2015年9月1日火曜日
夏が終わる
なぜか最近、少しずつブログづいている。なぜだろう? たぶん、もう秋だからだろうと思います。なんといっても秋はいちばん好きな季節で、実はどこか感傷的なんだけど、それを覆い隠すように埋めるように文章や酒が消費されることになるわけで。・・・いや、待て待て。もしかして仕事がヒマだからかもしれないな。それだとしたらなかなかの問題だけど、まぁいいや。ともあれ、自分としてはどこかの店のニンゲンがあまり雑作もない、くだらないことをたらたら書いているのを読んだりするのが案外嫌いじゃなくて。すべてがすべて商売っ気に繋がることがそんなにいいとは思わないし、店のニンゲンが自分をアゲるためだけに書かれたような類いの文章が自分はあまり好きじゃあない。だから今回はできるだけくだらないことを書こうと思う。
ということで、「夏の終わり」。毎年それを感じたその日には、スピッツの「夏が終わる」という曲をなんとなく聴くことにしているのだけど、どうやらあれが入ったアルバムが見つからなくて。しょうがないから別のアルバム(「惑星のかけら」)なんかを聴いている。それにしてもこの時期のスピッツは透き通っててやっぱりいいですね。まぁたぶんいまも変わらないのだろうけども。
それはさておき。よく知り合いというか友達の女の子に「なぜにあなたの文章はそんなにも改行が少ないのか」と問われることがある。そんなこと言われてもよくわからないんだけど、たしかにそうだ。特にフェイスブックの文章は大抵は一息一筆な感じでいつも書いているので、もう文章がまんま塊となってしまう。というかそもそも本当に人に読まれている、という実感もあまりなくつらつらつららと書いているので(もちろん展示会のときなんかは別ですが)さらりと書いてまんまアップすることになる。そしてお店で「いつも読んでいます」という感じでお客様に直でお会いすると、かなり赤面することになるわけで。そうか。本当に読まれているのか。でもそうかといって、細かいところまでちゃあんと伝わっているかというと実はそうでもなくて、読み方も受け取り方も伝わり方も人それぞれなので、文章で伝えるということはすごく難しい。
話はまた変わって、ブーメランのように戻る。正直、自分の子どもにはどうこうなって欲しいというのはまったくなくて、限りなく「普通のひと」になって欲しい。だから、なんなら七夕の願い事にもそう書いたくらいだけど、でもできたらこんなイメージのひとになって欲しいなぁというひとが自分のなかには数人いて、そのなかのひとりがスピッツの草野正宗、そのひとであり。まぁどう考えても普通のひとではなく、アブノーマルだけど、まぁそれでも。というか、昔からあちこちでよく言ってるけど、自分はこのひとの歌詞が個人的にいちばん好みでしっくりくる。いつだって遠くどこかにある小さな世界を大切にしていて、痛いこととか競争がなんとなく嫌で苦手で、限りなくセンシィティヴだけど、かといってただただド・センチメンタルというのでなく、でもちゃんと深く深くスケベでエロである(ここがとても大事)。理想のもうひとりはなぜか日ハムの大谷選手なのだけど(もちろんプロ野球選手になってほしいということでは断じてまったくなくて、あの飄々とした佇まいというか)まぁそんな話しはどうでもいいか。それにしても。ああ、もうほんとうに夏が終わりますね。・・・という感じで、このどこにもたどり着かない文章も終わりを告げる。
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