2016年10月29日土曜日

白川沿いにて



にしても、いまや世は「バズ、バズ、バズ」ほんとにウルサくなったなぁと思う。みんながみんなバズりたくて仕方なくって、フックアップされたがっている。音楽の世界だって、このポップ後進国(らしい)ではあの宇多田ヒカルがまっとうなやり方でCDというフォーマットでストレートに素晴らしい傑作を世に出したけど、例えばアメリカであればフランク・オーシャンであれチャンス・ザ・ラッパーであれ、ツイッターやらをゲニラ的に使いながら、もう驚かせてなんぼというか、世をバズらせてなんぼというか、でもその在り方そのものがいち個人、いちアーティストが大手のレコード会社やら企業を痛快に蹴散らす模様になっていたりして、なるほどなぁそれはそれで今の時代の健全な在り方かもしれないなと思ったりする。

かくいう僕だって店の行く末を兼ねてその色気がないといえばウソになるし、別に公にバズりたかないが、自分がやっていることがもっと届いてほしいひとに早く届いて欲しいと願ってはいる(いまであればモロッコのラグ、ボシャルウィットに少しでも興味があるひとに届いてほしい)。考えてみるともう何よりここ数年で物の在り方がすっかり変わってしまった。そりゃもうきっとあの、この、魔法の箱、スマートフォンのせいだ。おかげだ。こないだ朝から久しぶりにきっかり一時間、時間が空いたので、どっかのコーヒーショップに入ったらば、自分と同じように朝の空いた時間を過ごすひとたちが数人居た。たぶん、おそらく朝のぼんやりをしに来たのだろうけど、みんながみんな、若いひとからおじさんまで、そしてもちろんこの僕まで魔法の箱をそそくさいじっていた。触れてしまっていた。店内に流れている音楽さえ誰も気に留めないだろうし、ぼんやり空(くう)をみつめてなにか物思いにふけることもない。なにしろ自分がそうなんだから、仕方ない。考えてみると僕らは本当に恐ろしいおもちゃを手に入れたもんだ。だって恐ろしいことに、もうすぐ三歳になる自分の息子でさえ、もうすでにしてこの魔法の箱の虜になっている。いまや、世のお父さんお母さんたちは子どもたちをあやし、なだめすかすのに、この魔法の箱が無いとどうにもならないひとだって多いと推測する。それだけは自分は阻止したいけれど。ともかくそんないくつかの事実に改めてふと気づいて「こりゃあすべてが変わってしまうはずだわ」と思った。目の前に流れているこの風景や時間にだって情報は溢れているのに、この小さな魔法の箱の情報を選んでしまうひとたち。僕たち。そこにたいした情報なんて在りもしないのに。

ここに告白すれば、最初っから個人的にどうもインスタとソリが合わない(だからといってフェイスブックとソリが合うかと言われると困るけど)。なにが合わないのか自分でもよくわからないが。タグって「ぎゃあかわいい!」ってなって「欲しい欲しい」ってなって即ポチ即ゴー、みたいなあのノリが合わないのか。なにかを薄っぺらく感じているのか。どうもなぜだかノートPCで大好きな映画を観る不具合、不機嫌度合いみたいなものを感じてしまう。うちの店は通販をやっていないようないるような、売れる時は売るみたいな、ちょっとキモチ悪い店だが、先日『つくし文具』のペンケースをインスタにポストしたらば、全国から問い合わせがくるわくるわ。そう、このペンケースはマツコさん辺りの番組でどうやらバズったらしいのだ。もちろんそのなかのほとんどのひとが、うちの店がどういう店なのかなんて見ちゃいない。欲しいものがそこに在るから欲しい、という。でもそれだって考えてみると自分だって同じ面もあって、ネットで欲しいものを買うとき、価格さえいちいち比べたりするけど、そこから深く掘ることはほとんどしない。まぁネットで買うってそういうことなんだもんな。それはまったく、ぜんぜん、間違っていない。魔法の箱を手に入れたひとたちの、なにはともあれ、まっとうな買い物状況である。

いつだって同じことを言っているようだけど、考えてみるにとにかく時間に猶予はない。昔だったら二年のタームで考えていたモノゴトがたぶん半分かそれ以上に早くって、即結果を残していかないと厳しくツラい状況になる。だからみんなしゃかりきになってバズろうとする。それはもう当然のことだ。そして若い子を見ていると、それはもう羨ましいくらいにそこに対して恥が無くて素晴らしいと感心する。僕なんかは「まぁ気づいてくれたら嬉しいけど、気づかなかったらしょうがないよな」なんてどっか恥ずかしく逃げてる面があるけど、彼らはそうじゃあない。このどっか薄暗いネットの世界でどん欲に我れ先へとセカイへ下界へアピールし、文字通りのし上がろうとする。生き残ろうとする。まぁそれも当たり前だろう。彼らの方が僕より、きっと暗いセカイを見続けて来たはずだから。より絶望という言葉を身近に感じているはずだろうから。僕から見ても例えば僕ら世代よりもっとバブルの恩恵を受けたであろう現在の50代の方とか、ひとによっては「ちょっとその考え方はあまりに楽観的にすぎやしないか」と思うフシもあったりするので、その辺は結局めぐりめぐって同じ面があるのかもしれない。そして結局のところ、そんな世代云々に関係なく、みんななんとかしてこの急で険しい崖にしがみついてやっていかねばならない。もちろんこの僕も。

・・・と、いつものようにこんなどうしようもないことをどこかにつらつら書き記していたら、たったいまインスタでタグってお客様が来てくれたりするので、なんだかもうやれやれ、である。


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