2017年9月29日金曜日

悲しき共感




こういうことをのっけから、曲がりなりにもお店をやっている人間が書いてしまうのは自分でもどうかと思うのだけども、いま自分のやっていることが本当の意味で周囲のひとたちに伝わるのはもうあと三年くらいかかるのではないか。そんなことが頭をぐるぐるとよぎっている。別にそれは弱気であるとか、めげているだとかそういう感じではなく、まだまだ時間がかかるだろうなぁと、漠然と、悠々と、粛々と、でも少しばかり偉そうに思っている。

それは繁盛して繁盛して仕方が無い、そんな状態ではない自分への言い訳でもあろうし、でもこういう店をこういうやり方でやろうとしている身での、こころからの正直な意見でもある。あと三年とか言いつつ、志しなかばで無くなってしまう店もゴマンとあるのだろうし、もちろん自分がそうなってしまうとも限らないわけだけど、でもたった現在、そう感じていることをこうして正直に書き付けることがそう悪いことだとも自分では思わない。

自分でもよく分からないのが、「といって、逆にそう簡単に分かってもらってたまるものかよ」みたいな気持ちがどこかに、というか、ここに在ることだ。隅から隅まで消費され尽くしてしまうことへの恐れ、のようなものが在る。そんなこと、されたこともないのにね。たぶん、されることもないのにね。

これはもう想像するに、本当は売れたいのにセルアウトはしたくないミュージシャンと、心持ちはまったく同じであると思われる。だから、やろうとしていることは素晴しくかっこいいのに、なかなか思うように飛ばなくてくじけそうになっているミュージシャンのインタビューなんかを読むと、とてもじゃないけどひとごととは思えない。アツくなる。そしてそう思えるだけでも、こんな店をやっていく意義があるんじゃないのかな、なんて思ってしまう自分は、やっぱり本当にどうかしてるよな、とも思う。



でもとにかく自分は、自分の在り方で、自分の在り方にこだわって、日々自分と自分の在り方に悩みながら、やっていくひとやお店に共感する。なぜなんだろう? そういうひとやお店というのは、大抵何はなくとも通じ、繋がるものだったりする。イバラの道をともに進んでいる、悲しき共感のようなものがそこには在る。



と、いうわけで、岡山の『ウーム・ブロカント』である。岡山の西原兄弟、児島に在りけり、である。なにも知らないひとは古道具なんてどれも同じでしょ?とかいうのかもしれないけれども、それは違う。まったく、まったくもって、それは違う。ひとくちにいって、こんなにも扱う側に美学が有るか無いかとか、そこに愛が在るか無いかとか、作品と呼べるものにまで落とし込む技量と度胸が在るか無いかとか、はっきり分かるジャンルも無いと思う。というか、それを知ったのもこのウームというブランドを知ってからだけど。



古い物なら古い物なりの使い道というか新たな提案とアイディア、飛び道具。特に弟さんが手がける『testis(テスティス)』においては、廃材をまったく真逆の方から捉え直すことによって見えて来るその地平とリリシズム。廃材を捉え直すことから、アッといわせる作品へと昇華するその発想。それはどう考えてもちょっと他に類をみない。どうしても自分はそれをパンク、だとか、アヴァンギャルド、だとか、分かったような分かってないような感じで表現してしまうのだけど、でもねぇ、他に言い様がないのよ。すべからくそれはかっこいいし、何かの壁をたしかに蹴飛ばしている。見ているとどこかからブルー・ハーツの音楽が聴こえて来るみたい。何回もいうけど、そう感じさせるブロカント屋さんというか、それを用いて作品を産む創り手はそうそうは居ない。





そしてひとつひとつのブロカントもなんだか妙に凛々しい。古道具に対して使う言葉かどうかアヤシいけども、どうにも色気がある。でもこれは分かってくれるひと、いるんだろうか。いつも通り自信がないのだが、とにかくピンと来たひとはウームのサイトに飛んでみてほしい。必ずや愛すべしものに出会うはずだから。そうそう。価格も優しい。これは少なくともトウキョウ価格ではないものと思われる。




ただし、これはフェイスブックにも書いたのだけど、ブロカントが好きなひとというのはやはりちょっと遥かなるノスタルジアというか、変態的刹那主義というか、江戸時代の隠れキリシタン的というか、なんというか、基本少し、いや、だいぶ変わり者だと思う。自分も含め、そう思うフシがある。あるひとにとっては捨てるべきものを「うわっ!ヤバいじゃんそれ!」といってヤバがる感じとか、この毎分毎秒のように無理矢理に進んで行く、進んで行かされる、アップル的消費主義社会への気づかぬうちのカウンターというか。そもそもが古道具と呼ぶ以上、それは日々この世から無くなっていく運命であり、そもそもがきっと枯渇も枯渇なのであって、なんかそう考えるといつも誰かが買い付けに向かっているようなアメリカって凄まじく広くて大きいし、やはり古い物をリスペクトする歴史がハンパ無いなぁとか思うのだけど、ここは日本で、別段古い物を特別にありがたがる傾向も未来も歴史も無いし、それはこれからますます顕著になるであろう。だからやはり僕はそこに悲しき共感みたいなものを持ってしまうのだけれど、だからこそいま在るうちに目を見開かなきゃいけないと思うのだけど、さぁどうなんでしょうか。



2017年9月22日金曜日

とあるフィードバック




先日、とあるお客様から今年5月の金澤宏紀くんの展示会の時に作った冊子がかなり良かった!というお言葉を今さらながら直にいただき、これはもうほんとうに嬉しかった。自分もウェス・アンダーソンのファンでニヤニヤしながら読んだとか、いまでも買った器の隣に冊子を飾ってるとか、ああ、もう、なんなのいまさら!という感じ。

と、なんでこんなことをいちいちこんなところに書き付けるのかといえば、それは自慢でもなんでもなく。僕なんぞ本来ならば、ある意味こういう悦びのためにこんな仕事をしているはずなのに、一年はあまりに速く過ぎ去って、気持ちはなんとなくただただ慌ただしく波だち静まっては、時は過ぎてゆくものだから。お店をやっている以上、その時その時で勝ち負けはしっかりと数字で出るし、やる以上は勝たなければならないのがお店の使命でもあり、それはしっかりと大切なこと。だからこそ、その時その時で一喜一憂してはもう次の仕事が始まり、また勝ち負けが出てはまた一喜一憂し・・・の繰り返し。そういう仕事なので確かに仕方がないのだけれども、でもただただそれを繰り返していると必ずや疲弊していく。それか、ただただお金のために働いて・・・というか本人はそのつもりではなくとも周囲から見ればそう思えるようになってしまう。会ったそばからお金の話するひととかね。まぁ別にそれはそれでなんも悪くはないですけど。

例えば昔雑誌を作っていたときもそうだった。雑誌を作るなんてのはそれこそもう総力戦で、一回一回が雑巾を絞り出すように自分のすべてを搾り出しては数ヶ月、数週間それに挑み、ようやく終わってはもう次の号の準備が始まる。だからこそ編集部なんてのはある意味ファミリーに近い感覚になっていって、それはそれで独特の豊かさがあるのだけども、だからこそ入り込み過ぎると外から自分を見る目が失われて行く。気がつけばルーティーンにスポイルされている自分に気づいて唖然とする。入社当初は初々しくてぺこぺこしてて礼儀正しかったあの子も、そして自分も、なんだかめちゃくちゃ横柄な態度だとか考え方をするようになっている。なにより最初に自分が抱いていたものをすっかり忘れてしまうのだ。本来ならば伝えたいことがあるから作る、はずなのに、どうしても作らなければならないから作る、作るために作る、の繰り返しになってしまう。これを疲弊と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

たぶんそういう時に大切なのは、自分なりの句読点のようなものを持つことだと思う。句読点を打つことで自分のまっさらをもう一度自覚して、常に軌道修正していくこと。常にぶれている自分を自分がまずいちばんに自覚すること。自分が投げたタマの軌道をしっかりと最初から最後まで追うこと。でもこれがなかなか難しいんだ。なぜといえば、やはり誰もが日々の日常に流されるのがいちばん楽だし、なんにも考えなくていいから。最初の想いを持ち続け、保ち続けるのは、どうにもめんどくさくて日常の流れから逆流することだから。

もちろんもうおわかりだろうが、この文章だってその句読点を打つために、自分のために書いている。そしていちいち自分を最初の自分に戻してくれるその指針になるのが、なりやすいのが、他人からの遅れて来るフィードバックなのだろうと思うわけです。なにかを作ったり、なにかを提供したりすれば、僕らはその結果や成果をすぐさまこの手に掴もうとするのだけれども、そしてそれは数字によっていちおう目には見えるのだけども、やっぱり芯が本当にひとに伝わるのって時間がかかるし、腹にずしりと来る本当の手応えほど、ある程度のフィードバックと租借期間がいる。逆にいえばすぐに伝わるものほど忘れさられやすいし、風化しやすい。だからこそ、始めに書いた冊子の感想はこころから嬉しかった、というわけです。「自分はひとになにかを伝えたいからこそ、この店にいるのだ」ということを自分は決して忘れてはいけない。この店はどこまでいってもそういう店でなければならない。






2017年9月16日土曜日

出会いの仕事




昔、昔、たぶん自分が高校生だかそんなとき。なんとなく今後の自分の将来をぼんやり考えているようなそんなとき。ふとあることに気がついた。

「自分はこれから死ぬまでの間に、果たしてどれだけのひとと出会うんだろう。何人のひとと出会い、知り合っていけるのだろう」これから先に広がる自分の人生を考えた時、これから新しく出会うであろうひとたちのことを考えると嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。人生という、まだ見ぬ地平に立ったとき、その先に遥かに広がる見知らぬひとびとがいることに対して、心底ワクワクしていた。まだ熊本という地しか知らなかったあの時、これから自分はどこへだって行けるんだ、誰とだって知り合えるんだ、ということ自体に得体の知れぬ悦びがあった。あの若くて蒼い感覚は忘れようがない。

そんな風にひとと出会うこと自体を祝福できる気持ちを持てていたことは、そして持てていることは、きっと自分の親に感謝しなければならないことのような気がする。基本的に別段ひとが好きなわけでは無いし、別段誰にでも愛想が良いわけでも無いけれど、でも誰かと出会うこと自体にワクワクするなんて、たぶん気持ちの根本の部分がある意味清くないと、一応まっすぐじゃないと、たぶん思えないことだろうから。そしてそういう心持ちこそは、たぶん小さい頃からの小さな積み重ねだったり、どんな家庭でどんな笑顔に囲まれどんな関係性のなかで育ったかによるものであって、なかなかあとから得難いことのように思えるから。自分の子どもにも、そこだけは伝えていきたいのだけれど。

そんな若くて蒼い感覚にひとまず小さな句読点が打たれたのは、やはり大学生の頃にひとりで二ヶ月間ヨーロッパを旅したことだったように思う。オランダから入って、最後イタリアから帰るまで、さまざまな国々をひとりで巡っては、睡眠薬を飲まされお金を盗まれたり、ゲイの男性の部屋にのこのこ付いて行ってあわや襲われそうになったり・・・といろんな経験をしたけれど、結局のところあのとき自分が得たのは、同じ地球上でみんな等しく同じ時間がしっかり流れていることへの納得のようなものだった。もちろん今ではSNSだってあるし、テレビをつければ外国では外国の時間が流れていることは分かるけど、でもそれは本当に分かっていることにはならないのだと思う。少なくとも自分の感覚ではそれは違う。例えばスペインでとあるスーパーに入ったとき。つまらなそうに働く、美しくて気怠い若い女の子がいたことを想い出す。ホテルに帰って、その子について一篇の小説でも綴りたくなるくらいに自分のなかの何かをその子は激しく撃ったのだけど、でもとにかく日本から遠く離れたこの地でだってきちんととある人生が廻っているのだ・・・ということにひどく納得してしまった。腹の底からそのことに頷いてしまった。あの子はいま元気だろうか。

そうしてその後、自分は東京へ行って10年近く過ごし、それこそいろんなひとたちと出会っては別れ、知っては離れ、またこの熊本に戻り、なぜだかこんな店を開いている。言って見れば今の仕事というのは、ある意味で「出会いの仕事」だと思う。とにかく出会わないとなんにも始まらない。ウェブであってもインスタグラムであっても風の噂であっても実際この目であっても、なんにしたって出会わないと物事は始まることがない。ある作品とある形で出会う。どうしようもなくこころが動かされ乱されれば、作品の作家にどうにか連絡を取って、出会う。そこでうまくなにかが起これば、この店でお客様がその作品に出会う・・・ことになるのかもしれない。その出会いにおいては自分のすべてが試される。もはや自分の人生そのものが試されているようにも思う。作家はその作品においてすべてが試されるが、店はそれをやっている人間すべてで試される。売れる、売れない、お金になる、ならない、それも実際は大事だ。でもやっぱりそれより腹の底からお互いに作品と人生を受け止め、その出会いそのものを祝福したくなるような関係性を築けたら。そんな出会い丸ごとを受け手のひとたちとも共有できたら。それにしても。あの若くて蒼い感覚を持った若者が、先々の将来、まさか「出会いの仕事」をしていると知ったらば、彼は果たしてどんな顔をするのだろうか。











2017年9月15日金曜日

ウーム・ブロカントのソケットランプ

岡山の『ウーム・ブロカント』より、照明が届いております。もはや店内に馴染み過ぎて、ほとんど誰も商品と気づいてくれていないのだけど・・・れっきとした商品なんです。忘れちゃダメなんです。気づいてくれなきゃ困るんです。というか、なによりこのシンプルさとなにもかもが削ぎ落とされた最後の最後のミニマニズムにピンと来て欲しいんです。




ソケットの部分の素材がそれぞれで違うこのシリーズ。今回入荷のなかで特に個人的にいちばんおすすめは・・・なんといってもこのスケートボード。ヤバい。ヤバすぎるだろ、これは・・・。世のスケーターたちよ、こんなもんを見てしまって黙っていてもいいのか。ズルズルと滑ってるだけでいいのか。ああん? 俺は決してスケーターでもクレーマーでもトレンドセッターでもなんでもないが、この作品のヤバさに気づくくらいの鼻と舌は持っているよ。





そして新しく仕入れたこれ。陶器。黒と黒板色。キー!クー!! にくいね、このそっけない、もはや足す所も引く所もなんにもない、まっさらなこの表情。時代が一周も二周もまわりにまわっちゃって、もはやナチュラルでもゴシックでもニューウェーヴでもなき今、やっぱりここだろ!なシンプニズム。・・・なんて言葉あったっけか。



以前から個人的に好きなのがこのゴールドな真鍮。といって、決して主張しすぎず、かといってもちゃんと存在感もあって。例えば飲み会であまり自らしゃべらないのにただただそこにいるだけで緩やかな存在感はあるが、だからってあいつがいなくなると不思議なあなっぽこ感がある・・・そしてヤツはなぜだか女にモテる・・・がそれだけでなく同性である男にもモテるのだ・・・そんなもしかするともしかしてあの『ゴッドファーザー』のマイケル・コルレオーネのようなヤツというべきか。違うのか。





ガラスなんてのもある。そしてひねくれもののあなたが絶対ピピンとくるであろう青銅緑青。青銅を一点一点腐食させ、暗くて深い緑のワールドを追求した果たしてもうどこへ向かおうとしているのかもよく分からぬ作品世界。でも好きだ。ああ、好きさ。俺は好きなんだ。と、もうソケットのカバーがないミニタイプもあったり。これはこれでよい。君は君でよい。





そして見逃してはならぬ、このおもちゃのような廃材を使ったコードリール。なぜにこんなものを思いついてしまうのか、本当にウーム西原さんの頭の中を一回開けてみてみたいが、それもちと恐い気もする。世にDIYの精神は根付きも根付き、いまや誰もがハンズマンだといわれて久しいが、であるがしかし。そこから本当の意味での作品を立ち上げる勇士はそうそうはいまい。日曜日のお父さんとの確固たる厳しくて確かな線引きがここに在る。だって・・・この照明だって廃材だよ? なんでこんなにかっくいいの。ジーニアス !マッドネス!テンダネス!



考えてみればウームさんとはオープンしてからずっとのお付き合い。店内の什器でもお世話になっているし、ああ、いまでも想い出すオープン一発目の『オープンスタジオ』との合同展示会におけるあのインダストリアルライト。なんでもぶっ刺すという、もはやゲバラ的革命並みのこのダンチなレベル。ダンポールを開けた時のあの衝撃は生涯忘れられないであろう。しかも売れたもんなー、このシリーズ。こんなものを世に産み出せるひとをジーニアスと呼ばずしてなんと呼ぶのだ。



というわけで、台風も近づいて来ておりますが、お待ちしております。





2017年9月12日火曜日

未だ見ぬひと




・・・ああ、暇で忙しい。忙しいけど暇だ。

目の前にやらなければならないことは文字通り山積みなのだが、それを片目で睨みながら、まだ見ぬ遠い誰かへまだ見ぬ遠いいつかの日のために便りを出したりする。まだお会いしたこともないひとに突然メールするというのはとても不思議な行為だ。文面からでなくとも、この店のホームーページやこんな文章やフェイスブックやインスタグラムを見て、なんらかが伝われば良いのだけど、それがそうとも限らない。ほんと、自分からしてもここはわかりにくいへんな店だもんな。

それはそうと、いま自分がそこに居る位置って、やっぱりなかなかどうして大事で、逃れられないことだ。ついそれを忘れそうになるけど、やっぱりそれは逃れられないに違いない。ことあるごとに言っているんだけど、この店はたまたま熊本でやっているが、これをそのまんま東京だとか沖縄だとかハワイだとか、まぁどこでもいいんだけどどっかに移したって、基本やることは変わらないはず、というか、そうあらねばならぬと常々思っている。ここでやれないのならばどこに行ってもやれないのだろうし、場所が変われどやる方の自分は変わらないんだから。その場に根を張る以上、その場のひとたちと深くなって行くのは当たり前にしょうがないけれど、それもまぁたぶんたまたまな面もあって、場所が変わればまた別のひとたちといまと変わらないように深くなっていくのだろう。

でも、といっても、現実に距離なんてものはたしかに大事で、昔、東京にいた頃にある日そのことに気づいて驚愕したことがある。例えば、東北なんてものがあるけど、実は地図を見てみると単純に東京からはそんなに離れていないんだね。行けないことはない距離というか。いや、もちろんそれは自分が九州の人間という土壌があるから、九州に比べたら、という目線があるのだろうけど。九州にいて東北を見るのと、東京にいて東北を見るのとではそりゃ大違いであって。たぶんゆくゆくは九州に帰ることを予想していた自分はある日そのことに気づいて、これはいまのうちに行っとかねば、と思い立ち、すぐに青春18きっぷを買って、鈍行で東京から上に向かったのを思い出す。日本海沿いにずぅぅとひたすら上に上がっていって、途中なぜか山形の酒田なんかによりながら、結局は青森まで行き着いて、新鮮で溢れるようなホヤを食べながら田酒なんかの美味しい日本酒を呑んで、その辺の銭湯にふらりと入ったらば知らないおじいさんに話かけられたけど、まるで言葉が通じなかったのがなんとも素晴しい経験だった。

・・・ええと、いったいなにを言いたいんだっけ。うん、距離だ、距離。そう言う意味でいえば、今自分は九州にいるのだから、九州中を廻っていろんなことやものを探せばいいのかもしれない。けれど、たぶん距離と同じくらいに縁みたいなものが人間はやはりあるようで、例えばなぜか自分は岡山とはたびたび縁があったりする。岡山、なんかのほほんとしてて(勝手に失礼なイメイジ)ほんと好きだ。宮崎もあるといえばある。宮崎も独特の時間の流れとひとが大好きだ。

ただまぁそろそろこの店も勝負どころに入ってきてることも痛感している。このままではたぶんこのままであって、もっともっといろんなひとや作品に会って、僕自身がもっともっと驚いたり感激したり唸ったり感心したりする必要があることをなにより痛感しているのだ。自分はどこまでいっても伝え手なので、なにより自分自身がまず驚いたり感心しないことにはなんにも物事は動かない。ということを自分がいちばんよく知っている。忙しいようで暇、暇なようで忙しいルーティーンに入り込んで、一年なんてあっという間に過ぎて行く。これも嫌という程知っている。ということで、今日も未だ見ぬ人へ便りを出す。未だ見ぬひとが少しでもうちの店に興味を持ってくれて、未だ見ぬ未来のひととうまく繋がるといいのだけれど。・・・ということで、僕は明日43歳なる。





2017年9月10日日曜日

お店の賞味期限



ああ、暇で忙しい。忙しいけど暇だ。

これから年末まで怒濤の展示会ラッシュになると思われるけども、そのことになかば目をつむりながら、そしてもはや2020年の展示会の話などをなぜかどうして進めたりしているのだけども、来年、再来年持つかどうか分からないこの店なのに、先に決めておかなければならないことというのは確かに不思議とこの世にあったりするのだ・・・とか言ってると強烈な地震がまたまたあったりして、なかなかどうしてこれから先が見える感じがしない。

これから先が・・・という話でいくと、最近どうも気の合うひとと話すことのひとつに「お気に入りの店が無くなってしまう話」というのがある。なぜだか自分がすごく気に入っていた店がすべからくどこそこ無くなっていくよね、という話。なんかね、気が合えば合うひとほど、よくそんな話になる気がするんだな。まぁとどのつまりは気が合うから、好きなお店のラインも似ていて、お互いにへんな店、妙に偏った店、だからこそ個人的に愛すべき店のラインが似ているということもあるのだろうけど。だからこんな話を聞いて「そうかなぁ。まったくそんなこと思わないけど」というひととか、こういう話にピンと来ないひとは、たぶんこの文章を読むのを止めてもらったがいいし、「もしかしてそれって・・・」とか、ふと思う人はたぶん僕と(ということはうちの店と)気が合うひとだと思う。

・・・いや、そんな話を書きたいわけじゃなかった。なんだかこのご時世、もしかするとそもそものお店の賞味期限というかそのターム自体が変わったのかもしれないと思ったのだった。例えばもう少し昔ならば、あるお店を立ち上げて最低10年は続ける、やっていく、心づもりがもしかしたら当たり前にあったかもしれないが、その10年の感覚がいまだったら実際は例えば5年くらいなのかもしれないと思ったり。たったいまお店を立ち上げたひとが10年という時間を果たしてしっかりと見据えているだろうか。少なくとも自分には見えてなかった気がする。10年先なんて。もちろん昔だってみんな不安で不安で10年なんて見えてなかったかもしれないけれど、たったいまのこの明日をも知れぬ空気というか、1年、2年であっぷあっぷ(ってそれはうちだけかもしれないけどさ)という感覚とは違う面があったんじゃないのかなぁと。昔の時代を体現してもないくせに言うのはおかしいけれど、でも明らかに自分が小さかった頃、若かった頃の、街の感覚とか店の在り方とか時代の空気といまは違っている気がする。もちろん景気なんてのも関係あるのだろう。昔は良かったとか楽だったとかまったく思わないし(そんなこと言ったら親父に殺されます)、それぞれの時代で生きていく厳しさはたしかにあって同じだろうけど、すべてにおいて新陳代謝が速く、それ相応の対応が求められるのは確か。そしてそのそれぞれの対応がお店の賞味期限を延ばしていく・・・のだろうか。だって単純にたったいま新しい店ができたとしても、それが例えどんな店であったとしたって普通に10年続くイメージがなかなか描けないし、実際にそう多くはないんじゃなかろうか。とにかく以前とは10年という時間は変わらねども、その価値観自体が変わったんじゃないか、と。

いまは本当にチェーンの店が多いけども、ああいうお店も、いやああいうお店だからこそだろうけど、10年そこに在るということがほぼない。熊本は地震があったせいもあるだろうが、あるチェーンの店が気がつけばまた別のチェーンになってしまって、甘酸っぱいこちとらの想い出なんざ無惨にも残らなくなっていることもほんとに多い。若かったあの日によくあの子と通った喫茶店だとか、そもそもそんな店が在ったり残っていること自体が奇跡に近い。だいたい老舗自体、悲しいことに無くなってしまうことも多かったりして。そういう感覚で行くと、たまに車に乗っててそういえばかなり長く続いている店なんかにふと気がついたりすると不思議になっちゃって「へー、あの店まだやってるんだ。すごいよなー」とか思ったりする。なんというか、感覚が逆なのだ。続いているのが珍しいというか。もしかしたら携帯の機種変とか、家電の買い替えとか、スピード離婚とか不倫とか(これは明らかに違うな)なんだかんだのスピードとともにいろんな感覚が変わってきたのかもしれない。だから、ほら、そういう話でいくと数年前から流行りのポップアップショップっていう概念だって、まさしくいまの時代っぽい。続かないことを前提としたお店、なんて。

まぁだからって、それがなんとなくそう思うからって、自分は愛も変わらずのほほんとずんだらやっているし、それを肌身で気づいて分かっている若い子たちは「へん。こやつ、あいかわらずなんだか分かり切った、かったりーこと言ってんなー」と日々日々自分なりにサヴァイヴしているのは知っている。そしてどうやらそんなずんだらな自分の店ももうすぐ4年になるらしい。・・・やっぱり、なかなかどうしてこれから先が見える感じがしない。