2018年10月29日月曜日

動物嫌い、再び。



今回のモロッコラグの展示会のDMの撮影はなんと宮崎まで行って来た。今年で4回目となる香川の『maroc』さんのラグの展示会。前回は阿蘇の草千里に行って、朝日を浴びるなかぶるぶるぶるぶる震えながら、ついでにカメラマンのえとうくんは馬にもぶるぶる震えながら撮ってもらったのだが、今回は海であった。そして今回、彼は犬に震えることになるのだが、それはまぁいいとして。

熊本を夜中に出て、経費削減のために高速を使わず、延岡の海岸を目指す。途中、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』さながらの奇妙でスピッた暗闇のなか、自然なる狐だか狸だかの光る眼を確認しながら、まだ朝日のあがるちょいと前、さらに真っ暗闇のなか車は海岸へ無事到着する。そう、まだ見ぬ、見知らぬ暗闇の海岸とは恐ろしいのだった。ダダッ広いと思われる、あくまで暗闇なのでどこまで広いのかも分からない海岸のなかで、ほとんど体感的に「ゴゴゴゴゴー」と恐ろしい波の音が迫ってくる。う、うおっー。見えない自然ってこんなにもこえー。いちど駐車場のような場所に車を停めて、林めいた場所を歩いて抜けようとするが、ふたりしてなんだかいつだかに観た珍作『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が浮かんでしまい、すごすごと車へ戻る。映画好きもこんなときは逆効果のようである。



でもそもそもラグは大きくて重いし、カメラの機材もあるし、できるだけ先へゆきたい。行っておきたい。暗闇だし、歩くのも億劫だし。であれば、できるだけ先へ行ってみようとバンのギアをいれてゆっくりと暗闇のなか進んでゆく。進んでゆく。すすんでゆ・・・「ぎゅるぎゅるギュル~」。あ、あれれ? 進まない。進まなくなった。当たり前だ。気がつけばそこはもう砂浜だったからだ。後輪が砂浜に埋まって動かなくなったのだ。「ぎゅるぎゅるギュル~」「ぎゅるぎゅるギュル~」「ぎゅるぎゅるギュル~」。こう見えて高校の頃、ラグビー部だった自分は当時のスクラムを思い出しながら後ろから「うおー!!」と押してみはするが、まったくダメである。というか、ますます後輪は深く悲しく砂のなかに埋まって沈んでゆくばかり。

しょうがないから、泣く思いで保険に電話してみると、どうもJAFを呼ばないと対応出来ない様子。そしてそれには一万五千円かかる様子。せっかく高速を選ばず来たのに・・・。ああ、もう、どうすればいいんだ。でもそろそろ外は明るくなってきている。とにかくここには撮影をしにきたのだから、なんといっても最低でも撮影は終わらせなければならない。これでモノがあがらなければシャレにならない。「まぁなんとかなるか」とお互い無理矢理強気の姿勢を見せながら、でもじつは完全に気持ちは萎えつつ、撮影を始める。どうにもならないと分かっている、こういう負け戦の仕事とはほんとうに辛い。気持ちが萎えたまま、アガることは決して無いからだ。なぜか、AV男優って仕事は思っているよか大変でキツいんだろうなぁ、なんて考えが脳裏によぎる。いやいや、そんなこと思ってる場合じゃないって。しっかりしろ、俺。なんとかごまかしごまかしやるしかない。



と、撮影をしていると遠くから放し飼いの一匹の犬が近づいて来る。「まさか・・・。野犬じゃないですよね」。そんなとんでもないことをカメラマンのえとうくんが言う。彼は基本的に動物が、なんといっても犬が大の苦手なのだ。「いやいや。朝方なんで誰か散歩させてるんでしょ!!」。隣で僕がいきり立つ。しかし確かに飼い犬というよりかは筋肉が妙にたくましく、そして痩せていて俊敏なようにみえてきた。「・・・おれ、まじで闘いますからね」。そういって彼はその辺にある流木を強く静かに握りしめている。完全にやる気なのだ。「もうどうなってもいいや。野犬でもなんでも来いよ」。と、ひとり思う、僕。今考えると笑えるが、車のことがあり、もはやふたりとも精神的に常軌を逸していたことが分かる。もちろん犬は飼い犬であった。


そういいながらようやく撮影も終わりかけ、そろそろ片付けようか、というかJAFに連絡か、と思っていた矢先、一台の軽自動車が砂浜にやってくる。なかから出て来たのは屈強で見事に頭がはげ上がったおじさんであった。彼はおもむろに長いロープを車から取り出す。ろ、ロープ・・・? ま、まさか助けが・・・。僕らが信じられない!と顔を見合わせていると、またまたおもむろに車から一匹の大型犬がひょいっと出て来る。い、犬の散歩かよ。そりゃ、そうだよなぁ。そんな甘くはないよなぁ。

・・・だがそのおじさんこそが僕らの救世主であった。禿げたメシアであったのだ。僕らがどうしようもなく車に機材を運び込んでいると「・・・引っ張ってやろうか? 」と声をかけてくれるのだ。軽で引っ張ってこの埋まりが抜けられるのか心配だったが、おじさんは前輪近くにロープをかけ、引っ張って見事にこの状況を打破してくれた。伺ってみればここは僕らのような失敗をするひとがかなり多いらしい。このメシアは何度となくそういうひとたちを助けてきたご様子。でも僕らからすればほんとうの、正真正銘の救世主であった。深く深く頭を下げたのは言うまでもない。「いやいや。大した事じゃないよ」。禿げたメシアはそう軽く言って立ち去った。またここにひとつ生まれし、メイクドラマ。というわけでありました。

そんなわけで、そんな冒険野郎マクガイバー的状況を切り抜けながら、モロッコラグの展示会が始まりました。










2018年10月6日土曜日

純潔な辛さ






 『Mono Fontana/cribas(モノ・ファンタナ/クリバス)』。これが今回の展示会のために僕が選んだ音楽で、よく店内でかかっている。

モノ・フォンタナというひとはアルゼンチンのキーボード/ピアニスト。そもそもアルゼンチンというのはサッカーで有名な国だけではなくって、じつは音楽も奥が深く、音楽好きにはよく知られている「アルゼンチン音響系」と呼ばれるシーンがあって、カルロス・アギーレ、フェルナンド・カブサッキ、アレハンドロ・フラノフ、とかとか、名前を並べるだけでなんだかゾクゾクするような音楽家たちが多数いたりする。その音楽はといえば、南米というわりにはとても静寂を帯びていて、民族音楽をベースにはしているのだろうけど、確実にクラシックの色合いが濃く、ちょっと宗教性も感じさせるものもあったりして、とにかくどれも静かに美しい。ただ単に楽器を鳴らすだけでなく、さまざまな自然音も聴こえて来るのも特徴のひとつで、そんな音の組み合わせが鳴らされた空間に不思議な協和を産み出してくれて、このモノ・フォンタナのアルバムもそんな一枚である。

・・・とまぁそんなウザいレビューみたいなものはググれば誰でも分かる事でどうでもいいのだけど、とにかく僕がこのモノ・フォンタナというアーティストを知ったのはもう随分前、東京にいるときだった。その頃、僕には祐天寺に住んでいる音楽+呑み友達が居て、夜な夜なふたりで呑んではその友達の家に泊まり、二日酔いを抱えたまま、とにかく辛過ぎるカレーをよく食べたり、その後、ガード下にある中古レコード屋に行っては金もないのにいつまでも粘っていた。法外に、純真に、純潔に、辛過ぎる、でもどうしてもなぜかまた食べたくなるその不思議極まりないカレーは、どうしてなのか同じものを同じ辛さで食べても、いつもこちらが感じる辛さの度合いが変化して、まったく普通に美味しく食べれるときもあれば、あまりにトゥーマッチでゼイゼイ言いながら食べるときもあった(まぁそのときのほうが多かったけれど)。その日によってカレーの味も辛さも変えてあるわけがないのに自分がそうなるのは、きっと純潔な辛さというのは、食べるこちらの体調や気持ち次第で感じ方が変わるから、もしかしたら舌の感覚も変わるんじゃないか、などとどうにもならないことをよく考えたものだった。


・・・いや、やっぱりそんなことはどうでもいい。話は音楽である。そういうわけでそのガード下のレコード屋に当時よく僕は通ったのだが、そのときにこのモノ・フォンタナの中古CDを見つけたことがあったのだ。見つけたすぐからその幻想的なジャケットが気になって気になって仕方が無かったのだけど、そしてそれは本当に長い事売れることも無く、たいして高い金額でもないのにそのCD棚にずっと置いてあったのだけど、なぜか買う事が無かった。いつも迷って他の音楽を手にしたのかもしれない。そうして結局、東京を離れてこちらに来ても、その手に入れることの無かった音楽がどうも気になって仕方なく、「いつか手に入れなければならない音楽」のひとつになっていた。


なぜだか分からないのだけど、今回の展示会の前にようやくなんとなくこのひとの音楽を買い求め、聴いてみると、ずばりその通りの、こちらがこの展示の空間に求めている音楽だった。音楽自体がとても映像的で、谷口さんの作品の世界観と絶妙に合っているような気がする。そういえば谷口さん自身も実に音楽に造詣が深いひとで、在廊のときはかなりいろんな音楽の話をした。彼女の父親がクラシックマニアで、小さい頃、こちらがテレビで『キン肉マン』を観たいのに、父親が珈琲豆を自分で挽いて淹れる儀式が終わると、おもむろに同じ部屋でクラシック音楽のレコードを聴き出すので、悔しながらもテレビを諦めたこと。でも結局その父のレコードコレクションの一部をいま譲ってもらい、その当時父が聴いていたクラシック音楽はどうにも自分に染み付いてしまっていること。僕も彼女もスピッツの音楽(特に初期)と世界観が好きで、お互い草野マサムネの話を始ればとめどのないこと。あんまりジャンルに捕われて音楽を聴く事はなく、そのときそのときの自分の感性と流れによって偶然と必然に導かれながら音楽を聴いたりすること。そういう意味ではこないだはマイルス・デイヴィスの『リラキシン』の話をお互いしきりにしたっけか。


まぁそういうことと、選んだこのモノ・フォンタナの音楽がどう関係しているのか。関係していないような気もするし、しきりに関係しているような気もするし、どちらかは分からないのだけど、でも結局のところ僕は、すべての物事はどこかで繋がっていると捉える方だし、思えばもしかしたらもう10年以上も前になるであろう、あの祐天寺のガード下のレコード屋におけるこの音楽家との出会いが、たったいまこの展示会で結実したのは、やはりなにかの必然だろうとなんとなく思っている。もうこのことはあのときに、あの純真に、純潔に、辛過ぎるカレーを二日酔いで食べていたあのときに、もう決まっていたのだろう、と。そう考えるととても奇妙で、また再びあのカレーを食べたくなって仕方がない。




2018年10月5日金曜日

谷口聡子展示会『調和』

「なんか生き物、動くものが欲しいですね」。

いつもDMの撮影をお願いしているカメラマンのえとうくんが、DMの撮影中にそう言った。たぶんなかば冗談で言ったのかもしれないけども、自分はなんとなく間に受けて、裏の白川公園にひとまずアリを探しに行った。できれば黒大アリ(って名前かは知らないけれども黒くて大きなアリ)を見つけたかったのだけど、どれだけ探しても見つからず、小さなアリしかいない。しょうがないから、その小さな子たちを何匹か箱に詰め、店に戻って作品に放ち、写真をシュートしてもらう。・・・が、やはり小さ過ぎてダメみたいである。

「ウーン、できれば蜘蛛なんかがいるといいんだけど」などとふたりで言い合いつつ、僕がおもむろに店の入り口に出てみると、そこに偶然にも小さな蜘蛛がいた。ぴょんぴょん跳ねる小さな蜘蛛が。潰さないように、逃がさないように、なかなか苦労してようやく捕まえて、ピアスたちのなかへ蜘蛛を放つ。・・・そうして今回のDMのメインの写真は決まった。なんだかあまりにも出来過ぎた話だけど、こういうことはたまにある。




しかもそのあと調べてみれば、今回の展示会の作家である谷口聡子さんのテーマは自然であり、それを題材にしながらニット作品を創ることが多く、なかでも蜘蛛の巣はずばりそのテーマに沿ったもので、実際に蜘蛛の巣のような細く繊細な作品を創られているし、今回その作品も展示されている。まぁ蜘蛛が取り持つ縁というか、巡り合わせというか、とても不思議な感じで、でもなんというのだろう、その辺の偶然性もこの作家っぽいなぁとなんとなく思ったりする。



そう、今、展示会をさせていただいている谷口聡子さんはニット作家で、たった二本のシンプル極まりない棒を使って大きなインスタレーション作品やピアスやブローチなどのアクセサリーを産み出し、そして今回は初めて身に纏うものとしてセーターも展示させていただいている。染色も学ばれていて、その作品のほとんどを自分で染めているという奥深さだ。その作品たちをひとことで言い表すのは難しいのだけど、なんだかとても不思議なバランスを感じる。もちろんすべて手編みなので、どこかしらあたたかいのだけど、だがしかし限りなくアヴァンギャルドな感じもある。髪の毛よりも細い糸で編まれていたり、ときに雑草を使って編んだ作品なんていうのもあったりする。自然をモチーフに選んだその世界観はちょっと狂気を感じさせながらも、風を感じ揺れると途端に愛らしくなる。狂気と愛らしさの間。それこそが自然というものなのかもな、とぼんやり思ったり。










今回数多く展示されているピアス。とにかくかわいい。かわいいが、よおく見ているとそれがただただかわいいだけではないことに気づく。ひとつひとつがあまりに細かく、そして同じ物がなく、その多くにヴィンテージの糸を使い、さらりと天然石がいたりする。かわいさの奥に技術に裏付けされた念のようなものがあり、それはただのかわいさだとか単なるアクセサリーであるということをなかば遠ざける。だからなのか、作品がたくさん並んでいる様を見るとみなさん途方に暮れている。なんだか凄い物に直面しているなぁ・・・とでもいうように。





じゃあそれを産み出している作家はどんなひとかと言えば、僕と同じくらいの年齢の女性で、穏やかだがあくまで酒に強く、ふわふわしているようで実際はきっぱりとした頑固な芯を持ち、まぁひとことで言うのならば限りなくキュートで、幾ばくかの・・・いやかなりの熱を、帯びたひとである。おばあちゃんになっても必ずや今と変わらず二本の棒でなんらかの作品を産み出している姿が浮かぶような、そんなひと。実際にお会いしてお話しすると、その作品のあり得ないくらいの重みと面白いくらいのマッドさがかなりあがるので、在廊日にもっと多くのひとに会ってほしかったなぁといまさら悔やんでいる。



というわけで展示会は10月8日、来週月曜まで続くのです。