今回の展示会は『旅するボシャルウィット』と題しており、11月3日から6日まで熊本のお店から天草に飛んで(というのはもちろん比喩で、実際は二台の車にラグをぎゅうぎゅうに詰めつつ)数日泊まりで出展してきた。
天草では毎年『天草大陶磁器展』というかなり大きな規模の催しがあっていて、それと並行するように別の場所で「アマクサローネ」というどちらかといえば手仕事にスポットを当てたイベントが行われていて、今回はそちらに特別に出展させていただいた感じ。本渡という場所の昔ながらの商店街にあった、元ギャラリーみたいなところを貸し切っての催し。
自然に恵まれたここ熊本において、海といえば天草、山といえば阿蘇、という具合に、まぁ言ってみれば天草は熊本の海の象徴と言える場所。レジャースポットでもあるのだけど、陶石で有名な場所でもあり、うちの店でも取り扱わせていただいている器の作家の方々が何人もいて、自分にとっても縁がある場所だ(下の写真は陶磁器展に出展していた、うちの店でもお取り扱いさせてもらってる金澤宏紀君の器)。
・・・なんだけど、以前から僕はこの地にとても独特なものを感じていて、それが気になって仕方がなかった。なんというのか、車で熊本市内からわずか二、三時間くらいで行ける場所なんだけど、その地に住むひとたちの間には、そこに住む人たちにしか分からない薄ーい膜みたいなのがあるようで、それはいったいなんなんだろうなぁと(もちろん本人たちはそれを感じていないだろうけど)考えていたわけで。疎外感、とまで書くと言い過ぎなんだけど、でもどうもあと一歩奥に入れない何かがあるというか。それはいったいなんなんだろうなぁと、今回の連泊で考えながら過ごしていたんだけど、答えはたぶん単純な理由だった。
「島」。それはここがまぎれも無く「島」だからじゃなかろうか。いつも大き過ぎて忘れちゃうんだけど、天草って実は島で、やっぱりちゃんと島特有の共有感覚みたいなものがある気がする。その共有感覚みたいなものを具体的に記しなさいよ、と言われると非常に困るのだけど、もしかしたらそれはハイヤの音楽が流れた途端にカラダが動き出しかねないその感覚なのかもしれぬし、ただただどでかい島で暮らしゆくことで産まれる緩やかで穏やかな共有感覚なのかもしれないし、それはなんだかよく分からない。でもたった二、三時間くらいの離れた土地において、そこには明らかにその地特有の時間の流れやひとの感覚があるのは確かで、その微妙なズレが心地よい。他の地から天草に移住する方も多いと聞くが、それも頷ける話である。いちどハマったらズブズブとなかなか抜けられない不思議にステキなヴァイヴのようなものが、この島にはたしかにある。
会期中、イベントに出ている女性スタッフはある魚屋(なのかな)のおじさんからどうも気に入られたようで、いつもなにかのお刺身をひとパック差し入れでもらっていた。それもスーパーなんかの小さいサイズじゃなくって、結構デカいのだ。昼間っからそんなナマのお刺身を何日もいただいてもなかなか困るだろうな、と僕なんかはひとごとで思うのだけど、まぁそうでもないのかもしれない。新鮮な採れたばかりの魚を捌いて女性に持ってくるなんて、なんというか生クサくてちょいエロでいい感じである。
でまぁ驚くことにというか、当たり前なのかよく分からないけど、素晴らしくうまい食べ物屋さんがちゃあんとあるんだな、これが。夜中まで開いてる昔ながらの焼肉屋、おでんがすさまじくウマい確実に人生狂いそうな居酒屋、飲んだ最後にカレー食べにみんな集っちゃうちょっとクラブめいたバー…。そりゃ都会に比べればその数は少ないかもしれないが、だからこそその集いは濃くって、一度行ったらドツボにハマってまた行かねばならぬその感じたるや。
ラグをたっくさん持っていっての出展はそれはなかなか大変だったけれど、でもその分、個人的な収穫はたくさんあった。やっぱりカラダを実際動かして苦労しないといまだに得ることのできないものはあるなぁと。ということで、「旅するボシャルウィット」はここ満月ビル3Fに帰ってきました。11月13日までです。
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