2013年12月30日月曜日

雑記(カウンターの内と外)





今日が今年最後の営業日。とかなんとか書いてみても実はオープンしてまだ二ヶ月。ようやく雑貨屋らしくなってきたかなぁ、というくらいだ。

とても不思議だ。二ヶ月前はカウンターの外にいた人間だったのに。お店のカウンターの内と外。店員と客。その立場を考えてみるととても奇妙だ。今までいろいろなお店に客として行っていた人間がある日なんらかのお店を出す。すると途端にお店側の人間になる。そしてカウンターの内にいるだけでそのひとは何らかの光を浴びることになる。あるひとは雑貨屋の光を浴び、あるひとはカフェの光を浴び、あるひとは洋服屋の光を浴び、あるひとはバーの光を浴び。そこには脚光があり、憧憬があり、羨望がある。自分もそうだったから分かる。

それとともに「なぜあいつにできたのだろう」という想いも感じる。「資金はどうしたんだろう」とか「仕入れ先はどうしたんだろう」とか。「嫉妬」と「羨望」は紙一重だ。でも答えは簡単だ。当たり前だけど、お金は地中に埋まってるわけでも空から降ってくるわけでもないので、なおかつ自分はお金を貯める力が全くないので、そうなればお金があるところから借りるしかない。銀行さまさまだ。仕入れ先は以前から自分が客として行っていたところもあれば(ここで客が取引先に、店が仕入れ先に変化する。これも不思議というか、面白い体験だ)、その後調べて行き着いたところもあり、偶然出会ったところもある。

数年前、ベトナムに行ったことがある。そこではいろんなおばちゃんたちがひとりで店を出していた。店、というか屋台でパンを売ったり、お菓子を売ったり、あるおばちゃんは屋台どころか地べたで炭火で何かを焼いて売ったり。なんだか今日から自分でも誰でもお店をやれそうな勢いだった。事実、やれると思う。そしておばちゃんたちはみんな貧相じゃなくて笑顔が良かった。生活は苦しいのかもしれないけど、店は壊れそうな屋台だけど、そこになぜか貧乏感はなかった。日本に帰って来て、「この違いはなんなんだろう」と散々考えたことを思いだす。何故ここでは店ひとつ出すのにこんなに足取りが重いのだろう。なぜリスクとか嫌な言葉をすぐ持ち出してマイナスから考えてしまうのだろう。なぜやってみて、だめならいいじゃんってならないのだろう。国の経済状況や成熟の度合いの違いとは分かっているけど、でもそれでも正直言ってベトナムのあの「ひとまずやっちゃう感」がひどく羨ましかった。考えてみたらあのおばちゃんたちもカウンターの内、になるのか。

結局はどっちかというと、羨望とかよりか、「自分もやってみたいな。これ、できるんじゃないかなぁ」と思えるような店にしたいのかもしれない。オープンしてたかが二ヶ月。そのくせ何言ってんだ、来月ちゃんとやってんのか。来年、店あんのか。みたいな批判は自分のなかにも確かにある。でもこれは、いわば店舗を運営していくもののドキュメンタリーだ。実験だ。お店は本来であれば画一的でなく、人の数だけのやり方や考え方、があっていいはずなのだ。ちょっとおかしな店がたくさん存在するほど、その国や街はとても豊かであると僕は信じて疑わない。

2013年12月9日月曜日

雑記(オープン1ヶ月後の戯言)




気がついてみると、お店をオープンして1ヶ月が経っていた。あっという間かと言われるとそうだけど、まだ1ヶ月か、と言われるとそういう気もして、なんだかよく分からない。

ひとまずの客層としては、どちらかというと自分で飲食を経営していたり、クリエーターなどの個人経営者が多いように思う。まぁ自分の知り合いにそういう人が多いということもあるけれど。でもやはりそういう人たちというのはアンテナの貼り方が普通よりも鋭いので、うちのような店に来てくれるんだろうとも思う。

ひとまずの収支としては悪くはない感じ。しかもうちは宣伝やら広告のひとつも打たず、Facebookだけで日々商品を紹介しているだけなので、それにしてはお客さんが来てくれている感じがする。そうはいっても、来てくれている方々のなかにはご近所の方や、店の前をクルマで通って気になって、という方もいるので、うーん、この辺も何が響いているのかよく分からないけれど。しかもそれがいつまで続くか分からないけど。

ただひとついえるのは、自分は元々文章を書く仕事をしていたので、そういう意味で言うと、Facebookで商品を日々紹介しながら、ひとつひとつの商品に光をあてるのはとてもいいことだということ。というか、向いている。幸いにして自分の文章を楽しみにしてくれている方もいらっしゃるようだし。うん、それはもう、いちおう(あれでも)本気で書いているので、とっても嬉しい。何かにつけて素直に喜べないひねくれた自分のような人間でも嬉しい。

人はいろんな経緯でお店を開く。お相撲さんがチャンコ屋を開くのはもう王道だけど、世の中のお店がそんな道ばっかり辿るわけではない。編集者が雑貨屋を開くことだってある。公務員がパン屋を開くことだってある。だから、僕がやっていることが何かの、誰かの、指針というかロールモデルになってくれるといいなぁ、となんとなく思ったりもする。始めたばっかでなんだが。

例えば、取引先のひとつ、東京の『つくし文具店』の担当者の方はメールでやりとりをしていて、僕が元編集者だということをすごく喜んでくれたようだった。やはりつくしの商品自体がデザインなども含めてクリエイティヴィティーに溢れた商品だし、サイトにせよ、文章にせよ、随所にモノ創りへの心意気を感じさせるので、共有意識のようなものを持ってくれたのだろう。こちらとて、できればモノ創りの意識が高い方たちとお取引がしたい。まさに相思相愛。そのときも自分が編集やライターをやってきて良かったなぁと素直に喜べた。うん。ひとまずの結論。だから、偉そうだけど、いまなんとなく何かを頑張っているひとも、いつか何かに繋がると思って頑張るべきです。たぶん。

商品3(つくし文具)














2013年11月4日月曜日

フェイスブック、はじめてます



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2013年10月29日火曜日

玉木新雌(たまき にいめ)のショール・後編

玉木新雌のショールのこだわりは肌触りだけではない。その色合いにも異常なまでのこだわりが出ている。





同じ場で同ブランドのショールをたまたま着けている人がいても、決して配色が被ることがないようにと、一枚ショールを作ったら配色を替えてしまう、という。縦糸と横糸の兼ね合いや配列のパターンで配色の可能性は無限大。もちろんその配色のすべてはデザイナーである玉木新雌自身が行っている。下の写真のように織り機の横に玉木自身によって配色された糸が床にずらりと次々に並んでいる、という具合(しかしなんと原始的というか、シンプルで分かりやすいやり方だろう)。





いくつかの配色パターンを決めて生産すれば、もっと簡単に量産できるということは誰にでも分かるのだけど、それを敢えてしないというこの頑なな姿勢。それも“被ってほしくない”、というあまりにシンプルな理由が素晴らしく思える。しかも独自のインスピレーションと絶妙なバランス感覚で生み出される、世に二つとない美しい配色は、巻き方ひとつ変えるだけで様々な表情を見せ、飽きることが無い。間違いなくその点も玉木新雌のショールの特徴のひとつだろう。



さらに特異なのが玉木新雌のショールはすべて自らの工場内で作られる、ということ。
これは誇張や比喩でもなんでもなくて、まんまその通り。糸を織り機で紡ぎ布を作り、裁断し、洗濯機で洗いをかけ、工場の外で乾燥させ、商品にする。そのすべての作業を工場で行う。糸はさまざまなものを外から仕入れるが、それさえも最近は自身で染めているものもある。そんなすべての工程を自分の工場で行っている所など世界でもまず無いのでは、という話だった。肌触り、色合いを含め、このクオリティで価格が六千円台からというのも、この辺りが理由となるのだろう。











そう書くとなんだかとんでもないことのように思えるが、実際に工場に行き、現場を見てみると、とってもシンプル。スタッフの方々はテキパキと自らの仕事をこなし、当たり前にできることを当たり前にやっている、という風に思えた。もちろんそのシステムや流れを作るまでが大変なのだろうし、日々微調整しながらやり方も進化しているのだろうけども。

人任せにせず、自分たちでできることは自分たちで徹底的にやる。それは言葉にすると簡単だが、それこそ血の滲むような失敗の数と努力がいる。たった一枚の布、ショールでもそのバックグラウンド、すべての工程がはっきりとオープンにされることで、モノへの信頼と尊敬の念と愛着が自然と湧いてくる。そんな当たり前のことを痛感した。

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・・・さて。これでショールの工場見学の様子は終了。現場の空気が少しでも伝わっただろうか。でもどれだけ言葉を並べても、このショールの肌触りと配色の素晴らしさはその手と目で確かめ、感じないと本当の所はわかりません。ぜひうちのショップで、あるいはどこかのショップでこのショールに出会ってほしいと願いつつ、キーボードを叩く手を止めることにします。ショップの方々、本当にお世話になりました。