2018年1月14日日曜日

イマジン




残念ながら今年のブログのスタートは病気ネタから始まる。今年最初のブログなのだから、今年の目標だとか、昨年の総括だとか、大きく行きたいものだけどしょうがない。たぶんこれも40代における現実だし、そういうものを背負いながら店なんてのもやっていかなければならないのだし。

といって大した病気でもないのだが。いやでも、これはなってみなければツラさは絶対分からない。副鼻腔炎、つまりは蓄膿症というのか。年末までずっと展示会続きでなんとなく風邪気味ではあったのだけど、そして年始が来て酒を呑んでは無理をしていたら。気がつくと鼻水が濃くなってアメーバのようなものになり、顔中にそれが溜まっているような熱っぽい感覚になって、なにより最終的には眼球というか頭がずきずきするようになった。最初はなんとなくほおっておいたのだが、もうこれが絶えられなくなるくらいに痛い。特に眼球が。顔が痛むと神経に近いのか、ついでにどっかの歯も痛んで来る。こうなるともはやお腹が減っても食欲が湧かず、鼻腔による炎症だから味も香りも分からない。というか、とにかく顔面が痛いわ痛いわ。こんなツラさは産まれて初めてだった。なにかの外傷だったら外から見てもその痛さは分かるのだが、こういう痛さというのは本人しか分からないのもまたツラい。そしてこれまた仕事が完全にできないか、と言われると無理をすればできるといえばできるので・・・いや、マックスな痛みのときは無理だけど、でもとにかくこのラインのキツさはツラいですね。

ネットなんかで調べてみるとこの症状はじつはかなり多いらしい。基本は風邪をこじらせて成る場合が多いみたいだけど、アレルギーとかも原因になるみたいだ。でもまぁ蓄膿つったら案外昔から言われている症状だし、大抵初めて会うひとの鼻にかかった声で「なんかこのひと蓄膿っぽいな」とか思ってたし、ということはそんなひとたちの多くは、あるいは一部のひとは、昔からこんな苦しみを感じていたのだろうか。痛みも症状もひとそれぞれだから違うだろうけど。・・・でも僕は病気に唯一の良い所があるとしたら、それしかないと思ったりする。病気をしたものしか分からない共感みたいなもの。なんでもそうだけど、病気って自分がその身になってみないと本当に分からない。なってみて初めて分かる。べつに同じような症状のひとと話して共感を得たからと言って、その痛みが減るわけでもなんでもないのだけど、でもひとと痛みを分かち合って通じ合えた事で、なにかが芽生えたりする。これってもしかしてセラピー的ななにかなのかな。

こんな風に話を飛躍させたくなるのは、やっぱり今の世の中が「他人の気持ちになる」ということがいちばん難しいような気がするからかもしれない。ネットができてSNSが通じて、ひとりひとり無名の誰かが意見を言えるようになると聞いたとき、自分はなんとなく「他人の気持ちになりやすい」世の中を想定していたように思う。他人の気持ちを読んだり見たりすることで、ひとは他人の気持ちに近づけるのではないかと思っていたのだろう。でもそれはある意味正しくて、ある意味間違っていたといえるだろう。現段階では。なんだかいまの世の中くらいに分断とか分裂とか、こっちはこっち、あっちはあっち、を感じる時代って無いような気がするからだ。

例えばテレビで黒塗りをして笑わせたり、女の子を蹴って笑いを取ったり、なんかそういうのっていまの分断の時代だからこそ、のような気もする。でも分断していないもう片方の目でよおく見てみると、そのことがいかに貧相でいかに豊かじゃなくて、いかに地球規模である現在の時代からなんだか落っこちてしまっているのかが分かる気がする。そして世界のポップミュージックを、特に最前線のポップミュージックを少しでも追っかけているひとであれば、知らず知らずのうちにそんなもう片方の目とやらが、少なくともその感覚みたいなものが、自分のからだにくっ付いてしまっている気がする。だからこういうことがあるとなんだかむずむずする。僕なんかは例えばエレベーターのなかで黒人のひとと一緒になっている情景がなぜか自然と頭に浮かんでは消える。なんでもいい。想像出来ないよりはなんらかを想像出来た方が、想像しようとする方が、僕は何倍もいいと思う。イマジン・オール・ザ・ピープル。

そしてこういうことを言ったりすると「・・・昔は良かった。今の時代はウルサくなった」というひとが必ずいたりする。でも本当にそうなのかな? 誰かを傷つけることが少なくなることは、あらゆるひとにとってむしろ健全な方向じゃないのかな。少なくとも嫌な気持ちだったり傷ついたりすることが減る事は、誰にとってもむしろいいことなんじゃないか。だって諸君、どんな人生でも誰の人生でも、例えどんな肌の色で産まれたとしても、例え男性であれ女性であれどっちでもなくったって、みんなどう生きたって、誰もがそれなりに大変なんだから。嫌な事なんてひとつでも少ない方がいいと思うのだけれど。そうに決まっている気がするんだけど。こういう考え方はあまりにナイーヴ過ぎるのかな。自分も子どもができてから、ある程度はナイーヴに過ぎるかもしれない。

ああ、今年は妙なスタートになってしまった。でもずっと同じところにいるわけにもいかないからな。この病気からのスタートをなんらかの良き啓示だと自分は感じている。というわけで今年もよろしくお願いします。
















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