2017年11月11日土曜日

文化が町を作る、とは

今回も昨年と同じように、天草に出向き、『天草大陶磁器展』の「アマクサローネ」に参加させていただいた。搬入日から含め実に五泊六日の旅。いやはや、なかなかにハードで楽しい旅であった。



昨年はモロッコラグの販売をしたけど、今年は友人でもあるきんちゃんの洋服ブランド『catejina』との出展で、洋服を始め、さまざまなうちの雑貨を販売させていただいた。まぁそんなに長い間、店を閉めて出展して果たして大丈夫なの?というのもあるのだけれど、今回はとにもかくにも我が友人を天草に連れて行きたかったし、とにもかくにももっと天草という地を知ってもらいたかった。それが必ずや長い目で見れば、今後良き面に左右するはず。つうか、そんなバディ的理由で事を進めていいのかと不安になるが、まぁいいんである。局面局面で己の意思で舵を切り続けるのが個人店の役目であり、強みなのだから。と強引に話を進める。



本会場のホールには地元天草の創り手を始め、実に110の窯元の出展者があり、その器うつわした広がりはなんとも圧巻であった。見ても見ても、うつわ、器、ウツワ、utuwa…。そこに過去最高の来場者数も相まって、ホールはなにやらとてつもないグルーヴを醸し出していた。110も創り手がいれば、もちろん自分的には絶対選ばないテイストの創り手もあるのだけど、いやいや確かにその点こそが大陶磁器展としての醍醐味であるかもしれなくて、果たしてどんなひとが足を運んでも何かしら引っかかる器が見つかるのかもしれぬなぁ、と小さき店の店主はおののくのであった。



・・・ただ、逆にいえば、だからこそうちのような小さな店主のエゴ&チョイス丸出しな店の役割も見えてくるというか、その点を確認できたのも大きかった気がしている。実際に会場にいらしたうちのとあるお客様もおっしゃってたけども、100を超えるあの圧倒的なラインのなかからたったひとつの器を選び抜くエネルギーというのはひととして確かにハンパないわけで。そこを小さな店のこの店主のあまりに偏った独自目線でしっかりと選んでは無闇巧みに編集し、そしてそこのあなたにどうにか紹介するのがなんとしても自分の役目なのだと。まぁいろんな独自目線が存在するのも大事だから、ひとそれぞれでいいけども、たまたまこの店の目線を共有できて、喜びを他の誰かと分かち合う、それだけがこの世の中を熱くする、といった感じになればいいよなぁと思ったりするわけで。

だから我の売り場をさぼっては器の渦のなかに没入し、「・・・ああ、なんだかんだいっても自分は器が好きなのだなぁ」とぼんやり思いながら会場をぐるぐる周ってさまざまな作品を観ては、あらためて自分の店がチョイスした作家たちの素晴しさを鑑みるという、よくわけのわからぬ自画自賛的作業を結構繰り返した。もちろん新しい出会いもあったけど。



それにしても驚いたのが、器が売れゆくパワーだった。それぞれのお客様たちの買い物かごにはそれこそ器がいっぱいいっぱい。モノが売れない売れないと嘆く売り手たちを他所に、この圧倒的に結集した創り手たちの作品はぼんぼこと旅だっていく。でもまあそれもこのとんでもない舞台あってのもの。こんなとんでもない舞台を用意する主催者の方々の苦労を思うと、んもうヤになってしまうくらいだけど、そこまでしないとここまでモノは動かないということなのだろうかしらん。

まぁそれはそれとして。今回の旅はどちらかというと本当に我が友人にこの地を知ってもらうためのものであって、もちろんそれは昨年のこのイベントに参加させてもらったことで自分がこの地を改めて知ったからに他ならなかった。しかもcatejianのきんちゃんとは本当にお互い時間があればあるだけ延々と食い物とか酒とかウマい店の話ができるという、食い吞みバディであって、そこに新たに天草という共通の体験ができるだけで、はたまたその話を肴に新しい酒が飲めるであろうという、終わること無いループ&ループな旅の始まりでもあるのかもしれなかった。もはや聖地と呼びたくなるくらいの「丸高」。いわんや、丸高に始まり丸高に終わる。そして、どう始まろうとも汝なぜか食道園に終わる。熊本市内ではもはや過ぎ去り消え去りし古き良き老舗のグルーヴが日夜僕らをキックする。












catejinaは今回のために「SHIRO AMAKUSA」ロングTを創ってくれて、かなり好評であった。新作のサッカーマフラースウェットもこれまたかなり手応え十分で、11月23日からまたキックするうちの展示会でも好評だろうと推測する。数字的にはとんでもなく良くもなかったけれど、まぁなんとか悪くはない感じだ。昨年はこの天草という地がなんとはいっても島である、ということを身を以て知った旅であった。であれば、今回の旅の意味とは(というか果たしてそんなものがあればの話だが)なんなのだろうと、特に最終日、ひとりになってぼんやりとしながらずうっと考え続けていた。



カルチャー。答えはたぶん、それだった。あたりまえにそれしか無かった。もちろん僕は友人にこの地をもっと知ってもらいたくて今回の旅に出向いたのだけど、それはもっといえばこの地にしっかりとしたカルチャーが存在するからに他ならないのだった。それは食べ物しかり。そして音楽しかり。例えば展示会中に入り口のところで地元ハイヤの踊りが催されていたのだが、これがまた素晴しく、市内から来たきんちゃんの友人のDJはあまりに感動してフル尺を聴き入ってしまったくらいだった。でもそれがどんなグループが演ずるハイヤであってもそうあるかといえばどうもそうでもなく、やはり歌う、弾く、踊るひとたちによってグルーヴというかそのネイティヴ具合にどうやら違いがあるようで、こちらのノリにもそれは確実に伝わってくるのである。ということは、つまりそれだけ奥が深いに違いなくて、地元のひとからすればそれはたわいもないことなのかもしれないが、でもそこには歴史に裏付けられた確かで豊かなカルチャーが存在するといっていいだろう。そしてそれはもちろん陶芸の世界とて同じであろうと思う。天草陶石をバックボーンにしながらこの地が産み出す作家、作品の数々はあまりに豊かで、なぜ未だに地元熊本でもその事実を知らない人間がいるのかと訝しがりたくなるくらいである。でもそれは渦中のひとびとにはなかなか分からない。ましていわんや豊かさのなかにいるひとたちにはますますそのことは分かりっこ無い。そういう意味ではこの地は本当に豊かであると思う。そのことを体現した僕らにできることとは果たしていったいなんなのだろう。そんなことをぼんやりと考えている。・・・とある賢者は言った。「人びとの文化は、町を作る。そして都市を作る。」今回の旅でその言葉がこんなにも身に滲んだことをここに記しておく。











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