店のキッチンでは延々鶏ガラの鍋がぽこぽこぽこぽこぽこあぽこ。あるならば、煮干しやら昆布なんかも入れて、トロ火で二時間くらい茹でればそれでよし。このベースさえあれば、後はどこかで旨味をプラスすればいいわけで。例えば今の季節であれば、あさり。とさらに例えば豚肉とトマトを小鍋に入れてある程度煮詰まったら、人数分の鶏ガラスープを入れればよし。例えば味付けはナンプラーと塩で。
そんで時には店がラーメンの屋台みたくなったりね・・・。
そもそも「・・・ラーメンってまず自分ちで作らないし、あんま食べないし」というひとも今回聞いてみるとけっこう多い。やっぱりインスタントが多いのだろうし、カップ麺派も多いのだろう。そりゃ俺だってよく分かる。でもせめてインスタント麺でもオキニの器で食べて欲しいなぁ。そんくらいの余裕が自他ともに欲しいなぁ。だってそうじゃないとうちやってけないもん。そんな世の中であってほしいなぁ。じゃなかったら、ユキヒラごとずるずる喰って鍋縁からスープすすってあちいあちい言いながら喰ってほしいなぁ。
でもラーメンのスープ作るのって、こだわらなければほんとハズかしいくらいに簡単なんだけどなー。しかしまたこういうことを書くと、「なんだか偉いですねぇ、なにしろすごいですねぇ、だってだってスープから作っちゃうんですもんねぇ」とほとんどほめ殺しの刑みたいなものにあったりするのだけど、たぶんほんとはその辺の意識みたいものから少しでも分かってもらいつつ変えていかないと、本当の意味でモノだって売れないのかもしれないし、何事もダメなのかもしれないなぁ。や、だって今の時代モノを買うのって、ただただモノそのものを買うのではなくって、その背後に存在するものごと買う感じだものね。そーゆーの、ストーリー性つうの?
でもだからつっていまの世の中、いわゆるライフスタイルショップ、ライフスタイルマガジンは多いけれども、なんだか圧倒的に形だけのものが多いでしょ。ナチュラルふるゆわ系の残り火つうか。でもさ、俺ときみのライフスタイルなんて俺ときみにしか分かるわけねーじゃんか。アイニードトゥビーマイセルフ。いや、アイニードトゥマイラーメン鉢。だってどこの店もラーメンのスープの作り方やらオキニのラーメン鉢なんて提案してくれないじゃないっすか。んじゃあ俺やきみはどうしたらいいんすか。それこそが俺らのライフスタイルなんじゃないっすか。
でもつくづく思うけど、この国では毎日のようにさまざまな料理本が出版されているし、日々全国の料理家の方々がそれはそれはまるでミリ単位を求める繊細な探検家のごとくレシピの研究をされていて、自分だってその点ではとても助かっているのだけど、でもだからこそみんな最初から正解を求め過ぎてる気がする。別に料理なんて、特に自分たちで作って食べる料理なんて、そもそも正解は無いと思うんだけどなー。「ある日突然、となりに住むおじさんから今朝釣ったばかりの鯛をまるごと一匹いただいちゃいました。さぁどうしましょうどうしましょう。まぁしょうがないからいろいろやってみましょうよ。間違ったら、そして試してみてあまりに美味しかったら、今度は自分たちでもう一度買って作って食べようよ」くらいの感じ。もしくは「あれ? 昔かあちゃんが作ってくれたあれの料理の味ってこんな感じだっけ? ・・・うーん、作ってみたら、ちょっと違うけど、まぁうまいからいいじゃないですか」くらいのくだけた感じというか。最初から正解を求め過ぎると、もう二度と使わないナツメッグやらワインビネガーなんぞの瓶がただただ残り増えてしまうのは周知の事実。最初から正解を求めすぎないこと。それはなにも料理の話だけでは無くって、例えば生き方なんかにも通じる話だと思うんですけどね。
というわけで、明日木曜もオープン、展示会は4月3日まで続きます。