2016年12月4日日曜日

『玉木新雌2016秋冬展示会』

ということで、いよいよ来週から始まる『玉木新雌2016秋冬展示会』。来週木曜の12月8日のみvertigo店内でプレ展示、それ以降の12月10日(土)から25日(日)までは三年坂TSUTAYAの地下にて開催させていただきます。

以下、告知用のDM撮影をしていただいたもの。カメラマンはいつもの衛藤久朋くん、モデルはお茶の先生もなさっている木本智子さんです。すごくいい仕上がりになりました。















                   ・・・・
















木本さんは普段着物を着られる機会も多いからなのか、撮影中、衛藤くんに「できたら猫背でお願いします」と言われていたのがすごくおかしかった。本当にお世話になりました。ちなみに「・・・・」で区切ったうえのものがフィルム撮影。下がデジタル撮影。やっぱりなんかフィルムの方があたたかみがあるというか、柔らかいですね。これはまんま音楽と一緒だなぁと思いました。アナログレコードとCDの違い。実際DMではフィルムの方を使わせていただきました。

ということで、皆様、ぜひ展示会にお越し下さいませ。





2016年12月3日土曜日

ホームペイジ





最近、ほんとうに今さらながら店のホームペイジ(http://www.mu-vertigo.com)をいじいじといじくっている。前から「力が入ってなさ過ぎでしょ!」と不評のHPだったのだけど、まぁ新しい店舗に移って雑貨店もマッサージと別になって分かりやすくなったし(マッサージは別でぜんぜんやってますんで、気になる方は言ってくださいね)、そろそろもうちょっと広い範囲で店の展開を考えないと、と思ったのですね。つってもwixでいかにもトウシロでハズいシロモノですけども。

自分はどうもウェブに関して最初っからあきらめ気味なザンネン40代というか、こーんな広い広い果てしなく広大な宇宙の真ん中で、いったいおれは何を叫べばいいのよ?と思ってるフシがありありで、なかなか腰が重かったところはある。でも考えてみると、何を叫べば、なんつっても、そもそもそんな叫ぶ場所が存在すること自体がこのウェブ時代の素晴らしいところであるはずで、それが無ければいつかの八百屋さんみたく店頭で「いらっしゃい!いらっしゃい!」と叫ばなければならない(もちろんそれも素晴らしい方法だけど)。

例えばうちの両親は(まぁ父しか残ってないけど)もうパソコンをしないまま死んでいくのを善しとしているひとたちで、だからして例えばあのひとたちが親戚を交えた様な大きめな家族の食事の計画を立てようものならちょっとした事業だ。僕らであれば店の検討を付けてネットで店の情報見て個室はあるのかとか金額なんかをチェックする。が、あのひとたちはまずはもういきなり電話したりはたまた直接店に行ったりしてチェックしたり確認するから、しかももしそれが何軒も重なれば、そりゃもう大変な労力になる。一大事なのだ。結局は直接行ったりすることが実はプラスになったりもするのだろうけども、それでもやはり今の時代にはちょっとあの苦労はあり得ないというか。



そう。分かってんじゃん。情報の開示ですよ、情報の開示。オープンテクスツですよ、オープンテクスツ。じゃあお前、はよやらんかい!となるのだけど、僕はこれでもいちおう編集、ライターをしていて、そのやり方というかあり方みたいなものをそのままこの雑貨店にトレースできないか、と思いつつこの店をやっており。そういう意味では僕としてはこの雑貨店の仕事だって編集、ライターの仕事の延長であり、そのなかのひとつと思っているのだけれども。だからこそいつも思うのは、編集やライターの仕事というのはあくまで媒介である、ということで。主役は別にある、いる、ということで。

例えば何の変哲も特徴もまったく無いひとや店や事象でも、自分なりに取材して自分なりに捉えて、そして自分なりの価値のようなものをそこに提示しなければならない。いや、提示したい。「これ、超普通過ぎてどこをどう切っても紹介になんないよ」というのならば、穴が開くまで延々と眺めては、伸びる部分を探し引っ張り出して書きつける。すんごいひとに会ったのならば、なにがどうすんごいのかを自分で消化して、それを自分なりの角度でもって伝えたい。いや、伝えなきゃいかんだろう、と。でもほんと単純な話、ひとつの事象があってそれを100人が見たらば100の見方があってしかるべきはずなんですよね。みんな同じ見方してたら、僕、わたし、あなた、君がそれぞれ書く意味がまったくないと思うし。




こういう話でいつも想い出すのが、伊丹十三さんのエッセイで、カメラマンの浅井慎平さんについて書かれた文章で。ある日、浅井さんがゴルフの取材に現場にカメラマンとして行った。グリーンにはその他大勢のカメラマンもいて、彼らはみな一様にゴルファーがスイングする瞬間ばかりをカメラに収めようとやっきになっていた。まぁたしかにそれが普通のカメラマンですわな。そんなひとたちを横目に、浅井さんはゴルファーが脇の方でキャディと真剣に話しているところをパシッと撮って押さえたそうだ。そして「これだってゴルフでしょ」とあっさりいったという。これくらい物の捉え方について分かりやすく表した話は無いと思うのだけど。そう思いませんか?・・・あらら、そうでもないか。

ええと、でなんの話だっけか。ああそうだ。ただまぁ媒介として自分を通して他人について語るのは慣れているのだけど、なんせ自分について語るのに慣れてないんですよね。できれば語りたくないし、アピールもしたくない。そういうの、もうほんとめんどくさいと思う方で。でも幸い自分の周囲には温かなひとたちが何人かいて、「いや、そうだからこそ、もっとあなた自身を打ち出した方がいいんだってば。そうしないとダメな2016年なんだってば」らしきことを助言されたりもする。確かにすべてがひっくり返ったようにも思えるこの2016年、そうも言ってられないよなぁ、それは自分でも十二分に分かってるんだけど・・・ん、待てよ。そうかそうか。そうなのかも。なんでこれまでこの視点が持てなかったんだろか。

結局は自分が『vertigo』というこの店を、編集すればいいんだよな。媒介としてこの店についてみんなに伝えればいいんじゃないの。この店の店主はいったいなにがしたいのか。どこにバイアスかけてあげたらば、周りに多くのことが伝わるのか。その辺すべてを引き受けて、提示してあげればいいんだ。まぁたかがホームページ作るのに、なにゆえこんなしちめんどくさい思考をしなければならんのか自分でもよくわかんないんだけど、もうしょうがないですね。そういう人間なのだろうから。なんというか編集とかライターってそれくらい自分とかひととの距離を考えてるというか。そうしないと少なくとも自分は文章書けませんというか。もちろんひとそれぞれでしょうけど。ということで、まだまだすべてうまくいってはいませんが、まぁちょっとずつ見守ってやってください、という感じでしょうか。あ、来年は少しずつウェブでの販売も行おうと思っております。はい。たぶん。

2016年11月27日日曜日

堂々巡り



村上春樹の小説に『回転木馬のデッドヒート』というのがあって、そのなかに「プールサイド」という短編がある。僕は昔っからその話がなんだか好きというか気になっていて、ことあるごとに読み返すのだけど、そして最近もまた読もうと思ったけどもどうしても家で見つからない。震災があって引っ越して、もうなにがどこにあるのかさっぱり分からなくなってしまった。そうやってまたブックオフなんかで買ったりするのだろうなー。まったくもう。やれやれ、である。

といって、だいたい筋はもう覚えていて。・・・ある男、たしか35歳になったばかりの男が、その日を自分の「人生の折り返し地点」に決めてしまう。30でも40でもひとによって折り返し地点はさまざまだろうけど、その男にとっては35になったその日が折り返し地点だった。そこで男は鏡の前に素っ裸で立ち、自分のからだの隅々をチェックする。営業の付き合い酒なんかで弛んでしまった腹、ケアの行き届かない歯、あんまり変化が見られないように思える睾丸、だとかを。そして男はその日からすべてを改める。プールに定期的に通ってカラダをしぼり、歯医者に行って虫歯を治療し毎日デンタルケアし、食事を自ら制限する。もともと凝り性なこともあって、ほどないうちに彼はかなりの体力的な若さを取り戻す。そして彼は若い愛人をつくる。そうなってしまっても、別に妻とも平和に幸せに暮らしているが、ある日、彼は自分の目から涙がこぼれ落ちてしまっていることに気づく。それは若い愛人をセックスで完全に満足させてあげることができる自分に気づいた瞬間だった・・・。みたいな話だったと思う、たしか。



さぁ果たしていったいこの話のどこの、なにが、自分を撃ったのか。僕もあんまりわからなかったんだけど、最近ちょっとだけ分かってきた気がした。といって自分には若い愛人もたしかいないはずだし(と周りをきょろきょろみる)、性的な満足なんぞもよく分からないのだけど(とさらに周りをきょろきょろみる)・・・いやいや、うーんと、そういうことではなくって、例えば自分の周りにはなぜか30歳くらいのひとたちが多くって、最近結構いろいろと話すことが多い。例えばこれからのこととか、これまでのこととか。いろんなひとがいてそれぞれだけど、やっぱり30くらいって結構漠然としてて、ちょっとこれからどうなるんだろか・・・と感じているひとも当たり前に多くって。それは僕もそうだったからよく分かるわけで。自分なんて20後半で周りに遊んでくれるひとが居なくなって東京に行った人間だから、スタートだってあまりに遅くって、もうほんと、まったく参考になるはずないんだけど、でもこういうのは結局自分の経験しか語ることはできないし、それしか説得力がありえないので、なんとなく自分のことを話すことになる。



いろいろありながらも僕が店を出して三年目という事実を話すと、ひとによっては心底感心してくれたりもする。店を出した、続いている、という事実は少なからずいちおうはひとによっては輝きに見えたりもするようだ。ひとの見え方って実に不思議なものだ。まったく、そんなことないのだけど。ふらふら、ゆらゆら、不安でいっぱいなのだけど。でも僕が30のときに僕と同じ立場の40の人間と話したら、そりゃあ同じ想いになったと思う。そして、そんな時だ。あの「プールサイド」という短編を想い出す時は。少しだけあの話が分かったような気がする時は。「得てしまったことで失うもの」。そんな言葉がぐるぐる頭を駆け巡るというか。

自分は40になって何かを手に入れたのかもしれないけれど、もうあの頃の不安で不安で仕方なかった、何にも無かった頃には戻れない。あの時のヒリヒリした感じとか心情とか、誰といつ飲んでも、どんだけ飲んでも結局は自分のふがいなさに戻って来るあの堂々巡り。それこそ『回転木馬のデッドヒート』。何回飲んでも最後は大抵同じ話になる。最後の最後は「・・・・・」で終わり。だいたい同じ不安を抱えているヤツとしか飲まないので(最高に幸せなやつとなんて飲むわけが無いし)、そりゃ飲んでも飲んでも同じわけだ。そして不安で仕方なかったあの時なんて、たったいま想い出したくもないのだけど、でもそれ以上に「もう戻れないんだよな」という想いもたしかに強くある。「そこまで行き着く過程こそが大切なんだよ」とかどこかの誰かはよく言うが、そんなの過ぎ去ってしまったヤツだからこそ言えるわけで。少なくともそんな言葉は自分には吐けないのである。・・・ん、ちょっと待て。ということは、まだ俺はあの堂々巡りのなかにいるということなのだろうか。


2016年11月15日火曜日

三周年




気がつけばまた一年経ち、どうやらお店が三周年を迎えていたようだ。前回もそうだったけど、ほんと気づくのが遅いし、その辺どうでもいいのかなまだ今は、と思ってる感が出てしまっている。いや、というか、たぶんこの2016年が凄まじくいろんなことがありすぎたせいかもしれない。でもだいたい10月末がオープン日みたいなので、今回の移転オープンはちょうど三周年と重なってたんですよね。んもう、誰か言えつーの。俺、気づけっつーの。

無事三周年のタイミングを迎えることになった移転先のこの店舗。満月ビル。結構場所も分かり難いし、街の中心部からちょいと離れているし、古いビルの3Fだし、全部自分でただ白く塗ったハコだし、隣の隣はなぜかボクシングジムだし、なかなか斯様のハングリーな状況なんだけど、結構通じるひとには通じているようで嬉しい。どちらかというと前回の店よりもコアな感じというか、分かってくれるひとには分かるよね的な趣きではあるので、そりゃやっぱり伝わると嬉しいんですよね。しかもなんか創り手のひととかうちのハードコアなお客様にひとまずびんびん来てる感じがますます嬉しくて。

こないだもそんなハードコアなお客様のひとりとずっといろんな話をしていたのだけど。

「こないだテレビで観たんだけど。やっぱり広告もメディアミックスが大事みたいね」

「ふーん。その言葉ちょい昔からよく聞くっちゃ聞くね」

「やっぱり例えばそれぞれの世代で見るメディアが違うから、当たり前にその辺も考慮して広告のお金の配分も決めなきゃいけないのよねぇ」

ふーん。そうなのか。まぁそうなのだろうなぁ。僕もこれまで店をやっていていちばん歯がゆいというか考えどころなのが、やっぱりちゃんと届いているひとに届いているか、ということであって。このSNS中心なご時世、うちもフェイスブックやらインスタやらを主に宣伝しているけど、どうもあれもよく分からないわけで。閲覧数なんかで数字は出るので「おお、届いとる届いとる」なんて一方で安心しちゃうけど、でも言ってみればあんなのただのカウント数でもあって、実際にお店の門をくぐるかどうかなんてもちろん分かりゃしないのだ。でも見えないものに力を使うよりか(例えばビラ配りとか)一応成果のようなものが見えやすいからやる側も安心は安心、というか。

ただ逆にSNSに囚われすぎると極端にムラ化してしまうというか、却って見方を狭めてしまうようで恐い面もあるな、と最近思った。例えばうちの奥さんなんかは基本、一切SNSみたいなものはしないひとなので、じゃあそんなひとにどう情報を届ければいいかというと、そこで止まってしまうわけだ。じゃあやっぱりあれでしょ、なんつってもほら口コミでしょ。となって、確かにそれくらい力強いものはないのは分かるのだけど、やっぱりそれにはそれ相応の時間の熟成みたいなのが必要になってくるだろうし、それより何より店を実際にやっていて驚くのは、自分の思考を遥かに越えた世のひとびとの嗜好世界の壮大さというか。

例えば自分が知っている店で熊本でもう十何年もやっていて、よく地方のメディアにも出てて、自分からしたらそらぁ大メジャーで知らないひといないっしょと思う店であっても、結構知られていないことが多いのだ、実際は。そのことにいつもいつも驚かされる。結局そのメジャー感はあくまで「自分のメジャー感」でしかなくって、世間はそんなこととは無関係にそこに在る。自分が考えているより遥かに世間は広いし巨大で、いろんなひとが居る。こう書くとそんなの当たり前じゃんと思うかもしれないけど、どうもそれを忘れがちなのですね、少なくとも僕は。こんな風にスクリーンとにらめっこしながら仕事をしている感じを装っているとどうもそこを忘れがちになる。

どんなひとでもいろんな繫がりのなかで生きているので、自然と知らぬうちにトライブ(集合体)のようなものができがちで、SNSがそれをまた色濃く反映し、そのなかで情報が生き渡れば知れ渡ったなんて思ってしまうけれど、それは大きな間違いであって。たかが熊本であっても実はそこに広がるのは広大な、まだ見ぬひとびとの大きな大きな連なりであって。そういう意味で今回の大統領選もなにか勝手ながらひとごとではなかった。本当に届いているひとに届いてるのかなぁ、届いた上での結果なのかなぁ、都会と地方、知識人とブルーカラー、SNSを駆使した情報戦、桁はまったく違えど、案外僕らがやっていることとそう遠くないのではないだろうかと思ってしまった。

「お前の視野と生活範囲はとにかく狭いんだから」。いつもそう自分に言い聞かせるようにしている。自分たちのトライブとは違う島が世にはたっくさんあって、そのひとたちだってもしかしたらうちのような店を求めているひともいるかもしれないのだと。そのひとたちに届けるにはどうすればいいのだろうかと。そんなことをぐるぐる考えながら、のろのろと三年目を通過する。










2016年11月9日水曜日

白川沿いにて



憂鬱。メランコリック。

外は途端に北風びゅうびゅう吹き荒れ、奥さんは珍しく風邪なんぞをひくし、そしてこの満月ビルだって冷えも冷える。40肩のカラダに大学生の時に買ったMA-1のジャムパーが重くのしかかる。珍しく普段喰わないお菓子なんぞを胃にむやみに放り込んでしまう。だからキモチ悪い。どうも精神に穴があいているときは、妙に腹になにかを詰めたくなるようだ。

今日は気づけば朝からずっとアメリカ大統領選挙の中継動画を見ていた。正直、最初は軽い気持ちで冗談半分で見ていたのだけど、だんだん暗澹たる気持ちになって、でも目が離れなくって、気づけば腹になにかを入れながら見ていた。この現実から逃げるかのように途端に眠くなってきた。へたに客が来なくて良かった。こんなときにどんな接客ができるというんだろう。この現実との乖離。取り残され感。俺が考えているよか世界は真っ暗感。

もうほんとにまるで漫画みたいな世界だ。誰がどう控えめに見ても「正」にはみえない、欲にまみれたエロジャイアンみたいなヤツがアメリカの大統領になってしまうなんて。いや、それで良い方に回っていく面もあるんだろうけど、なんせその事実がキツい。笑えない。アメリカの親は子どもになんて説明するんだろう?・・・だって。ねぇねぇ、そんじょそこらの町内会長じゃないんだよ?あのでっかい国の長なんだよ?アジアのどっか小さな国の偉いひとじゃないのよ?昔っから外国=アメリカだった、あの国のいちばん偉いひとよ?あのかっくいいケネディさんがなったやつ、JFKよ? そんなポジションなのに、みんなあんなヤツに投票してしまうなんて。

・・・でも自分には分かっている。何が自分にとって一番ショックなのか。大統領がどうこうというよりも、あのイギリスのEU離脱のときもそう思ったけど、もうこの現実に絶対我慢ならないひとたちがたくさんたくさんこの世の中に居るということ。あまりに変わることないこの世界にもう我慢のリミットが切れてしまっているということ。そのことを自分自身がきちんと捉えきれてないことが一番キツいのだ。たぶん。世界は、そしてこの国だって、見えない苦しみでいっぱいいっぱいなのだ。そういう世の中で自分も、自分の子どもだって、これから生きていかなくっちゃいけない。

思わずそんなことを考えてしまうのは、決してそんな話が自分の店をやっていくこととそう無関係ではないのではないかと思うからだ。なんだか今の世の中って、それぞれ発信できるシステムを持っているのに、却ってそれぞれの気持ちや都合が分からなくなっている気がする。いつも考えはそこに足り着いてしまう。分かってどうすんのよ?っていう話もあるけれど、少なくともその現実を捉えて手を考えないと、本当の満足感は得られない気がするし、あまりに空虚だ。「世間は広いよねぇ。だからなんでも難しいよねぇ」で終わり。そういう話がどこまで商売というものに繋がるか分からないけど、自分なりに捉えておきたいな、といつも思う。そしてそこを自分なりに捉えることというのは、何より自分の子どもに伝えるためでもあるように思う。遠いように思えることでも、実はぜんぜん遠くない。他人のことのように思えて、それはまったく他人事ではない。我が身のこととして捉える、想像力のようなもの。この仕事をしながら、少しでもそのことを考えられたら。

にしても今日は疲れた。早く帰って寝よう。・・・きっとアメリカのひとたちも疲れただろうな。






2016年11月7日月曜日

旅したボシャルウィット

今回の展示会は『旅するボシャルウィット』と題しており、11月3日から6日まで熊本のお店から天草に飛んで(というのはもちろん比喩で、実際は二台の車にラグをぎゅうぎゅうに詰めつつ)数日泊まりで出展してきた。




天草では毎年『天草大陶磁器展』というかなり大きな規模の催しがあっていて、それと並行するように別の場所で「アマクサローネ」というどちらかといえば手仕事にスポットを当てたイベントが行われていて、今回はそちらに特別に出展させていただいた感じ。本渡という場所の昔ながらの商店街にあった、元ギャラリーみたいなところを貸し切っての催し。







自然に恵まれたここ熊本において、海といえば天草、山といえば阿蘇、という具合に、まぁ言ってみれば天草は熊本の海の象徴と言える場所。レジャースポットでもあるのだけど、陶石で有名な場所でもあり、うちの店でも取り扱わせていただいている器の作家の方々が何人もいて、自分にとっても縁がある場所だ(下の写真は陶磁器展に出展していた、うちの店でもお取り扱いさせてもらってる金澤宏紀君の器)。



・・・なんだけど、以前から僕はこの地にとても独特なものを感じていて、それが気になって仕方がなかった。なんというのか、車で熊本市内からわずか二、三時間くらいで行ける場所なんだけど、その地に住むひとたちの間には、そこに住む人たちにしか分からない薄ーい膜みたいなのがあるようで、それはいったいなんなんだろうなぁと(もちろん本人たちはそれを感じていないだろうけど)考えていたわけで。疎外感、とまで書くと言い過ぎなんだけど、でもどうもあと一歩奥に入れない何かがあるというか。それはいったいなんなんだろうなぁと、今回の連泊で考えながら過ごしていたんだけど、答えはたぶん単純な理由だった。




「島」。それはここがまぎれも無く「島」だからじゃなかろうか。いつも大き過ぎて忘れちゃうんだけど、天草って実は島で、やっぱりちゃんと島特有の共有感覚みたいなものがある気がする。その共有感覚みたいなものを具体的に記しなさいよ、と言われると非常に困るのだけど、もしかしたらそれはハイヤの音楽が流れた途端にカラダが動き出しかねないその感覚なのかもしれぬし、ただただどでかい島で暮らしゆくことで産まれる緩やかで穏やかな共有感覚なのかもしれないし、それはなんだかよく分からない。でもたった二、三時間くらいの離れた土地において、そこには明らかにその地特有の時間の流れやひとの感覚があるのは確かで、その微妙なズレが心地よい。他の地から天草に移住する方も多いと聞くが、それも頷ける話である。いちどハマったらズブズブとなかなか抜けられない不思議にステキなヴァイヴのようなものが、この島にはたしかにある。




会期中、イベントに出ている女性スタッフはある魚屋(なのかな)のおじさんからどうも気に入られたようで、いつもなにかのお刺身をひとパック差し入れでもらっていた。それもスーパーなんかの小さいサイズじゃなくって、結構デカいのだ。昼間っからそんなナマのお刺身を何日もいただいてもなかなか困るだろうな、と僕なんかはひとごとで思うのだけど、まぁそうでもないのかもしれない。新鮮な採れたばかりの魚を捌いて女性に持ってくるなんて、なんというか生クサくてちょいエロでいい感じである。



でまぁ驚くことにというか、当たり前なのかよく分からないけど、素晴らしくうまい食べ物屋さんがちゃあんとあるんだな、これが。夜中まで開いてる昔ながらの焼肉屋、おでんがすさまじくウマい確実に人生狂いそうな居酒屋、飲んだ最後にカレー食べにみんな集っちゃうちょっとクラブめいたバー…。そりゃ都会に比べればその数は少ないかもしれないが、だからこそその集いは濃くって、一度行ったらドツボにハマってまた行かねばならぬその感じたるや。


ラグをたっくさん持っていっての出展はそれはなかなか大変だったけれど、でもその分、個人的な収穫はたくさんあった。やっぱりカラダを実際動かして苦労しないといまだに得ることのできないものはあるなぁと。ということで、「旅するボシャルウィット」はここ満月ビル3Fに帰ってきました。11月13日までです。




2016年10月30日日曜日

旅するボシャルウィット

とまぁなんだかもう移転オープンしてすぐなのに、後ろめいた文章を記してしまったようなのだけれども、実はそうではなくって。その辺の話が今回展示会中のモロッコのラグ、ボシャルウィットに繋がればと思っている。



『旅するボシャルウィット』。10月21日から11月13日まで、途中11月3日から11月6日の『天草大陶磁器展』でのアマクサローネ出展を挟みつつ、昨年と同じように香川の『maroc』さんよりたくさんのモロッコのラグが届いている。ボシャルウィットを始め、最高級ウールのベニワレンなどいろんな種類のラグたち。








ボシャルウィットというのは古着をさいて編まれたラグで、モロッコのベルベル族の女性たちが紡ぐラグである。言葉をもたない彼女達はさまざまな絵柄に想い想いの気持ちを込めながら、設計図無しでラグを編んでいく。それぞれの柄には魔除けだとか昔っから伝わる意味があって、それをそのときそのときの気持ちで編んでいくのだろう。僕は実際モロッコに行ったことが無いので、その辺の話はもちろん請け売りなのだが、でも本物のボシャを間近で見るとなるほどと頷きたくなる。それほどこのラグは「なにか」を物語る、というか勝手に物語りたくなるラグなんですね。





なんというか、デザインや色の発想があまりに自由。大胆。例えばたまにどこぞの子どもが書いた純真無垢な絵なんだけど、だからこそ惹き寄せられるものがあったりしますよね。あれに近いのかもしれない。なかにはきっちり幾何学めいた柄もあったりするんだけど、端の方はまったく違う柄になってて、そこがかなりのアクセントになっていたり。特に香川の『maroc』さんの扱うボシャはいずれも新品じゃなく古めで、だからこそますます造り手のなにがしかの想いがしっかりと残っているように思える。昨年から「ボシャと子どもの相性は絶対いい」と言ってはばからない自分だけど、それこそ前回の話じゃないが子どもにはスマホいじらせるよか、ボシャのうえで遊んでいてもらいたいなぁと思う。少しでいいから、その自由なる柄や色合いに触れて喜んでもらいたいと思ってしまう。進歩に進歩を重ねて、ある意味もうこんな場所へはきっと戻れないと分かっているこんな国にいる自分だからこそ、そう強く思ったりするわけで。





「遠い遠いアトラス山脈の女性たちから届けられた、名も無き手紙のようなもの」。僕はボシャをそんな風に形容しながら、そして勝手に想像する。モロッコはベルベル族のどこかのある女性がある季節に、たまたまある想いを持ってラグを紡いでいる。実はあるひとはあるひとに恋をしていて、ちょっとだけ編む気持ちに、その柄に、ほのかな恋心を入れてしまったり。またあるひとはたまたま今日吹く風になぜかしら恐怖を感じてしまい、そのテクスチャーに不安みたいなものが垣間見えたり。またあるひとはただただいく日もいく日も無心にラグを編み続け、その無心こそがそっくり柄に現れてしまったり…。もちろんそんなストーリーは勝手な僕の想像なんだけど、でもあり得ない話ではないと思うし、想い想いが現れる手仕事だからこそ、そのバックグラウンドは計り知れないと思うのです。



学者じゃないのでその柄からは分かりっこ無いけど、でもそんな遠い遠い不思議な可能性が僕らの目の前にあるのがとても愉しい。そんな想いがモロッコから香川に行って、たったいまここ熊本の古いビルの3Fに在るのが奇跡的で面白い。そしてもし、今回の展示会で、そんなラグが巡り巡ってあなたの家に届いたとしたら。