店に行くと大抵は地元のおじいさんなんかが普通に幸せそうにコーヒーを啜っている姿を見かける。地元の子どもたちは果てしなく元気にその辺を走り回り、夏ともなれば水遊びをし、地元の見るからに多感な若い子たちはウェイターとしてきびきびと、でも少し恥ずかしげに働いていたりもする。そんななかで観光客としてのお客様たちもとても幸福そうな笑顔を浮かべながら、資本ケーキを食べ、コーヒーなんかを飲んで寛いでいる。それが僕がいつも見てきた『久永屋』の風景だ。とにかく地元のお客さんと観光客のお客さんが見事に自然と溶け合っている感がハンパないのである。またその風景や雰囲気が、南阿蘇の穏やかで心休まる景色や、ユルくて思わず微笑んでしまうようなローカル列車の風情と相まって、他にはあり得ないほど濃密で親密な空気感を演出する。そんな風に、限りなく地元に密着しながらも常に外に開かれた感じ、その二者が見事に溶け合う様というのは、もちろん店主の根幹にある考えが産み出すものなんだろうと僕は勝手に推測する。たぶんそんな空間こそを、店主はこの店で描きたいのだろう、と。こう書くとなんだか簡単なようだけれど、じゃあそんな店が他にありますか、そんなことができている店がありますか、と問われたらば、なかなか見つからないのが本当のところなのではないだろうか。





店内は昭和二年建設されたという駅舎を「出来る限り遺したまま」作られている。それも操さんが自らこつこつこつこつ少しずつ改装したらしい。家具なんかも地元の小学校から譲り受けた古いものもあるそうだ。何よりこの「出来る限り遺したまま」というのがポイントであって、彼は昔アメリカに留学していたことがあるらしく、「かつてあった素晴らしいものを、できるだけありのまま後世に遺し託す」という、古き良きアメリカンスピリットみたいなものをしっかりと根底に潜め持っているようなのである。留学時に見たオレゴンの風景と南阿蘇の風景が被る、なんてことも言っていた気がする。まぁとにかく自分のことで言ってしまえば、もうすでに30後半だった編集時代、そろそろいつかはどうにか独立自律しなきゃなぁ、とぼんやり考えていたその時、彼のそんなこんなの話やら、素晴らしいカフェとその空間を創り上げたその若き資質にひどくオドロキ憧れたわけである。「いやはや、すげぇ漢がいるもんだよなぁ」と深く感心、シットしたのを覚えている。





だからまぁ、正直今回のコラボ企画の源泉はもうその頃からあったのかもしれない。僕は今回のモロッコのラグの展示会で、なんとか『久永屋』の資本ケーキを販売できさえすれば、それで良かった。そして『久永屋』の素晴らしさをみんなで共有したかった。知らない人にはぜひ知って欲しかった。でも彼はそれだけじゃなく、「モロッコといえば塩レモンの発祥地らしいから、オリジナル資本を作ろう」だとか、「南阿蘇にも是非モロッカンラグをはためかせたい」とか(駅舎カフェで今回のラグが実際に手に取れるように置いてある)、もっと大きなことを提案してくれた。そして、まぁ、出来上がったこの『久永屋特製モロッカン資本-塩レモン味-』のなんとウマいこと!! ふわふわ生地のなかにほんのり香るレモン、そしてたまに当るソルトのきりっとしたキック感。上妻画伯が手がけた、淡いタッチながらもしっかり旅風情を感じさせるオリジナルラベルも実に実にいい感じである。お客様はもちろん喜んでいるだろうけど、やっている自分が実は一番嬉しい。




いまの時期、熊本という大きいのか小さいのかよく分からないこの地でも、ほんとにまぁ驚くほどのいろんなイベントやらコラボレーションのようなものや、さまざまな試みが行われている。それ自体はまったくいいことなのだと思う。僕自身もまったくそこに異論はない。でも僕個人のこの店のことでいうと、そこにはできれば最低でも互いのリスペクトが欲しい。いったい誰と、どんな想いの下敷きがあって、何をやるのか。そこだけは明確にしたい。そしてそれは何もコラボレーション云々だけの話ではなくって、そのまんま、うちで取り扱う商品や展示会についての話でもあるんだと思う。ひとつの店の周辺を見れば、その店の本質が垣間みれる・・・というのは、真実でもあるかもしれないが、ある意味ちょっと恐いことでもあると想う。それはまぁとにかく。『久永屋特製モロッカン資本-塩レモン味-』は残り、7(土)、14(土)、15日(日)の販売予定です。ぜひお試しください。



久永屋
〒869-1404
熊本県 阿蘇郡 南阿蘇村 大字河陽3440-4 長陽駅舎内 久永屋
TEL (0967) 67-1107 FAX (0967) 67-1107
土曜、日曜、祭日のみ長陽駅舎内で駅舎カフェ営業中
OPEN 11AM ==> CLOSE 6PM
http://www.hisanagaya.com


2015年10月6日火曜日

二周年

そういえば、気がつけばお店が二周年を迎えていたようだ。たしか10月末くらいのオープンだったと記憶しているので(違ったっけ?)、木 ユウコさんの展示会をしていたときに無事、二周年を迎えたことになる。・・・といってもまぁ、なんかそこに深い想いがあるかというと別にあるわけでもなく、そういや二年の間に移転したかなぁくらいのことだろうか。



よく聞かれる質問に「移転をして何か変わりましたか?」というのがある。現在のお店の場所は街中といえば街中であり、以前は弱冠、郊外気味といえば郊外気味だった。とにかく前の店は一軒家、住み込みでやっていたから(二階で生活していた)その点も大きくて、いや、というかなんといっても前の店は場所がわかりにくかった。看板という看板さえ出していなかった(オープンスタジオのタローさんに彫ってもらった阿蘇の溶岩プレート看板のみ)。どれくらいわかりにくかったかというと、何度も何度も店の前を通れど見つけられずに結局は諦め、そしてなんと、こっちに移転をしてようやっと来れました、という方がいらっしゃるくらい。しかもそれがひとりではなく、数人いらっしゃるという。・・・これはもう店としてある意味おかしいと自分でもちょっと思う(移転後は最初から看板スペースがあったので、看板を付けた)。




でもいいわけをするわけではないけれど、自分が東京にいたころに好きだった店は大抵そんな風貌の店だった。なんというか、人にこちらから分かってもらう、というよりかは、気づくひとは気づく、という感じ。どんな店でも同じだろうけど、やっぱり店の風貌というか雰囲気というのは入る前からきちんとあるもので・・・いや、僕はあるべきだと考えていて、入る前から「これは合わなさそうだな」と感じたら別に店なんて入らなくてもいいのだと思う。でももちろんそこで、その日、突然に特別な気まぐれの風が吹いていて、「いつもだったらこんな感じの店には入らないけど、なんか今日は気が向いたから入ってみよう」というのは確実にあって。そして自分は何よりどちらかというとそういう「その日だけの心変わり」みたいなものがかなり好きで生きているニンゲンなので、どちらにしてもそのためには店側の風貌にある程度のそれぞれの態度みたいなものはあった方がいいと思うのです。

もちろん東京と地方の違いは格段に存在する。東京は人も多いからこそ、そんなやり方も成り立つんだ、という言い方はまったく正しいだろう。あるいは地方は大抵車文化なので、やっぱり遠くからでも分かる看板を掲げた方がいい、というのもまったく正しいと思う。でも東京でも地方でも、その店の風貌にピンと来るひと、気づくひと、というのは一定数は存在するのだ、とも思うわけで(そう思わないと店なんてとてもじゃないけどやっていけない)。そしてそれは実のところ、店主である僕自身の存在意義のようなものに直結してくるんじゃないかとも感じている。自分がその地でどこまで自分を開き、あるいは隠し、どこまでのひとたちと繋がることができるのか、が試されているというか。もちろんうちは雑貨店なので、その商品力が何よりでかいけれど、でもそれだって何を選んで何を選ばないかは自分次第だし、その打ち出し方も自分次第。どうやったって、どんなひとがやったとしても、店にはそのひとのなにかが滲み出てしまうはず。そこにどれだけのひとたちが魅力を持ってくれるか、がきっと勝負になってくる。



・・・なんてタンカ切って書いてはいるが、はっきりいって自信はない。だって自分を分かってくれるひとが世の中にどれだけいるのかなんて誰も想像もつかないでしょう。ピンとくるひとは一定数と言っても、その一定数が限りなく少なかったらどうすればいいんだろう。・・・やっぱりそんなひとたちは少ないのだろうか・・・いやいや、きちんとここにいるじゃないか、ほらほらちゃんとお客さん来てくれたよ。・・・うーん、やっぱり少ないなぁ、東京砂漠じゃないと無理なのかなぁ。とまぁ、もう来る日も来る日もその繰り返しである。うちは足つぼマッサージと併設になっているから、その辺大丈夫なんじゃ、と思っている方もいるかもしれないけど、結局はマッサージだってまったく一緒も一緒。しかもうちの奥さんもどちらかというと門戸を狭めて本質ありき、で行っているひとなので、お客さまに伝わっていくのも本当に少しずつ、一歩一歩。そのかわり伝わる方には腹からしっかりと伝わるらしく、リピートされる方もいらっしゃるようで、その点はとても嬉しいと感じているところなのだが。

・・・まぁ考えてみるとなんのことはない。どこの会社にいても同じことのような気がしてくる。以前勤めていたいくつかの会社でも自分を分かってくれるひとはいるのだろうかと常に考えていたし、ピンと来てくれるひと、来ないひと、それぞれだったように思う。自分は大抵、運良くピンと来るひとと出会い、一緒に仕事ができることが多かった。そして自分を分かってくれるであろう一定数のために、そういう人たちと一緒に、その時その時の仕事をこなしていたのではなかったか。結局その一定数というのは、マーケティングなんかで計れるものではなくて、己を信じながら少しずつ実感していくものなのかもしれない。そして諦めずめげずにやっていけばこそ、その一定数は少しずつ増えて行くことを願っているのだけど。・・・とここまで書いておいて、こうやって長々と自分の店のことについてとやかく書いていく店、なんてものを受け入れない一定数だってたくさんいるだろうなぁということに気づくのだった。


2015年9月27日日曜日

『Vespertine』について


展示会もいよいよ半ばだし、今回の木 ユウコさんの展示会『Vespertine』のタイトルについてやその成り行きなど、いわば蛇足を書こうと想う。いや、蛇足の蛇足は曲がり曲がって本道に戻ってくるのだろうけども。

『Vespertine(ヴェスパタイン)』といえば、音楽を好きなひとならピンと来るのがあのビョークのアルバム、のはずで。僕はこの内省的で暗いアルバムが本当に好きで好きで、昔からよく聴いているのだけど、そもそも音楽だけではなく、このジャケも忘れられないイメージがあって大好きだった。



僕はDMなんかの原案を考える時、どうも音楽からインスピレーションをいただくことが多くて、このビョークのジャケもいつかDMを作る時にオマージュできたらなぁと考えていたわけで。写真とイラストの融合という意味でも試してみたかったし、考えてみると木さんはうつわも画付けも手がけられるひとだし、もうここしかないじゃないか、と。カメラマンはいつもの衛藤くん。そして今回は自分のイメージをより明確にしたかったので、デザインをいつもイラストを手がけてもらっている上妻くんに依頼。ちなみにこの写真は木さんのアトリエの前で海をバックに撮ったもの。撮影は夏の暑い日で、詩も連れて行って、朝から大変でした(みなさま、お世話になりました)。






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ところで。それこそ、うつわの展示会というのは最早珍しいわけでもないのだろうけど、だからこそ、自分はそのイメージをちょっと変えたいな、といつも想っている、フシがある。お店を始めて間もない僕のような何処の馬の骨ともわからぬニンゲンが、うつわの展示会などというものを手がけるのであれば、そこにはある種のフックがあってしかるべきだと思うし、世にはうつわの展示会じゃないような展示会があったってまったくおかしくは無いはずで。例えばうつわの展示会じゃないようなDMを創って、うつわの展示会に来ないようなひとがうつわの展示会に来ても、方法論としては間違いではないわけで。もちろん、それで成り立っていけば、の話だけど。





しかも今回の展示会は木 ユウコさんと来ている。木さんといえば、僕のなかではそれこそ新進気鋭のひとであり、そしていい意味で捉えどころの難しい、ふわふわぐにゃぐにゃとした、まさに彼女自身が手がけるクラゲみたいな画のようなモノを持った、とても不思議で魅力的なひと。でも一緒にお話をしていると僕なりにはっきりと分かるのだけれど、そのふわぐにゃのなかには・・・くっきりとして尖った確固とした“なにか”がある。それこそが創り手としての骨格のようなものだろうけども。そしてそのふわぐにゃと、そのなかの尖った“なにか”が(ご本人が意識的か無意識的かはともかく)ストレンジなオブジェや煌びやかでかわいいうつわや画に宿り、この世に形創られるわけであり。展示会を企画する側とすれば、ともかくそのふわぐにゃやらをなんとか表に出したかった。まぁ創り手の方からすれば、ほっといたってそんなもんきっと出るのかもしれないし、別に自分はなんにもしてはいないんだけど、あくまで気持ちとしてはそういう想いがあった、ということです。





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今回の展示会はそもそも最初はタイトルなんて考えてもいなかった。木さんはうちでは初めての個展だし、シンプルに展示会に名前を入れた、少し固めなものをイメージしていたわけだ。でもDMの写真撮影をしている時、木さんとつらつらだらだらとお話していると、どうも風向きが変わってきたのを感じるようになる。木さんは僕に「タイトル、自由につけちゃっていいですよ」なんてなかば本気で言ってくれるし、なんだか壁を壊すイメージに僕自身なってきたわけで。うーん、そうなんだよな、そうだよ。まぁ考えてみると、そもそもがよくあるような展示会で収まるひとじゃあないんだ。彼女の初めての展示会だからこそ、ここは守りに入らず、どこかしらブレイク・オン・スルー、向こう側に突き抜けるべきなんじゃなかろうか。きっとそれがうちのような店の役目でもあるんじゃなかろうか、と幾分まじめに考え始めたわけである。






…ここについてはもう少し突っ込んで書こう。やっぱり誰だって、世に何かを問うのは勇気のいることだと思う。作家が作品を世に出すことと、あるひとがなんらかのお店を世に出すこと、それはある意味で似ていることだと僕は思っている。いや、それはあくまで僕にとっては似ている、と言い換えるべきか。それはとても丸裸で恥ずかしく、世間からなんと言われるかも分からず、そして僕らはそうしながらもしっかと地面に這いつくばりながら日々生活していかねばならない。でもだからといって、やり方や道は決してひとつではないはずで。生きる道を切り開く自由、その方法こそは、本来ならば誰にでもあるはずのもので、本来ならば何よりも大切に尊重されるべきだと、勝手に気まま奇跡的に生きて来た自分のようなニンゲンは思うのである。「この道を行かなければ間違いだ危ないよ、そもそもそんな方法は甘いんだってば、続かないんだってば」そんな声がどこからか聞こえてくる。それは世間の、いやいやそもそも自分の声なのだろうが、それは嫌という程分かっている。でもそんな声は素知らぬ顔で蹴飛ばして、僕らはなんとか自分の道と生活を切り開かねばならない。いや、そうありたい。そんな大層なことをいつも考えているわけではないけど、でも僕はうちの店の基本的なあり方はそうであって、お付き合いをさせていただいている創り手の方たちとも(もちろんそんな話はしたこともないけども)、どこかしら根底に繋がっている部分があるんじゃないかと勝手に思っている。いや、そう、信じている。みんなが思い思いのやり方で、自分の作品やなんらかの店をなんとかやっていければいい。失敗と挫折を繰り返しながら、なんとか創り上げていけばいい。そう、思っているわけです。

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撮影からへとへとになって帰り、さてどうしたものかと考える。何か具体的なイメージが欲しい。ふと、そもそもこのビョークのアルバムのタイトル『ヴェスパタイン』の意味って何なんだろうなと調べてみると、「夕方から夜にかけて咲く花」「夕刻に現れる星」「夕べの祈り」だという。・・・ふうむ、ピッタリだ。木さんご本人もたいていは夜に画付けをするって言ってたし、星のイメージもなんだか木さんの手がける画にかなり近いし、何より全体的に女性的なイメージがいいじゃないか。もうこれはタイトルまでいただこうと相成ったわけである。時はちょうどオリンピックのパクリデザイン騒動。ここははっきりと、自分の好きな作品にオマージュを捧げなければならない時だと考えた。

木さんもとても喜んでもらえたようで、随分とタイトルに作品が引っ張られた、と店としては最大限のお言葉をいただいた(と思っている)。たぶんその結果として、木さんはたくさんオブジェを創ってくれたし(オブジェクリエイト熱がなかなか冷めず、キケン水域までいった)、うつわには今回のタイトルに引っ張られた月とか惑星のイメージの画が増えることになった。それはお店側として大変喜ばしいことなのであります。




ということで、展示会はまだまだ続きます。














2015年9月13日日曜日

香川、『maroc』への旅


先日、香川に出張に行ってきた。車、フェリーを使っての、片道7時間くらいの、しかも1歳半ばの子連れで、というなかなかのドライ&ヘヴィな旅。そもそも今回の旅の目的は香川でモロッコのラグを販売していらっしゃる『maroc』さんに行くこと。『maroc』さんは香川市内から少し離れた田んぼのど真ん中にあるだだっぴろい倉庫で、植物を扱われている友人とシェアしつつ店をやっている。カフェスペースなんかもあって、手作りで手がけた店の感じといい、かなりイカした若いセンスを感じさせる店だった。こういう店が熊本でもあるといいのになぁとひとごとのようにぼんやり思う。






モロッコにもいろいろラグはあるらしいのだけど、こちらはベルベル村で作られた「ボシャルウィット」というラグがメイン。例えば洋服を裂いて、いわばリメイクな感じで作ったコットンのラグは、いい具合のポップさがあって、ラグが部屋を選んでしまうかのような、よくある民族的すぎるアレが少ない。例えば北欧やらいろんなテイストに合わせやすそうである。ウールで編んだタイプとかいろいろ種類はあるのだが、比較的価格も手頃なので、これはかなりオススメのラグ。10月から取り扱いが決まったので、写真を見てドッキドキの方は絶対来てください。








まぁその辺はおいおいしつこいぐらいに語るとして、香川といえば「うどん県」。忙しくてなかなか行けなかったのだけど、まずはモーニングうどんを、ということで、通りすがりに見つけた古い感じの『大島うどん』というところに。入ってすぐに「セルフ茹で機」と、もうぐつんぐつんに煮込まれているおでんなんかがあったりして、これぞ香川という感じ。窯玉を頼んだのだけど、徹頭徹尾優しいうどんであって、ああこれは店に貼ってあった誰だかの色紙に「朝から二玉、大島うどん」と書いてあったのも妙に納得してしまう。毎日毎日こういうところでずるずるずるっとうどんを食べ、「・・・ほな、今日も働きましょか」という感じでずっと過ごしていくというのも、ひとつのジンセイではあるまいか、となぜか椎名誠風になってしまう。




・・・だったのだが、その後、『maroc』の方に「せっかく来たんだったら、ぜひ美味しいうどんを食べて帰ってください」と自分のおすすめのうどん屋さんを教わる。『竜雲』という、なぜかお寺のなかにある店である。坦々うどんとかなぜか中華麺とか飛び道具系なメニューが多いのだが(もちろん普通のもあるけれど)、これがむちゃくちゃ美味しい。



比べると『大島うどん』は家庭的で牧歌的な感じであって、もちろんそれはそれで美味しいのだけれど、『竜雲』の方は観光客も地元のニンゲンも黙らせてしまうくらいの意気込みと熱量を感じる店、というか。たぶん日々新しいメニューやうどんの打ち方なんかを研究しているんじゃないだろうか。や、もしそうでなくとも、そう思わせる何かがある店だ。ただうどんとひとくちに言っても店によって微妙に、でもしっかりと味というか喉越しというか、何かが違うのにやっぱり驚いてしまう。いや、それよりなにより奥さんと頷き合ったのは、香川のその醤油の美味しさ。すっきりさっぱりとしてて、人懐っこいようなよそ行きのような、でも最後はちゃあんと仲良くくっついてくる懐の深さを持った醤油であるとみた。お土産やさんにふらりと行ってみると、香川産の数々の蔵で作られたいろんな醤油があったので、醤油の基本レベルが高い場所のようである。そう、「うどん県」は「醤油県」でもあったのだ。そう勝手に納得して、帰ってきたわけであります。



                   ※

ところで。今回は子連れの旅でなかなかハードだった。でもまぁうちの息子はなかなか旅慣れているし、すぐに知らない人に懐くので、別に苦労はしない。今回も香川の商店街で僕の抱っこから降りるや否や、すぐさまベンチに座っていた見ず知らずの(ちょいとアヤシげな)おばちゃんのところへ行き猛烈な「抱っこアピール」。「うわぁ、かわいいねぇ」と言われつつ、なんとミルクコーヒーをゲットする始末。このまま食いっ逸れがないニンゲンに育ってほしい。






2015年9月6日日曜日

雑貨屋と雑誌





現在発売中の雑誌「タンクマ」での掲載を見て、お店に来てくれる方々がちらほら出て来ている様子。本当にありがたいことです。

そういえば、誌面で「雑誌作りと店作りは似ている」ということを少しお話しました。たぶんあれだけでは伝わり難いと思うので、どこかの誰かのためにここで補足しておこうと思います。


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現在うちの店ではだいたい二、三ヶ月に一回、なんらかの展示会をおこなっています。例えばこれは雑誌でいえば、いわば巻頭特集のようなものだと思うんです。そのときそのときの時代の流れや嗜好、季節感やさまざまなタイミングを見極めて、思わずお客様が手に取りたくなるような、お店に来たくなるような企画を考えなければならない。これはもう雑誌もお店もまったく一緒です。

そして企画を考えたならば、今度はどうにかしてそれを伝えなければなりません。お店であればSNSやブログ、DMを絡めながら、集客を促す方法と、どういう商品なのかを取材してお客様に伝えなければならない。この、いわば仕込みの部分が濃ければ濃いほどそりゃいい記事になるし、いい宣伝素材になるし、お店であればいい接客に繋がるはずです。創る現場を見ているのと見ていないのでは、商品を宣伝する言葉の熱がまるで違います。それは雑誌の記事の文章の温度とて同じことでしょう。

通常、雑誌ではエッセイやらコラムなどの連載ものがあります。その記事が読みたいから毎号買う、なんてひともいたりすると思うのですが、店に置き換えるとそれは通常置いている商品のラインナップになるんじゃないかと思います。お店にとって、ここはいわば生命線ともいえるもので、何を置き何を置いていないのか、全体的な価格帯を含め、大体それらを見ればお店の考えというかレヴェルのようなものがわかるんじゃないでしょうか。もちろん雑誌でもそれは同じで、どんなひとにどんな形で企画や連載を持ってもらうかで雑誌の売り上げも随分と変わるはず。まぁ私見だと日本という国は、本当の意味でのライターが育ち難い土壌が在る気がするので(作家には世間的なリスペクトがあるけど、ライター対してはそれが少ないように思えるから)、なかなかそれも難しいと思うのですが。まぁそれでも著名なひとが書いているコラムがあると雑誌としても強いですよね。

もちろんお店にしても雑誌にしても、売れなければ、お客様に来ていただき商品が動かなければ、成立はしません。でもじゃあ売れるものばかり、売れることばかり考えていると、もっとも大切なコト、つまり、「なんで自分はこの仕事に従事しているのだろう。最終的にいったいなにをしたくて、誰に何を、届けたくって、この仕事にわざわざ時間を割いているんだっけ?」ということが見えなくなってくると思うんです。もちろん生活のためにお金のために仕事をする面はありますし、それのみを求めるひとがあってもそれはそれでまったくいいのですが、でも少なくともお店、特に個人店だとか雑誌を、ゼロから立ち上げ、自己のコアな部分を反映させながら何かを表現したり訴えたりしたいのであれば、やはり根底の部分で揺るぎない考えの土台のようなものが欲しい。自分にそれがあるのかどうか分からないながらも、そう思うわけです。

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・・・とまぁ、まだお店を始めて二年も満たない僕のような若輩者が、なぜにこうもつらつらつららと書いてしまったのかというと、たぶんどんな仕事同士であっても探してみれば何らかの共通点があるんじゃないか、と思ったからであり。考えてみれば自分の奥さんも現在はマッサージ店をしていますが、もとはといえば家具やら雑貨の販売なんかをしていたひとだし、じゃあその経験がまったく活きないかというとそんなことは全然ないわけです。正直、接客のイロハなんて、どの仕事で通ずる大切なものがあるのではないでしょうか。

僕自身、小さい頃から不思議だったことのひとつは「なぜ大人は世のすべての仕事を経験できないんだろう」ということでした。世の中にはどれくらいの数の仕事があって、そしてそのなかでどの仕事が自分に向いているかなんて、分かるわけがないんですよね。しかも一生は限られてる。それなのに、なんですべてを経験できるシステムがないんだろう、と。もちろんそんなことはどう考えても不可能なわけですが、でも捉え方次第でいくらでも発想は広がるんじゃないかな、と思うわけです。そしてそう考えると、いくつになってからのリスタートだって、少しはやる気が起きるのではないかな、などと。・・・というわけで、またいつリスタートしなきゃいけなくなるかもしれない不安定な店主は、日曜日の午後、ぶつぶつとつぶやくのでありますね。

2015年9月2日水曜日

豚軟骨とトマトのアジア風煮込みができるまで


もう数年前になってしまったけれど、ベトナムに行ったことがある。
なにせ食べ物がなにを食べてもすべからくウマかったのが印象的だったのだけれど、
なかでもとてもよく覚えているのがお昼の定食屋みたいなところで、
日本で言うとお惣菜感覚でテーブルに大鉢に盛られた数々の魅惑的な料理が並んでいて、
客は好きなものを好きなだけ取り分けて食べる、という感じで大変に素晴らしかった。
それを思い出したわけでもないのだけど、アジアっぽい料理を賄いで作ったので、なんとなく記してみようと思う。

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そもそも昨日は最後のマッサージのお客様が遅く、閉店から1時間ほど時間があった。
その時間を使ってなにかご飯でも仕込もうと隣のスーパーに行ったらば、レモングラスが安売りしてあるのを見つけた。1時間あるということは何かを煮込んだ方がいいだろうから、豚バラ肉の塊少しと豚軟骨とこれまた安売りのセロリをなんとなく買って来た。

いつものことだけど、別に特別に参照したレシピはなくて、
ただ頭の中には以前エッセイストの玉村豊男さんの本で見た、醤油と酢で煮込んだどこかアジアの豚肉料理があった(ちゃんとした名前があったけど忘れてしまった)。でもまぁなんとかなるだろう。

豚肉を塊のままなたね油で炒めて焦げ目をつけて、
葉とともに刻んだセロリ、潰した皮のままのにんにくと薄切りのしょうがとひたひたの水を入れる。

まずはそのまま煮込んで肉を柔らかくした方がいいのだろうけど、そうする時間もなかったから、多めの醤油とそれより少なめの酢、塩少々、一袋半分の適当に刻んだレモングラス、多めの黒砂糖(酒も味醂もなかった)と、ナンプラー・・・がなかったので、最近よく使っている天草の煮干しの粉をさらさらさらと入れる。あたまのなかでは「煮干しの粉+醤油=ナンプラー」だろう、と勝手に納得している。

火は中火から弱火へ。店のなかは豚と酢が煮込まれた、甘いような酸いような独特の香りで満たされる。この時マッサージをしていたスタッフのミキティはお腹がすいてすいて仕方なかったようだ。40分くらい煮込み、煮込みは冷めるときこそが味が染みて肝心と、そのまま冷まして家へ帰る。

朝、店に来る。なんとなく火をもう一度かける。豚の脂が浮いていたら掬いとろう、と思っていたのだけど、浮いていないのでそのままほおっておく。なんとなくまた40分くらい煮込んでみる。というのは、豚の軟骨が意外に硬く、どうもいい感じにならないからだ。

この時点でスープ(というか煮汁)を味見してみると、かなり醤油辛い。
うーん、それじゃあちょっと方向転換をしようと、ご飯を洗ってちょいとスーパーに行き、安売りのトマト二袋と卵4個を買ってくる。さて、いよいよ頭の中でようやく料理の形が見えた。

ご飯を炊く間に(というのはうちの店のガスレンジはひとくちなので)肉を一口に切る。
軟骨トロトロなんて時間は残されていないことにようやく気づいたからだ(ということはきっと二回目の40分煮込みも不必要だったということだ)。トマトも適当に一口に切る。

炊けたご飯をレンジから離し、新しい鍋を強火にかけ、切った豚肉とトマトを入れる。
トマトが徐々に煮くずれて来たら、煮込んでよれよれになったセロリとスープを徐々に足していく。ついでに残り半分の新しいレモングラスも刻んで足してしまおう。

ここから、そうだなぁ30分くらいだろうか。トマトとスープが相まってソースになるくらいまで強火で水分を飛ばす。ここで味見をすると、トマトと煮干しと醤油が一体となって、目の前にはどこぞのアジア大陸が広がっているようだ。もうちょっと何かで味を整えようか。でも今日はご飯にかけて食べるので、最後に卵を4個溶いて流し込んで、火を通しすぎずに、はい、おしまい。





食べてみるとスタッフの評判が驚くほど良かった。たしかに豚肉の甘みとトマトの甘み、煮干しと醤油の旨味が足されて、人懐っこいアジアの味がして美味しい。最後に卵を入れたのも味がマイルドになって正解だったようだ。そして自分の料理ではここ二、三年でひさびさに使った黒砂糖が効いている(普段はまず砂糖は使わず、味醂で代用する)。砂糖を入れるとなんとなく店っぽいというか外の味になるのだなぁ。これは知らなかった。なによりレモングラスを入れると、なぜか言いようの無いアジア感が増しておもしろいことも初めて知った。

今回はたまたま二日かけてしまったけど、もちろん普段の賄いはこんなことはなくて、さらさらと簡単に作る。というか、こう実況風に書いていくと大変なように感じるかもしれないけど、この料理だって本当に簡単。まるで散歩のように気の赴くままに料理をしていく感じがとても愉しい。・・・というか、本当に天草の煮干しの粉、商品として取り扱おうかしらん、と考えているところ。





2015年9月1日火曜日

夏が終わる





 なぜか最近、少しずつブログづいている。なぜだろう? たぶん、もう秋だからだろうと思います。なんといっても秋はいちばん好きな季節で、実はどこか感傷的なんだけど、それを覆い隠すように埋めるように文章や酒が消費されることになるわけで。・・・いや、待て待て。もしかして仕事がヒマだからかもしれないな。それだとしたらなかなかの問題だけど、まぁいいや。ともあれ、自分としてはどこかの店のニンゲンがあまり雑作もない、くだらないことをたらたら書いているのを読んだりするのが案外嫌いじゃなくて。すべてがすべて商売っ気に繋がることがそんなにいいとは思わないし、店のニンゲンが自分をアゲるためだけに書かれたような類いの文章が自分はあまり好きじゃあない。だから今回はできるだけくだらないことを書こうと思う。

 ということで、「夏の終わり」。毎年それを感じたその日には、スピッツの「夏が終わる」という曲をなんとなく聴くことにしているのだけど、どうやらあれが入ったアルバムが見つからなくて。しょうがないから別のアルバム(「惑星のかけら」)なんかを聴いている。それにしてもこの時期のスピッツは透き通っててやっぱりいいですね。まぁたぶんいまも変わらないのだろうけども。
 それはさておき。よく知り合いというか友達の女の子に「なぜにあなたの文章はそんなにも改行が少ないのか」と問われることがある。そんなこと言われてもよくわからないんだけど、たしかにそうだ。特にフェイスブックの文章は大抵は一息一筆な感じでいつも書いているので、もう文章がまんま塊となってしまう。というかそもそも本当に人に読まれている、という実感もあまりなくつらつらつららと書いているので(もちろん展示会のときなんかは別ですが)さらりと書いてまんまアップすることになる。そしてお店で「いつも読んでいます」という感じでお客様に直でお会いすると、かなり赤面することになるわけで。そうか。本当に読まれているのか。でもそうかといって、細かいところまでちゃあんと伝わっているかというと実はそうでもなくて、読み方も受け取り方も伝わり方も人それぞれなので、文章で伝えるということはすごく難しい。

話はまた変わって、ブーメランのように戻る。正直、自分の子どもにはどうこうなって欲しいというのはまったくなくて、限りなく「普通のひと」になって欲しい。だから、なんなら七夕の願い事にもそう書いたくらいだけど、でもできたらこんなイメージのひとになって欲しいなぁというひとが自分のなかには数人いて、そのなかのひとりがスピッツの草野正宗、そのひとであり。まぁどう考えても普通のひとではなく、アブノーマルだけど、まぁそれでも。というか、昔からあちこちでよく言ってるけど、自分はこのひとの歌詞が個人的にいちばん好みでしっくりくる。いつだって遠くどこかにある小さな世界を大切にしていて、痛いこととか競争がなんとなく嫌で苦手で、限りなくセンシィティヴだけど、かといってただただド・センチメンタルというのでなく、でもちゃんと深く深くスケベでエロである(ここがとても大事)。理想のもうひとりはなぜか日ハムの大谷選手なのだけど(もちろんプロ野球選手になってほしいということでは断じてまったくなくて、あの飄々とした佇まいというか)まぁそんな話しはどうでもいいか。それにしても。ああ、もうほんとうに夏が終わりますね。・・・という感じで、このどこにもたどり着かない文章も終わりを告げる。

2015年8月25日火曜日

取材





お店をオープンしてもうすぐで二年。初めて正式に雑誌の取材を受けてみた。熊本の雑誌で「タンクマ」という、熊本に住む人なら知らないひとはいないだろうというくらいのメジャー誌。

そもそも自分が以前雑誌作りに関わっていたせいもあって、取材を受けるのにどこかしら違和感みたいなものもあり、これまでほとんど取材はお断りしてきた。それに地方で店をやっていくうえで、まず地方の媒体やテレビに出て知られていく・・・という紋切り型のやり方がどうも腑に落ちないというか、元々なにがしかの媒体をやっていたニンゲンがお店をやるんだったらば、そういうあり方に一石投じたいよなぁ、という妙に堅い想いもあるにはあった。考えてみれば自分で文章も書くんだから、だったら自分で発信すればいいじゃないか、ということで、マッサージの方は自分たちで広告も手がけてみたりもしている。

でも今回取材のお話をいただいた編集の方が、取材はNGと聞いていながらも熱意と誠意で電話をかけてこられたし、移転もして「まぁなんかそろそろいいのかもな」というぼんやりとしたひらめきというか想いがふっと降りて来たし、まぁそんなこんなで取材を受けることになった。果たしてうちのような、やろうとしていることがある意味とても分かり難いというか、だいぶひねくれた考えの店が読んだ方に伝わるのかどうか甚だ不安でもあるけれど、そして経験してみてほんとに取材というのは受けるより自分でする方がラクなんだなぁと身を染みて感じたけども(自分にとっては話して伝えるより書いて伝える方がたぶんラクだから)、とても良い経験になった。取材の時のカメラマンの女性が、以前の職場で何回も仕事をした方で、今度はこちらが撮られる側になっていたのが個人的に不思議でとてもおもしろかった。・・・で、さらに上がってきたゲラを見てみると、スタッフさえもが未だ見たことの無い“奇跡のスマイル”が露になっていたので、僕もスタッフも大変驚いて大笑いした(あっこちゃん、ありがとう)。

ところで写真は僕からの要望で1歳半になる息子の詩(うた)と一緒に撮ってもらった。これは単なる親バカ・・・なのでは一応なくて、自分としてはきちんとした考えのある要望のつもりだった。というのはいまのところ、息子は保育園などに預けず、週に半分ちょっとの割合で店に居て、僕や奥さんやスタッフがみんなで世話をしている。店には器なんかもバンバンあって、危ないのは危ないんだけど、まぁ産まれた頃から雑貨店にいるせいか、いまのところそんなにお店の邪魔をすることはない。ということで、お客様が店に来られれば、必然と息子に会う場面が増えるはずであるから、雑誌に掲載するんでも「小さな子がいるかもしれませんよ」と言う意味で出すのもありかと思ったのがひとつ。しかもうちの店は外観や置いてある数々の商品の雰囲気からすると、あまり子ども臭がしないというか、アットホームな感じでもないと思うのだけど、逆にそこのミスマッチ感が自分ではとてもおもろいんじゃないかなと思ったせいもある。というかね、写真通りにお店では大抵僕がいつも子どもを抱っこしているので、あながちあの記事は嘘を伝えているわけではないのです。ちなみに僕は自分でおしめも替えるし、ご飯を作って食べさせるし、本を読んで本気で遊んであげて抱っこして寝かしつけるし、まぁそんなこんなで店での僕の仕事というか活動は、ある意味すべて子どもの世話とも繋がっているので、そこのところをなんとなく表せたら・・・という考えもあるにはあった。

まぁ実際に読んだ方がどう感じるかはわからないけども、とにかく取材に関わられた方々、本当にお世話になりました。明後日、27日発売みたいです。

2015年8月16日日曜日

くがにまーしゅ


『塩』。ようやく、「これは紹介したい。ぜひともみんなに知ってもらいたい」という塩が見つかったのでご報告します。

宮古島と石垣島の間にある多良間島という場所で作っている『くがにまーしゅ』という塩である。



そもそもこの塩との出会いはお客様繋がりであった。マッサージの方のお客様で農業をされている方がいらっしゃって、この灼熱の時期には朝からスプーン一杯の塩を口にしてから作業に入るのだと言う。で、「これまでに出会ったことの無い、凄い塩が見つかりました。どうも疲れ具合も違うような気がするんですよ」などとおっしゃる。この方が目指されている農法は、ちょっと普通ではないレベルのものだし、かねがね食などのお話をしていて感心する場面も多かったので、この塩について調べてみた。



まずこの塩が凄いのが製法が天日のみ、ということ。窯炊きは結構多いのだけど、お日様の光だけとなるとなかなかそうはない。やはり時間はかかるだろうし、量だって取れないだろうし、天候にもろに左右されるだろうし、採算だって取れないだろう。ということで、ひとまず作っている方に連絡を取ってみる。と、かなり快活でエネルギッシュなおじさんで、長岡さんという、知る人ぞ知る塩職人であった。

面白いのが長岡さんは元戦場カメラマンであったということ。だが学生の頃から塩作りに興味があったのだという。そしてまたさらに面白いのが、この長岡さんこそが熊本は天草の有名な塩である『ソルトファーム』の生みの親であったことだ。『ソルトファーム』は僕が以前勤めていた雑誌『九州の食卓』でも取り扱いをしており、僕も結構知っていたのである。



『ソルトファーム』を次の方に譲った長岡さんは、またさらに自分なりにこだわった塩を作りたかったようで、その場所を探していたらしい。やはり天日のみというのは海水の質も問われるらしく、それ相応の場所でないとダメらしいのである。電話で僕が「うーん、でも窯炊きと天日はそんなに違うんですか?」とアホみたいな質問をすると、「そりゃ違います。やはり窯炊きだとどうしてもミネラルなんかが飛んでしまうんですよ。でもそのことを「ソルトファーム」のニンゲンに言うと怒りますから言っちゃダメですよ(笑)」となかなかお茶目な長岡さん。約3ヶ月から4ヶ月かけて作る天日と風だけで作る塩。作るところを見てみたいなぁ。というか、なんだろう。長岡さんというひとは初めてお話しただけなのに、どうも惹き付けられるようなちょっとカリスマ性を持ったタイプの方である。「じゃあまずは試食用を送りましょうか」という長岡さんを僕は遮って、「いや、もう注文させていただきます」と決めてしまった。『ソルトファーム』の生みの親という流れもしっくりしたし、これはまず間違いが無いという圧倒的な確信があったし、そもそもお日様の光だけで作る塩なんてもうそれだけで素晴らしい。

かくして『くがにまーしゅ』が届いた。そして舐めてみると・・・おおおっ、なんとなんと。まったくいがみがなく、舌に溶け込んでいく感じである。きっと無理なく自然に海水を干しているからだろう。体内の血や体液に近い感じが舐めてみて分かるのだ。それを証拠に次次に塩に手が伸びて舐めてしまう。ちなみに一歳半になる息子の詩も大好きでぺろぺろ舐める。100g1000円。価格はするけども、天候次第で出来るかどうかもわからないし、手間隙を考えるとこれは正直高いのか安いのかわからない。お肉とか刺身も美味しそうだし、豆腐なんかもよさそうだ。

・・・実はさらに面白いことがある。長岡さんが言うには販売にはまだ至っていないが、通常の塩を6ヶ月寝かせたタイプのワンランク上の塩があるというのだ。それも一緒に送るから試してほしいのだと。で、届いたんだけど・・・これが凄いんですよ。通常の『くがにまーしゅ』でもほんとうに美味しいのに、もっと甘くてまろやか。結晶も大きくて、これはもう芸術品である、と言い切りたい。もし試したいのならばこっそり言ってくださいね。まだもう少しありますんで。