2013年10月29日火曜日

玉木新雌(たまき にいめ)のショール・後編

玉木新雌のショールのこだわりは肌触りだけではない。その色合いにも異常なまでのこだわりが出ている。





同じ場で同ブランドのショールをたまたま着けている人がいても、決して配色が被ることがないようにと、一枚ショールを作ったら配色を替えてしまう、という。縦糸と横糸の兼ね合いや配列のパターンで配色の可能性は無限大。もちろんその配色のすべてはデザイナーである玉木新雌自身が行っている。下の写真のように織り機の横に玉木自身によって配色された糸が床にずらりと次々に並んでいる、という具合(しかしなんと原始的というか、シンプルで分かりやすいやり方だろう)。





いくつかの配色パターンを決めて生産すれば、もっと簡単に量産できるということは誰にでも分かるのだけど、それを敢えてしないというこの頑なな姿勢。それも“被ってほしくない”、というあまりにシンプルな理由が素晴らしく思える。しかも独自のインスピレーションと絶妙なバランス感覚で生み出される、世に二つとない美しい配色は、巻き方ひとつ変えるだけで様々な表情を見せ、飽きることが無い。間違いなくその点も玉木新雌のショールの特徴のひとつだろう。



さらに特異なのが玉木新雌のショールはすべて自らの工場内で作られる、ということ。
これは誇張や比喩でもなんでもなくて、まんまその通り。糸を織り機で紡ぎ布を作り、裁断し、洗濯機で洗いをかけ、工場の外で乾燥させ、商品にする。そのすべての作業を工場で行う。糸はさまざまなものを外から仕入れるが、それさえも最近は自身で染めているものもある。そんなすべての工程を自分の工場で行っている所など世界でもまず無いのでは、という話だった。肌触り、色合いを含め、このクオリティで価格が六千円台からというのも、この辺りが理由となるのだろう。











そう書くとなんだかとんでもないことのように思えるが、実際に工場に行き、現場を見てみると、とってもシンプル。スタッフの方々はテキパキと自らの仕事をこなし、当たり前にできることを当たり前にやっている、という風に思えた。もちろんそのシステムや流れを作るまでが大変なのだろうし、日々微調整しながらやり方も進化しているのだろうけども。

人任せにせず、自分たちでできることは自分たちで徹底的にやる。それは言葉にすると簡単だが、それこそ血の滲むような失敗の数と努力がいる。たった一枚の布、ショールでもそのバックグラウンド、すべての工程がはっきりとオープンにされることで、モノへの信頼と尊敬の念と愛着が自然と湧いてくる。そんな当たり前のことを痛感した。

                    ・
                    ・
                    ・

・・・さて。これでショールの工場見学の様子は終了。現場の空気が少しでも伝わっただろうか。でもどれだけ言葉を並べても、このショールの肌触りと配色の素晴らしさはその手と目で確かめ、感じないと本当の所はわかりません。ぜひうちのショップで、あるいはどこかのショップでこのショールに出会ってほしいと願いつつ、キーボードを叩く手を止めることにします。ショップの方々、本当にお世話になりました。

2013年10月27日日曜日

玉木新雌(たまき にいめ)のショール・前編

玉木新雌(たまき にいめ)のショールを知ったのはいつだっただろう? たまたまどこかのセレクトショップのサイトで見かけたような気がする。そこには肌触りが良さそうなカラフルな数々のショールと、短髪でアーティスティックな匂いのする女性が白いつなぎの作業着を着て(そしてカラフルなショールを首に巻き付け)古い織り機で作業している写真があった。



胸騒ぎを覚え、なかばいきおいで取り引きを打診してみると、先方もうちのHPを気に入ってくれたらしく、取り引きは大丈夫とのこと。だが、取り引きをさせていただくすべてのお店にお願いしている条件が一点あるのだ、という。「すべての取引先には、兵庫県西脇市に在るショップと工場に直接足を運んでもらい、現場の空気感をまずは知ってもらうことになっています。熊本からでは遠方になるが、大丈夫でしょうか」と。そのとき、見事なまでに胸騒ぎが快哉に変わった。取り引きとはまったくそうあるべきで、モノを売るのに、作り手側の想いや工程を知らずして、満足のいく接客ができるわけがないと常日頃思っていたから。

というわけで、大阪に飛んでいき、西脇市にある「weaving room & stock room」に行ってきた。今年の4月にオープンしたというショップと工場は白で統一された外観が印象的で、まだ初々しさが残る雰囲気だった。ショップにはくらくらするくらいに無数も無数のショールがあり、まずはそれに誰もが圧倒されるに違いない。ショールの他にもパンツやシャツなどもあることを知った。









スタッフの方に案内され、ショップの隣にある工場へ。終止、止むことのない規則的なベルト音のようなものが聞こえてくる。そこには4台の、ちょっと古風な織り機がスタッフの方とともに元気に働いていた。ここではコットンとウールのショール、その他セーターなどが製造されている。







聞けば、1980年 頃の「レピア織機」と呼ばれるものだという。そもそもこの辺りは播州織(ばんしゅうおり)と呼ばれる綿織物が有名で、主にシャツ地として使われてたそうだ。以前は海外まで輸出されるくらいに繁栄していたが、現在は中国産に押され減少。昔は西脇市のいたるところでこんな機械がガンガンに動いて生産されていたのだろう。

このブランドのショールの素材にはコットンとウールがあり、大きさはそれぞれミドルとビッグサイズがある。コットンのミドルサイズで価格は六千円台から。すべての商品がヴィンテージの織り機で作られる。そもそもこのブランドはなぜわざわざ昔の機械を使ってショールを作るのか。それはもちろん播州織の復活、ということもあるだろうが、それより何より、限りなく手縫いに近い、やわらかで肌触りの良いものが製造できるから。最新の機械に比べると生産性も低く、いちいち手間がかかる。でも微妙な糸のテンションの具合を調節できるし、アナログに近い機械だからこそ、「人間の手仕事」に近い働きをしてくれるというわけだ。

工場の奥にもう一個工場があって、そこではもっと古い、1960年製の「ベルト式力織機」という機械が働いている。







これはもう「レピア織機」よりも見るからにもっともっとアナログで、動くのかなぁ、ほんとにこれで編めるのかなぁ、と思える機械。でも面白く素晴らしいことに、レピア織機」で織ったものよりも、まださらに繊細でやわらかいショールが編み上がる。それをショップでは他のショールと分けて「only one shawl」として販売している。でももちろんレピア織機」よりも手間がかかるので、数が圧倒的に少ない。でも普通のショールと「only one shawl」を触り比べただけで、いや、というか、くるくるっと巻いて、二つをポンとそこに置いただけで、威厳というか、なにかが違うので、これまた面白い。




機械で編むのだから、どれを使っても同じものができるだろう、と考えるのが普通だが、そうではない。使う機械によってもまったく違う個性のものができあがる。それこそ、玉木新雌のショールを作る機械たちの仕事が「人間の手仕事」に近い証明ではないだろうか。

「手仕事」、「手仕事」、「手仕事」。数年前あたりからだろうか。その文字がいろんな生活雑貨店や雑誌で踊るのをよく見かける。もちろん人間の手仕事は尊いし、その商品を広めることは大事だし、それを受け継いでいくことはもっと大切なことだ。ただ、緻密な手仕事であればあるほど、商品はそうそうたくさん生産はできないし、当たり前に価格もはね上がる。結果、一部の人々にしか行き渡らない。


こう書いていくと、古い機械を使い、限りなく手仕事に近いショールを生産するこのブランドの意図がはっきりと分かるだろう。「良いものを、より多くの人々に、できる限り届けること」。そんな当たり前だが、誰もできないことを実現しているのがこの玉木新雌というブランドなのだ。




2013年10月25日金曜日

プレオープン


本日、突然にプレオープンしました。店内の様子はざっとこんな感じです。























商品については随時詳しく紹介していきます。

Facebookでも紹介しているのでぜひ。
https://www.facebook.com/pages/Vertigoヴァーティゴ/606376052742320

2013年10月13日日曜日

ウスカバード、展示会

お取り引きをさせていただいている京都のアクセサリーブランド『ウスカバード』さんが、たまたま大阪で展示会をされてるというので、行って来た。















前にも書いたように、ここのブランドはおもにインドで買い付けた石などでアクセサリーを作っている所。今回はアクセサリーを作っているにしはらさんと製作のことや今後の展開やインドのことなどをゆっくりと話してきた。なんで自分がこのブランドに惹かれたのか、そしてなぜこんなにも民族的なものを使っているのに、いかにも民族的なアクセサリーにならないのか。それがにしはらさんと話していてよく分かった。大阪に足を運び、作り手の方と会って話した甲斐が本当にあった。そのことは入荷したときにゆっくり書こうと思います。

それにしても。インドに仕入れに行く方にこちらからよく聞いてみるのは、ここ最近ずっと報道されているレイプ事件などの危険な情勢。あんなにニュースで騒がれているけどもほんとの所どうなんですか、大丈夫なんですか、と。だいたいみなさん、・・・いや、ちゃんと普通に旅していれば(夜は出歩かないなど基本的なこと)大丈夫なんじゃないですかね、と言われる。こないだのトルコの事件もそう。行かれた方はあんなことが起こる所じゃないし、たまたま起こったことをあそこまで騒がれると誰も行ってくれなくなるみたいで悲しいと言っていた。取り引きと一緒で情報というヤツもなるべく間を通さず、できるだけ直で信じることができるものを信じるしかないのだろうか。


ウスカバードのアクセサリーは近日入荷します。そのときにまた。







2013年10月12日土曜日

鶴橋

うーむ、相変わらず秋風の陽気に浮かれ、なかなか仕事がはかどらない。

ということで、なかば現実逃避気味に、いや完全にテスト前に長編漫画を一巻から打破する学生のように、昨日まで行っていた大阪出張の食の話でもタイプする。

今回大阪に出張に行ったのは仕入れのため。2件の取引先と打ち合わせるべく、一泊二日の旅。慣れない町歩きと、駅員に路線の質問をしてもその質問に答えながらも「・・・でICOCA(イコカ)おひとつ、どですか?」などと乗車電子カードを笑顔で売ってくる、その商人根性にもう半ばへろっへろ。

ここはいっぱつ、源を入れようと、かの“ホルモンの聖地・鶴橋”に向かう。






まるで中華街のような客引きを逃げつつ、うーん、なんかいい佇まいな店はないかなぁ。いや、ここでしょ。『焼き肉ホルモン 空』。なんか小汚くて煙を巻く感じがいわせない。






タンとかコプチャンとかホソと呼ばれる小腸、ミノ、カルビすじ、ハラミすじなどなど、もうなにがなんでどこの部位なのか分からないけど、一皿400円くらいから。なかでもやっぱハラミは本場だけあって、至極のうまさだった。キムチもなにがどう違うのかと言われれば、「・・・うーん、ほら、これ、アミがちゃんと入ってるでしょ」などとしたり顔で言いたくはなるけど、ほんとのところはただただ美味しくて仕方がないというだけのこと。



個人的に印象深かったのが、サラリーマン風のひとりのお客さんが多かったこと。活力のカタマリのようなホルモンをひとりで黙々ともごもごぷにゅぷにゅ食べては、グイっとビールをあおりつつ、ガブリと飯を喰らい。そしてまた、もごもごぷにゅぷにゅ、グイっ、ガブリ。・・・ああ、たぶんこの地は昔からこうやって何人ものサラリーマンたちの活力の素になっていたんだろうなぁ、大阪のひとたちはしあわせだなぁ、こういう地があるのとないとではその地に住む人間そのものの根本の溌剌さが違うんじゃないかなぁ、いやそうに違いないって、などと勝手に端から考えながら、グイっと酎ハイをあおる大阪の夜、だった。

カウンター、散歩






福岡の『krank』に注文していたカウンターが入りました。うーん。凛々しい。

大阪出張などでバタバタしていたので、これから急いでオープン準備をしないと。

それにしても今日はいい天気。この季節の、この時期が一番好きなとき。急いで何かをしようとしても、外から吹き寄せてくる心地よい風を受けては、ついつい手を止めてしまい・・・。散歩。散歩。散歩。













2013年10月4日金曜日

みなも祭り準備





明日、明後日出展するイベント『みなも祭り』の準備。

それにしても、明日はアラシの気配。とっても心配です。