2018年9月7日金曜日

創作の道標

初めて『阿蘇坊窯』の工房兼ギャラリーに伺い、作家の山下太さんにお会いしたとき、そこではちょっと不思議な音楽がかかっていたような記憶がある。フリージャズのインプロヴィゼーションみたいな、そしてそこに電子音も混じったような、とにかく自分ではあまり聴き馴染みのないタイプの音。でも不思議とその場の、阿蘇という土地が持つ神秘的でも寓話的でもあるようなその場所の感じに合っていた。




特に『阿蘇坊窯』の工房があるその場所はなぜか屋根から木が生えていたり、なんだか妙な磁場があるというか、置いてある作品がさらにそれを後押ししているのだろうけど、そんなに山奥に入っていないのに、どうもスピリチュアルな匂いのする場所なのだ。

「・・・音楽はお好きですか」と月並みなことをたしか僕は最初に聞いたような気がする。僕自身も音楽は好きなのだが、だからなのか、うちで取り扱わせていただく作家の方々はなぜか音楽が好きな方が多いんですよね。とかなんとか。

「ああー。まぁ器を創るのって、なかなか孤独な仕事だから、案外と音楽を友というか、大切にしているひとは多いんじゃないかなぁ」。そんな感じのことを山下さんは言ったと思う。そういう目線は初めてだったので、幾分驚きながらも感心していると、棚の下を開けて山のようなCDを山下さんが見せてくれる。やっぱりどれも自分が知らないタイプの音楽ばかりだった。なかには縄文の音楽、だとかもあった気がする。



「とにかく音楽の存在が自分の創作の道標みたいなものであり、まだ聴いたことのない、新しい音楽を探して聴いてはそれが自らの創作の糧になっている」。お話を伺ってみると、自分が想っていたよりそれ以上にこの作家は音楽にコミットしているようで、その地とその土に取り憑かれながら、そこでは常になにがしかの音楽が鳴っているらしかった。到達してはそれを崩し、創作してはそれを超えようとし、形にしてはまた無形になり、そしてまたその無から新たな線を産み出し、そしてそこではまた必ずや新たな音がなっている。だからこそ常に新しい音楽を探し求めている。そういう景色が勝手に目の前に見えるようだった。

なんとなくの、柔らかな展示会の約束を結んだ後。店に帰っては幾日も「自分はあの場で鳴らすことができる音楽を果たして知っているだろうか」と何日も悩んで考えた。別にそんなこと考えなくてもいいのだけれど、なんというか、自分のなかであの場所のサウンドトラックみたいなものをどうしても探してみたかった。そしてできるなら、それを作家自身に報せてみたかった。


何日も悩んで考えたと書いたが、じつも最初からもう自分のなかでは決まっていたような気がする。帰りの車中の脳裏で鳴っていた気もするし、子どもに夕飯を作っていたときにふと思いついた気もする。なんだかよく分からないが、とにかくファラオ・サンダースのこの『Thembi』というアルバムしか無いように自分には思えた。この呪術的でカオティックな、生と死がごちゃまぜに絡まったような、祝祭的であり同時に死も感じさせるような、でもどうしようもなく何度も何度も惹き寄せられてしまう、まさに魔のような音楽を。

もちろん僕はこの音楽を作家に勝手に送りつけた。・・・そしてやっとそこから、この展示会ははっきりと始まりを告げることになった。