2016年4月8日金曜日
2016年3月30日水曜日
アイニードトゥビーマイセルフ
んやー、しっかし展示会中、よくもまぁたくさんラーメンを作った作った。んでもう喰った喰ったすすったすすった。なんせ「一日一麺!」ですからね。そりゃ作りましたよ。
店のキッチンでは延々鶏ガラの鍋がぽこぽこぽこぽこぽこあぽこ。あるならば、煮干しやら昆布なんかも入れて、トロ火で二時間くらい茹でればそれでよし。このベースさえあれば、後はどこかで旨味をプラスすればいいわけで。例えば今の季節であれば、あさり。とさらに例えば豚肉とトマトを小鍋に入れてある程度煮詰まったら、人数分の鶏ガラスープを入れればよし。例えば味付けはナンプラーと塩で。
そんで時には店がラーメンの屋台みたくなったりね・・・。
そもそも「・・・ラーメンってまず自分ちで作らないし、あんま食べないし」というひとも今回聞いてみるとけっこう多い。やっぱりインスタントが多いのだろうし、カップ麺派も多いのだろう。そりゃ俺だってよく分かる。でもせめてインスタント麺でもオキニの器で食べて欲しいなぁ。そんくらいの余裕が自他ともに欲しいなぁ。だってそうじゃないとうちやってけないもん。そんな世の中であってほしいなぁ。じゃなかったら、ユキヒラごとずるずる喰って鍋縁からスープすすってあちいあちい言いながら喰ってほしいなぁ。
でもラーメンのスープ作るのって、こだわらなければほんとハズかしいくらいに簡単なんだけどなー。しかしまたこういうことを書くと、「なんだか偉いですねぇ、なにしろすごいですねぇ、だってだってスープから作っちゃうんですもんねぇ」とほとんどほめ殺しの刑みたいなものにあったりするのだけど、たぶんほんとはその辺の意識みたいものから少しでも分かってもらいつつ変えていかないと、本当の意味でモノだって売れないのかもしれないし、何事もダメなのかもしれないなぁ。や、だって今の時代モノを買うのって、ただただモノそのものを買うのではなくって、その背後に存在するものごと買う感じだものね。そーゆーの、ストーリー性つうの?
でもだからつっていまの世の中、いわゆるライフスタイルショップ、ライフスタイルマガジンは多いけれども、なんだか圧倒的に形だけのものが多いでしょ。ナチュラルふるゆわ系の残り火つうか。でもさ、俺ときみのライフスタイルなんて俺ときみにしか分かるわけねーじゃんか。アイニードトゥビーマイセルフ。いや、アイニードトゥマイラーメン鉢。だってどこの店もラーメンのスープの作り方やらオキニのラーメン鉢なんて提案してくれないじゃないっすか。んじゃあ俺やきみはどうしたらいいんすか。それこそが俺らのライフスタイルなんじゃないっすか。
でもつくづく思うけど、この国では毎日のようにさまざまな料理本が出版されているし、日々全国の料理家の方々がそれはそれはまるでミリ単位を求める繊細な探検家のごとくレシピの研究をされていて、自分だってその点ではとても助かっているのだけど、でもだからこそみんな最初から正解を求め過ぎてる気がする。別に料理なんて、特に自分たちで作って食べる料理なんて、そもそも正解は無いと思うんだけどなー。「ある日突然、となりに住むおじさんから今朝釣ったばかりの鯛をまるごと一匹いただいちゃいました。さぁどうしましょうどうしましょう。まぁしょうがないからいろいろやってみましょうよ。間違ったら、そして試してみてあまりに美味しかったら、今度は自分たちでもう一度買って作って食べようよ」くらいの感じ。もしくは「あれ? 昔かあちゃんが作ってくれたあれの料理の味ってこんな感じだっけ? ・・・うーん、作ってみたら、ちょっと違うけど、まぁうまいからいいじゃないですか」くらいのくだけた感じというか。最初から正解を求め過ぎると、もう二度と使わないナツメッグやらワインビネガーなんぞの瓶がただただ残り増えてしまうのは周知の事実。最初から正解を求めすぎないこと。それはなにも料理の話だけでは無くって、例えば生き方なんかにも通じる話だと思うんですけどね。
というわけで、明日木曜もオープン、展示会は4月3日まで続きます。
店のキッチンでは延々鶏ガラの鍋がぽこぽこぽこぽこぽこあぽこ。あるならば、煮干しやら昆布なんかも入れて、トロ火で二時間くらい茹でればそれでよし。このベースさえあれば、後はどこかで旨味をプラスすればいいわけで。例えば今の季節であれば、あさり。とさらに例えば豚肉とトマトを小鍋に入れてある程度煮詰まったら、人数分の鶏ガラスープを入れればよし。例えば味付けはナンプラーと塩で。
そんで時には店がラーメンの屋台みたくなったりね・・・。
そもそも「・・・ラーメンってまず自分ちで作らないし、あんま食べないし」というひとも今回聞いてみるとけっこう多い。やっぱりインスタントが多いのだろうし、カップ麺派も多いのだろう。そりゃ俺だってよく分かる。でもせめてインスタント麺でもオキニの器で食べて欲しいなぁ。そんくらいの余裕が自他ともに欲しいなぁ。だってそうじゃないとうちやってけないもん。そんな世の中であってほしいなぁ。じゃなかったら、ユキヒラごとずるずる喰って鍋縁からスープすすってあちいあちい言いながら喰ってほしいなぁ。
でもラーメンのスープ作るのって、こだわらなければほんとハズかしいくらいに簡単なんだけどなー。しかしまたこういうことを書くと、「なんだか偉いですねぇ、なにしろすごいですねぇ、だってだってスープから作っちゃうんですもんねぇ」とほとんどほめ殺しの刑みたいなものにあったりするのだけど、たぶんほんとはその辺の意識みたいものから少しでも分かってもらいつつ変えていかないと、本当の意味でモノだって売れないのかもしれないし、何事もダメなのかもしれないなぁ。や、だって今の時代モノを買うのって、ただただモノそのものを買うのではなくって、その背後に存在するものごと買う感じだものね。そーゆーの、ストーリー性つうの?
でもだからつっていまの世の中、いわゆるライフスタイルショップ、ライフスタイルマガジンは多いけれども、なんだか圧倒的に形だけのものが多いでしょ。ナチュラルふるゆわ系の残り火つうか。でもさ、俺ときみのライフスタイルなんて俺ときみにしか分かるわけねーじゃんか。アイニードトゥビーマイセルフ。いや、アイニードトゥマイラーメン鉢。だってどこの店もラーメンのスープの作り方やらオキニのラーメン鉢なんて提案してくれないじゃないっすか。んじゃあ俺やきみはどうしたらいいんすか。それこそが俺らのライフスタイルなんじゃないっすか。
でもつくづく思うけど、この国では毎日のようにさまざまな料理本が出版されているし、日々全国の料理家の方々がそれはそれはまるでミリ単位を求める繊細な探検家のごとくレシピの研究をされていて、自分だってその点ではとても助かっているのだけど、でもだからこそみんな最初から正解を求め過ぎてる気がする。別に料理なんて、特に自分たちで作って食べる料理なんて、そもそも正解は無いと思うんだけどなー。「ある日突然、となりに住むおじさんから今朝釣ったばかりの鯛をまるごと一匹いただいちゃいました。さぁどうしましょうどうしましょう。まぁしょうがないからいろいろやってみましょうよ。間違ったら、そして試してみてあまりに美味しかったら、今度は自分たちでもう一度買って作って食べようよ」くらいの感じ。もしくは「あれ? 昔かあちゃんが作ってくれたあれの料理の味ってこんな感じだっけ? ・・・うーん、作ってみたら、ちょっと違うけど、まぁうまいからいいじゃないですか」くらいのくだけた感じというか。最初から正解を求め過ぎると、もう二度と使わないナツメッグやらワインビネガーなんぞの瓶がただただ残り増えてしまうのは周知の事実。最初から正解を求めすぎないこと。それはなにも料理の話だけでは無くって、例えば生き方なんかにも通じる話だと思うんですけどね。
というわけで、明日木曜もオープン、展示会は4月3日まで続きます。
2016年3月27日日曜日
『すすれ!一日一麺!ラーメン鉢の展示会2016』
ただいま店内では『すすれ!一日一麺!ラーメン鉢の展示会2016』が開催中。
つるつるもちもちと書きなぐられたすさまじくマイ麺なイラスト&デザインを手がけてくれたのは、いつもの“SUPER8”上妻勇太君。
お店をやるようになってうつわを扱ったり、いやそのまえから自分でうつわを買っていた時から、なかなか好みのラーメン鉢に巡り会わないなぁと思っていた。それじゃあこの際、いろんな方々に創っていただいたらどうなのよ?という主旨から始まったこの企画。
「んんん? それってただの思いつきなんじゃ・・・」と突っ込んだそこのきみっ!企画なんてのは思いつきが勝負じゃないんだよっ!思いついてからどう実現するかが勝負なんだよっ!思いつくのは夢でも猿でもできんだよっ!・・・なーんてゲスにどこかに呟いてますが、いやいや、ほんとの勝負は思いついて実現して成功させるまでだってばさ。そんなの当たり前の話だっつーの。だ、か、ら。頼むよ、そこのきみも。世にまみれたフリンフリンなネタはひとまずほおっておいて、して自分の胸にしっかと手を当ててしっかと正直になってあんなしらばっくれたファッキンSNSなんてまずはやめちゃってさ、とにかくこの展示会に足を運んでくださいな。今年コケたら来年できないんだよ?それでもいいの?ね?
まぁそんなことはどうでもいいのだけど、とにかくこの展示会中は始終、店の台所でラーメンを作っていて、鶏ガラを茹でる手を休めたことがない。まぁラーメンなんてインスタントでも十分美味しいのはこのクールなジャポンに住んでる自分だって十分承知も承知なんだけど・・・いや、違うな。そういえばいま想い出したけど、大学の頃に仲が良かった友達が「インスタントラーメンってさ、ラーメンって名前に付くけど、でもあれは正直言って本物のラーメンとは別モノだよな。あれはあくまで“インスタントな“ラーメンであって、本物のラーメンではないんだよ」と呟いてたなぁ。おれはあん時、そうか、だからこいつは俺より女にモテんのか、なんてことは思いはしなかったが、なんというかそれはたしかにそうかもしれんと感心してしまった。だってほら、本物のイチゴとストロベリー味って違うじゃないの。でも別段そこに誰もモンクは言わない“ストレイト・ノー・チェイサー”な世の中じゃないの。考えてみればどうせおれらが住んでる世界なんてフェイクもフェイク。身近に触れれる機会が多いのがほぼフェイクであって、んじゃ歩いて3分のあそこのコンビニエンスストアに置いてあるすべての商品のなかにどれだけフェイクじゃないものがあるっつうの?あれはパンのような「なにか」だし、サンドイッチのような「なにか」だし、ラーメンのような「なにか」でしょ?店員さんだって店員さんのような「なにか」かもしれないよ?
いや、別にこの話に結論はないのだ。だって例えばマルタイの某ラーメンやらチキンなおれらがチキンな気分なときに必要なあのラーメンだって鬼のようにうまいことをオトナな俺の舌はもう知ってしまっているんだからな。でもそれとは別に俺は手作りの本当のうまさも鶏ガラスウプの優しい味も知っているし、もしきみが知らないんだったらば、少しは知っていてほしいなぁというだけなんだ。だってラーメンだってうつわだってもしかしたらばひとにだって、フェイクとホンモノがあるのかもしれないよ?きっとそこにこそ、一考の余地があり得るこのお先薄暗げな2016なんじゃあないのかい?
・・・なんてことをつらつら考えつつ、ずるずるずるずるずるっとラーメン鉢の展示会は4月3日まで続くのです。
つるつるもちもちと書きなぐられたすさまじくマイ麺なイラスト&デザインを手がけてくれたのは、いつもの“SUPER8”上妻勇太君。
お店をやるようになってうつわを扱ったり、いやそのまえから自分でうつわを買っていた時から、なかなか好みのラーメン鉢に巡り会わないなぁと思っていた。それじゃあこの際、いろんな方々に創っていただいたらどうなのよ?という主旨から始まったこの企画。
「んんん? それってただの思いつきなんじゃ・・・」と突っ込んだそこのきみっ!企画なんてのは思いつきが勝負じゃないんだよっ!思いついてからどう実現するかが勝負なんだよっ!思いつくのは夢でも猿でもできんだよっ!・・・なーんてゲスにどこかに呟いてますが、いやいや、ほんとの勝負は思いついて実現して成功させるまでだってばさ。そんなの当たり前の話だっつーの。だ、か、ら。頼むよ、そこのきみも。世にまみれたフリンフリンなネタはひとまずほおっておいて、して自分の胸にしっかと手を当ててしっかと正直になってあんなしらばっくれたファッキンSNSなんてまずはやめちゃってさ、とにかくこの展示会に足を運んでくださいな。今年コケたら来年できないんだよ?それでもいいの?ね?
まぁそんなことはどうでもいいのだけど、とにかくこの展示会中は始終、店の台所でラーメンを作っていて、鶏ガラを茹でる手を休めたことがない。まぁラーメンなんてインスタントでも十分美味しいのはこのクールなジャポンに住んでる自分だって十分承知も承知なんだけど・・・いや、違うな。そういえばいま想い出したけど、大学の頃に仲が良かった友達が「インスタントラーメンってさ、ラーメンって名前に付くけど、でもあれは正直言って本物のラーメンとは別モノだよな。あれはあくまで“インスタントな“ラーメンであって、本物のラーメンではないんだよ」と呟いてたなぁ。おれはあん時、そうか、だからこいつは俺より女にモテんのか、なんてことは思いはしなかったが、なんというかそれはたしかにそうかもしれんと感心してしまった。だってほら、本物のイチゴとストロベリー味って違うじゃないの。でも別段そこに誰もモンクは言わない“ストレイト・ノー・チェイサー”な世の中じゃないの。考えてみればどうせおれらが住んでる世界なんてフェイクもフェイク。身近に触れれる機会が多いのがほぼフェイクであって、んじゃ歩いて3分のあそこのコンビニエンスストアに置いてあるすべての商品のなかにどれだけフェイクじゃないものがあるっつうの?あれはパンのような「なにか」だし、サンドイッチのような「なにか」だし、ラーメンのような「なにか」でしょ?店員さんだって店員さんのような「なにか」かもしれないよ?
いや、別にこの話に結論はないのだ。だって例えばマルタイの某ラーメンやらチキンなおれらがチキンな気分なときに必要なあのラーメンだって鬼のようにうまいことをオトナな俺の舌はもう知ってしまっているんだからな。でもそれとは別に俺は手作りの本当のうまさも鶏ガラスウプの優しい味も知っているし、もしきみが知らないんだったらば、少しは知っていてほしいなぁというだけなんだ。だってラーメンだってうつわだってもしかしたらばひとにだって、フェイクとホンモノがあるのかもしれないよ?きっとそこにこそ、一考の余地があり得るこのお先薄暗げな2016なんじゃあないのかい?
・・・なんてことをつらつら考えつつ、ずるずるずるずるずるっとラーメン鉢の展示会は4月3日まで続くのです。
2016年2月15日月曜日
『megumi tsukazaki』の世界
・・・とまぁ商売に関係のない話ばっかしても仕方ないので、現在『NATSUKO SAKURAI』さんのジュエリーとともに展示させていただいている『megumi tsukazaki』さんの作品のご紹介でも。

塚崎愛さんは横浜にてオリジナルの硝子の釉薬などを使いながら、主にジュエリーベースやら小箱、アクセサリーなどを創作されている。写真を観てわかるように、独特の透明感と質感を、硝子の釉薬によって創り出す。「水のような 空気のような 静かな陶」がコンセプトであり、作品それぞれにそのコンセプトを反映した作品名が付けられていて、なんというか、それがより彼女の世界観を色濃く映し出している。

貫入というひびと気泡が美しい「水滴小箱」(5000円+TAX)

底の水滴がとても雅な「水滴ぐいのみ」(3500円+TAX)

ネックレスがからみにくい技も小粋な「水たまり小道」(3000円〜+TAX)
「アーティスティック」・・・なんて、ひとことで書いてしまえば、途端にそれはつまらなく、そしてきっと遠いそっけない存在になってしまう。が、彼女の作品たちはあくまでもう少し自然で、積極的な抽象性のようなものを打ち出す。そこが親しみやすさに繋がっている気もする。きっと創作するうえで、あえて偶然や自然の要素も強く意識していて、結局のところ、だからこそ、ひとが創り出したものというよりも、自然が創り出したもののようにも見えてしまう。例えば、永年、川の激流、緩流によってえぐられ削られた岩だとか、日々の雨風や風化によって形作られた壁や石だとか。「形作ること」と「形作られること」のその間、あくまで流れゆく水に逆らわず身を委ね、それ丸ごとを敢えて対象としてしまうような、まぁひとことでいうと、奥ゆかし懐かしい感じというか、それはきっと「根源的」といっていいとおもう。きっと。

水に浸っているような一輪挿し「水になりゆく花うつわ」(4000円〜+TAX)

ごつごつ感が愉しい「土飾り」(ペア4500円+TAX)

載せたアクセサリーを惹きたてる「糸雨」(3000円〜+TAX)
それぞれの作品の儚い美しさももちろんさることながら、その総合的な世界観の構築と打ち出し方に感心する。自分の世界観を丸ごと自らプロデュースしながらも、しっかりとパックして世に問うのはなかなか難しい。創り手のひとでも、それをできないひとは多い。そこにはいわば自らのストーリー性が必要だし、何よりそれを支える自らのセンスが必要になってくる。陶磁器を使った作品と聞いて、やはり誰もが普通考えるのが「器」なはず。それはそれで構わないけど、でも自分が本当に創りたいと想ったものが「器」じゃなかったらとしたら、果たしてどうすればいいのだろう。だからといって道が無いわけではない、ということを塚崎さんの作品を見ていると想うし、道無き道をあえて創ろうとするその姿勢に強く共感する。

こんがりとした焼き色がなんだか美味しそうな「万年雪」(5000円+TAX)

存在感のあるテクスチャーが光る「土飾り(シングル)」(4500円+TAX)

ちょいグロがたまらない「ろ過小箱」(5000円+TAX)

新作のろうそく「結蝋」(3200円〜+TAX)
・・・と偉ぶっていってますが、僕はまだ残念ながらご本人にお会いしたこともなく、今回はジュエリーの桜井さんのご紹介で初めて作品を通して知った。これはとてもうちの店にとっては極めて珍しいパターンだ。というのも、基本は作品を実際にこの二つの目でまず観て、できれば創り手に実際にお会いして双方納得して、そして大概はお互い盛り上がったうえで、作品を取り扱わせていただくことがほとんどだから。でも今回はジュエリーの桜井さんからオススメがあって、そこを信用したうえでのある意味チャレンジであった。だからこそ、本当にこういう出会いは嬉しい。
作品はなかなか好評に受け入れられている。そうだろうなぁ。うちの店のお客様であれば、このラインは必ず好きなはずだ。というか、まず俺がこんなにも好きなのだからなぁ・・・とうそぶきながら、イヤリングなんぞを付けてみては満足している店主なのであった。

男子にもいける「長方形」イヤリング(4500円+TAX)

塚崎愛さんは横浜にてオリジナルの硝子の釉薬などを使いながら、主にジュエリーベースやら小箱、アクセサリーなどを創作されている。写真を観てわかるように、独特の透明感と質感を、硝子の釉薬によって創り出す。「水のような 空気のような 静かな陶」がコンセプトであり、作品それぞれにそのコンセプトを反映した作品名が付けられていて、なんというか、それがより彼女の世界観を色濃く映し出している。

貫入というひびと気泡が美しい「水滴小箱」(5000円+TAX)

底の水滴がとても雅な「水滴ぐいのみ」(3500円+TAX)

ネックレスがからみにくい技も小粋な「水たまり小道」(3000円〜+TAX)
「アーティスティック」・・・なんて、ひとことで書いてしまえば、途端にそれはつまらなく、そしてきっと遠いそっけない存在になってしまう。が、彼女の作品たちはあくまでもう少し自然で、積極的な抽象性のようなものを打ち出す。そこが親しみやすさに繋がっている気もする。きっと創作するうえで、あえて偶然や自然の要素も強く意識していて、結局のところ、だからこそ、ひとが創り出したものというよりも、自然が創り出したもののようにも見えてしまう。例えば、永年、川の激流、緩流によってえぐられ削られた岩だとか、日々の雨風や風化によって形作られた壁や石だとか。「形作ること」と「形作られること」のその間、あくまで流れゆく水に逆らわず身を委ね、それ丸ごとを敢えて対象としてしまうような、まぁひとことでいうと、奥ゆかし懐かしい感じというか、それはきっと「根源的」といっていいとおもう。きっと。

水に浸っているような一輪挿し「水になりゆく花うつわ」(4000円〜+TAX)

ごつごつ感が愉しい「土飾り」(ペア4500円+TAX)

載せたアクセサリーを惹きたてる「糸雨」(3000円〜+TAX)
それぞれの作品の儚い美しさももちろんさることながら、その総合的な世界観の構築と打ち出し方に感心する。自分の世界観を丸ごと自らプロデュースしながらも、しっかりとパックして世に問うのはなかなか難しい。創り手のひとでも、それをできないひとは多い。そこにはいわば自らのストーリー性が必要だし、何よりそれを支える自らのセンスが必要になってくる。陶磁器を使った作品と聞いて、やはり誰もが普通考えるのが「器」なはず。それはそれで構わないけど、でも自分が本当に創りたいと想ったものが「器」じゃなかったらとしたら、果たしてどうすればいいのだろう。だからといって道が無いわけではない、ということを塚崎さんの作品を見ていると想うし、道無き道をあえて創ろうとするその姿勢に強く共感する。

こんがりとした焼き色がなんだか美味しそうな「万年雪」(5000円+TAX)

存在感のあるテクスチャーが光る「土飾り(シングル)」(4500円+TAX)

ちょいグロがたまらない「ろ過小箱」(5000円+TAX)

新作のろうそく「結蝋」(3200円〜+TAX)
・・・と偉ぶっていってますが、僕はまだ残念ながらご本人にお会いしたこともなく、今回はジュエリーの桜井さんのご紹介で初めて作品を通して知った。これはとてもうちの店にとっては極めて珍しいパターンだ。というのも、基本は作品を実際にこの二つの目でまず観て、できれば創り手に実際にお会いして双方納得して、そして大概はお互い盛り上がったうえで、作品を取り扱わせていただくことがほとんどだから。でも今回はジュエリーの桜井さんからオススメがあって、そこを信用したうえでのある意味チャレンジであった。だからこそ、本当にこういう出会いは嬉しい。
作品はなかなか好評に受け入れられている。そうだろうなぁ。うちの店のお客様であれば、このラインは必ず好きなはずだ。というか、まず俺がこんなにも好きなのだからなぁ・・・とうそぶきながら、イヤリングなんぞを付けてみては満足している店主なのであった。

男子にもいける「長方形」イヤリング(4500円+TAX)
2016年2月3日水曜日
『1998年の宇多田ヒカル』
・・・とまぁそんな宣伝めいたことばっかり書いていても仕方ないから、最近読んだ本のことでも。『1998年の宇多田ヒカル』という、現在巷の一部では「預言書」と言われている、かなり売れてる一冊。
といっても、一部で話題だから買って読んだわけではなくて、そもそも僕はこの宇野維正さんという映画・音楽ジャーナリストが昔から好きで、この方が雑誌『ロッキングオン』に居た頃からのファンだった。初めて本を書いたと聞いて、何はなくとも手に入れて読んだというわけだ。日本ではそれこそ小説家なんかには「好きな作家」という位置があるけども、なかなか純粋にライターで「好きな書き手」というのは少ないような気がするので(正直自分でもそんなに居ない)、まぁ珍しいことなのかもしれない。
1998年というのは、CDが日本で一番売れた年。そして宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみという、1998年から現在も突っ走り続けている歌手たちがデビューした年。彼女たち同士の、実はなかなか濃い相関関係(特に宇多田ヒカルと椎名林檎の濃い関係は知らなかった)、彼女たちの当たり前すぎて忘れがちともいえるそれぞれの偉大さ、そして2016年現在から俯瞰して見えてくる音楽業界の在り方なんかが、とても読みやすい文章で、書き手の想い入れをできるだけ削ぐかのような落ち着いた文章で(でも内に秘めた熱い想いはそのままに)記してある。当時の渋谷系や小沢健二のことについても触れていて、ついこないだ復帰ツアーを宣言したオザケン、そしてついに今年NHKの朝ドラ主題歌で復帰を果たす宇多田ヒカルのニュースと見事にリンクした、つまりはオドロキの「預言書」というわけだ。元々書き手はどちらの情報ともリークしていなかったそうなので、これは本当に凄いことだと思う。流れが起こる時には、こうやって本当にすべてが繋がって起こってしまうのだから。ウワサ通り、2016年は「音楽の年」になるかもしれない。というか、自分は根っからの宇多田好きなので、ただただ本当に嬉しい。
「あれから 僕たちは 何かを 信じてこれたかなぁ」。この本でも引用されているけど、スマップの、スガシカオのこの歌詞がぐるぐると脳裏をめぐる。読んでみると、みんなそれぞれ感じることがあるだろうけど、僕自身のことでいうと、やっぱり今現在、この地方における音楽とかカルチャーの在り方について、つい考えてしまった。1998年と2016年現在。20年近くのなかで、過ぎ去ったものと、もう元に戻らないもの。ここ熊本で、1995年に2フロアでオープンしたあの眩しいタワーレコードが閉店したのが2011年。ちょっとキーを叩いてみるだけで、熊本のタワレコが無くなったことを、現在でも嘆いているひとがいかに多いかということに驚く。いまやこの街の小さな音楽ショップもだんだん無くなり、もうほとんどここはカルチャー砂漠状態。アナログレコードブームなどと言って喜んでいるひともいるけれど、本当にそうなのか。どうも店とお客さんがきちんと定期的にキャッチボールをしながら、日々うごめいていくような本物の流れではない気がする。少なくとも、ここにおいては。少なくとも、僕の考えでは。いまに、いやもうそうなってるだろうけど、「CD?それってなんですか?」という世代も出て来てるだろうし、「基本、音楽なんて買うもんじゃないでしょ」という話にこれからますますなっていくはず。1998年のあの狂騒を知るものにとって、そんななかで出来得ることはなんなのだろうか?そもそもそんなことが、まだあるのだろうか?
・・・というか、本当にこの地にカルチャーは無いのだろうか。ようく考えてみると、無いことは無いのだ。僕の周りにだって小さいながらもそれはある。例えば「TSUTAYA」におけるレンタル落ちDVD、CD漁りの中に。例えば『長崎書店』全体とその情報豊富なDM置き場に。例えば日々僕が更新する『vertigo』のFBの文章に。例えば友人でもあり仕事仲間でもある上妻勇太君のすべての活動のなかに。例えば近所の花屋さん『AYANAS』の寺原君が主催する音楽イベント『CURIOUS』のなかに。
ただし、それはあくまで局所的なものだ。全体としてはカルチャー砂漠状態こそがこの2016年の地方の現実、現状であって、それはもう仕方のないこと。状況そのものを嘆いても仕方ない。きっと話はそこから、なのだ。そしてそんななかで自分自身も雑貨店というものを商いしていかなければならない。そのことを改めてキモに命じよう。この本も宇多田ヒカルの復帰によって、この2016年のシーンがどう変わるのかが危惧されつつ終わっている。というわけで、今年はうちの店自身もカルチャーの発信が多めになるような気がしているのです。
といっても、一部で話題だから買って読んだわけではなくて、そもそも僕はこの宇野維正さんという映画・音楽ジャーナリストが昔から好きで、この方が雑誌『ロッキングオン』に居た頃からのファンだった。初めて本を書いたと聞いて、何はなくとも手に入れて読んだというわけだ。日本ではそれこそ小説家なんかには「好きな作家」という位置があるけども、なかなか純粋にライターで「好きな書き手」というのは少ないような気がするので(正直自分でもそんなに居ない)、まぁ珍しいことなのかもしれない。
1998年というのは、CDが日本で一番売れた年。そして宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみという、1998年から現在も突っ走り続けている歌手たちがデビューした年。彼女たち同士の、実はなかなか濃い相関関係(特に宇多田ヒカルと椎名林檎の濃い関係は知らなかった)、彼女たちの当たり前すぎて忘れがちともいえるそれぞれの偉大さ、そして2016年現在から俯瞰して見えてくる音楽業界の在り方なんかが、とても読みやすい文章で、書き手の想い入れをできるだけ削ぐかのような落ち着いた文章で(でも内に秘めた熱い想いはそのままに)記してある。当時の渋谷系や小沢健二のことについても触れていて、ついこないだ復帰ツアーを宣言したオザケン、そしてついに今年NHKの朝ドラ主題歌で復帰を果たす宇多田ヒカルのニュースと見事にリンクした、つまりはオドロキの「預言書」というわけだ。元々書き手はどちらの情報ともリークしていなかったそうなので、これは本当に凄いことだと思う。流れが起こる時には、こうやって本当にすべてが繋がって起こってしまうのだから。ウワサ通り、2016年は「音楽の年」になるかもしれない。というか、自分は根っからの宇多田好きなので、ただただ本当に嬉しい。
「あれから 僕たちは 何かを 信じてこれたかなぁ」。この本でも引用されているけど、スマップの、スガシカオのこの歌詞がぐるぐると脳裏をめぐる。読んでみると、みんなそれぞれ感じることがあるだろうけど、僕自身のことでいうと、やっぱり今現在、この地方における音楽とかカルチャーの在り方について、つい考えてしまった。1998年と2016年現在。20年近くのなかで、過ぎ去ったものと、もう元に戻らないもの。ここ熊本で、1995年に2フロアでオープンしたあの眩しいタワーレコードが閉店したのが2011年。ちょっとキーを叩いてみるだけで、熊本のタワレコが無くなったことを、現在でも嘆いているひとがいかに多いかということに驚く。いまやこの街の小さな音楽ショップもだんだん無くなり、もうほとんどここはカルチャー砂漠状態。アナログレコードブームなどと言って喜んでいるひともいるけれど、本当にそうなのか。どうも店とお客さんがきちんと定期的にキャッチボールをしながら、日々うごめいていくような本物の流れではない気がする。少なくとも、ここにおいては。少なくとも、僕の考えでは。いまに、いやもうそうなってるだろうけど、「CD?それってなんですか?」という世代も出て来てるだろうし、「基本、音楽なんて買うもんじゃないでしょ」という話にこれからますますなっていくはず。1998年のあの狂騒を知るものにとって、そんななかで出来得ることはなんなのだろうか?そもそもそんなことが、まだあるのだろうか?
・・・というか、本当にこの地にカルチャーは無いのだろうか。ようく考えてみると、無いことは無いのだ。僕の周りにだって小さいながらもそれはある。例えば「TSUTAYA」におけるレンタル落ちDVD、CD漁りの中に。例えば『長崎書店』全体とその情報豊富なDM置き場に。例えば日々僕が更新する『vertigo』のFBの文章に。例えば友人でもあり仕事仲間でもある上妻勇太君のすべての活動のなかに。例えば近所の花屋さん『AYANAS』の寺原君が主催する音楽イベント『CURIOUS』のなかに。
ただし、それはあくまで局所的なものだ。全体としてはカルチャー砂漠状態こそがこの2016年の地方の現実、現状であって、それはもう仕方のないこと。状況そのものを嘆いても仕方ない。きっと話はそこから、なのだ。そしてそんななかで自分自身も雑貨店というものを商いしていかなければならない。そのことを改めてキモに命じよう。この本も宇多田ヒカルの復帰によって、この2016年のシーンがどう変わるのかが危惧されつつ終わっている。というわけで、今年はうちの店自身もカルチャーの発信が多めになるような気がしているのです。
2016年1月31日日曜日
『NATSUKO SAKURAI』のジュエリー
…とまぁ本質的なことばかりを書いていてもあんまりウケも良くないみたいなんで、現在展示させていただいている作品をご紹介。今回はジュエリーと陶磁器作品のコラボということで、まずはジュエリーの方の『NATSUKO SAKURAI』さんの作品たちから。

まぁいつもフェイスブックをチェックしていただいている方ですと、写真や文章も繰り返しの部分もあるかもしれませんが、ブログの方がやっぱりきちんと残るし、写真も大きいし、たくさん載るし、文章だってしっかり書ける。そしてそろそろ毎日の更新もフェイスブックに頼るのもどうかなぁと感じているので、これからいろいろ変化があるかもしれません。
今回はなんといってもこの辺のイヤーカフがおすすめ。お値段もお手頃だし、わざわざ耳に穴をぶち明ける必要もナッシン。だけどできるだけたくさん付けた方がよりかわゆし。このね、たくさんあるうちからどれをどう選んでどう付けて行くか、というのも実にあなたのセンスが試されるようで愉しいわけでありますね。
写真上:上からイヤーカフ 7000円、9000円(セット)、12000円(パール)、ピアス:9000円(セット)、写真下:イヤーカフ 7000円、12000円(セット)※すべて+TAX


そして昨年も好評だった羽のピアスももちろんのこと届いております。こちらはガラスのケースに入っていて、ただ単に飾っておいてもそりゃいとかわゆし。
イヤーカフ:16000円、 ピアス:10000円 ※すべて+TAX


第二弾として届いたのが天然石シリーズ。これまたまさに女泣かせの逸品たち。
いや、僕は男なんで分からないけど、これはどう見ても女泣かせであろうという作品たちなのですよ。まぁそれは実際にこのジュエリーをご覧になるお客様たちの目を見れば分かります。もうそりゃばっちしハート形になっとる。ちなみに上からパール、サファイヤマルチ、ラピス、サンゴ。こちらはすべて10金であります。
※すべて16000円+TAX




そんでもってこちらはダイヤの原石。うーん、これは綺麗ですね。自分はダイヤの原石って初めて見ましたが、なんだか素朴な美しさで大変個人的に好きです。こーゆーの分かってくれる女性がいいなぁ。んで、下はブラウンダイヤ。こちらのみ18金となります。・・・それにしてもジュエリーって撮影が難しい。まぁ専門のカメラマンがいるほどですからね。これほんと実際の方が美しいので気になる方はぜひ実際に観て来てください。
原石ネックレス:22000円、ブラウンダイヤネックレス:42000円 ※すべて+TAX


こちらのシリーズもかなり好評で、もう売れてしまってる分もあります。天然石がたくさん付いたネックレスとピアス。名付けて「Kumonoito」シリーズ。これはもう女性的な瞬発力がある感じというか、「うわっ」と来ちゃったらもうヤバい感じのラインですね。ピアスは左右両方ついてます。
Kumonoitoピアス:28000円、ネックレス:42000円※すべて+TAX



もちろん載せきれていない分もかなりあります。ぜひとも実際に見に来られてくださいね。
僕自身、なぜ野良犬めいた漢がこんな煌びやかなジュエリーを扱うのだろう、と自問するところもあるのですが、でも『NATSUKO SAKURAI』さんのジュエリーは男の僕から見てもまさに探していたラインのアクセサリーであって。いや、だって、同意してくれる男のひともいると思うんですけど、なかなか「ちょうどいいアクセサリー」が無いんですよね。あるんだろうけど、じゃあどこに買いに行けばいいかというと難しい。あまりにチープ過ぎず、きちんとしたそのひとなりのデザインセンスが反映されていて、オトナの女性が満足出来るようなアクセサリー。もちろんあるのだろうけど、ジュエリーと聞くだけであまりに高すぎるものもあったりして。
それとジュエリーにも当たり前にトレンドなんかがあって、男だからこそそういうのを知っておきたいな、と思うのも扱う理由のひとつ。男性だからこそ、そういうトレンドを知っておいて方が絶対いい。だって例えば、プレゼントってあげるそのひとのセンスがまるごと試される、ある意味恐い部分があると思うんですよね。だからなんとなく普段からいろんなジュエリーを見ておくのはとても大事かと。男性が女性にジュエリーあげるときに、慌ててどっかのデパートのジュエリー売り場にしか行けないなんて(もちろんそれもいいですけど)ちょっと悲しいというか。ということで、ぜひ男性の方々にも今回のジュエリーは見て欲しいのであります。今回の展示は2月14日(日)までです。

まぁいつもフェイスブックをチェックしていただいている方ですと、写真や文章も繰り返しの部分もあるかもしれませんが、ブログの方がやっぱりきちんと残るし、写真も大きいし、たくさん載るし、文章だってしっかり書ける。そしてそろそろ毎日の更新もフェイスブックに頼るのもどうかなぁと感じているので、これからいろいろ変化があるかもしれません。
今回はなんといってもこの辺のイヤーカフがおすすめ。お値段もお手頃だし、わざわざ耳に穴をぶち明ける必要もナッシン。だけどできるだけたくさん付けた方がよりかわゆし。このね、たくさんあるうちからどれをどう選んでどう付けて行くか、というのも実にあなたのセンスが試されるようで愉しいわけでありますね。
写真上:上からイヤーカフ 7000円、9000円(セット)、12000円(パール)、ピアス:9000円(セット)、写真下:イヤーカフ 7000円、12000円(セット)※すべて+TAX


そして昨年も好評だった羽のピアスももちろんのこと届いております。こちらはガラスのケースに入っていて、ただ単に飾っておいてもそりゃいとかわゆし。
イヤーカフ:16000円、 ピアス:10000円 ※すべて+TAX


第二弾として届いたのが天然石シリーズ。これまたまさに女泣かせの逸品たち。
いや、僕は男なんで分からないけど、これはどう見ても女泣かせであろうという作品たちなのですよ。まぁそれは実際にこのジュエリーをご覧になるお客様たちの目を見れば分かります。もうそりゃばっちしハート形になっとる。ちなみに上からパール、サファイヤマルチ、ラピス、サンゴ。こちらはすべて10金であります。
※すべて16000円+TAX




そんでもってこちらはダイヤの原石。うーん、これは綺麗ですね。自分はダイヤの原石って初めて見ましたが、なんだか素朴な美しさで大変個人的に好きです。こーゆーの分かってくれる女性がいいなぁ。んで、下はブラウンダイヤ。こちらのみ18金となります。・・・それにしてもジュエリーって撮影が難しい。まぁ専門のカメラマンがいるほどですからね。これほんと実際の方が美しいので気になる方はぜひ実際に観て来てください。
原石ネックレス:22000円、ブラウンダイヤネックレス:42000円 ※すべて+TAX


こちらのシリーズもかなり好評で、もう売れてしまってる分もあります。天然石がたくさん付いたネックレスとピアス。名付けて「Kumonoito」シリーズ。これはもう女性的な瞬発力がある感じというか、「うわっ」と来ちゃったらもうヤバい感じのラインですね。ピアスは左右両方ついてます。
Kumonoitoピアス:28000円、ネックレス:42000円※すべて+TAX



もちろん載せきれていない分もかなりあります。ぜひとも実際に見に来られてくださいね。
僕自身、なぜ野良犬めいた漢がこんな煌びやかなジュエリーを扱うのだろう、と自問するところもあるのですが、でも『NATSUKO SAKURAI』さんのジュエリーは男の僕から見てもまさに探していたラインのアクセサリーであって。いや、だって、同意してくれる男のひともいると思うんですけど、なかなか「ちょうどいいアクセサリー」が無いんですよね。あるんだろうけど、じゃあどこに買いに行けばいいかというと難しい。あまりにチープ過ぎず、きちんとしたそのひとなりのデザインセンスが反映されていて、オトナの女性が満足出来るようなアクセサリー。もちろんあるのだろうけど、ジュエリーと聞くだけであまりに高すぎるものもあったりして。
それとジュエリーにも当たり前にトレンドなんかがあって、男だからこそそういうのを知っておきたいな、と思うのも扱う理由のひとつ。男性だからこそ、そういうトレンドを知っておいて方が絶対いい。だって例えば、プレゼントってあげるそのひとのセンスがまるごと試される、ある意味恐い部分があると思うんですよね。だからなんとなく普段からいろんなジュエリーを見ておくのはとても大事かと。男性が女性にジュエリーあげるときに、慌ててどっかのデパートのジュエリー売り場にしか行けないなんて(もちろんそれもいいですけど)ちょっと悲しいというか。ということで、ぜひ男性の方々にも今回のジュエリーは見て欲しいのであります。今回の展示は2月14日(日)までです。
2016年1月27日水曜日
俺のすべて
前回アップした『xocol(ショコル)』のチョコレート、なかなか好評で嬉しい。
というわけで、2016年も始まって1ヶ月近く経とうとしているわけだが、今年はもうちょっとこういう文章をこまめに書いて行こうと思っている。「こういう文章」というのが、果たしてどういう文章なのか説明が難しいのだけども、まぁ店をやっていくうえでの蛇足、いや個人的な戯れ言のようなものというか。
最近個人的にとても気になるのが『BIG LOVE』という東京のクソかっこいいレコード屋さん。もう姿勢からなにからナニまでかっこ良い。いつもチェックしている音楽サイト『the sign magazine』のインタビューで知ったのだけど、店をやっていくうえで勝手にとても勇気づけられた。店をやっているひとたちは、実はみんな日々月々年々いろいろあるはずで、ほんとはいろんなところでそれなりにこういう風に勇気づけられていたりするのだろうけど、でもそんな話はついぞ聞いたり読んだりした試しがあまりない。なんでだろう? それを明かすのがかっこ悪いからか、単に忙しすぎるからか。
いつだかもそういうことを書いたと思うのだけど、やっぱり自分のような店、つまりはかなり個人的なラインを押し通して店をやっているような人間は、どうしてもアンダーグラウンドな方向になりがちだ。それはやっている本人が好むと好まざるに関わらず、自分のやり方にどうしてもこだわりつつ、想うところを想うようにやっていけば、自ずとそのひとの影のようなものが出てしまう。その影こそ、アンダーグラウンド。だがその影こそ、俺のすべて。俺だってこれまで、たくさんのそんな影ある店たちを愛してきた。ああ、今すぐにでも飛んで行きたい西荻窪『ぷあん』(土、日のカオソイ目当てでもいい)、笹塚にあった今は亡き『M'S CURRY』(これまでもこれからも生涯でいちばん美味しかったであろうカレー)、最初惚れすぎて入れなかった岡山の『cafe moyau』(次店でもある『fuzkue(フヅクエ)』にはまだ行けていない)、熊本だったらこないだまであった蕎麦屋の『森山』だって店の親父の影が大有りだった(バイトをわざと怒鳴りつける親父が苦手なひとは多かった)。今だったらシャワー通りのスペインバル『エルカスティーヨ』なんか大いに影があって実に愛している(こないだ行ったばっかじゃん)。うーん、なぜか飲食店しか思い浮かばないな・・・。
まぁどの店もやっている人間の色濃い影がどうにも落ちている店で、たぶんソリが合わない人は一度行ってから行かなくなるようなタイプの店なのかもしれない。そしてきっと、うちの店もどちらかというとそういう店なのだろうなぁとやっている自分でも感じている。そもそも自分の好きなものしか取り扱わないと言い張ったって、「でもそれはお前の趣味でしょ?」と問われたらば「うん、そうかもね!」としか返答出来ないし(たぶん即答する)、まぁともあれ自分がかっこ良いと想えばそれがすべて善しであるし、あなたがそれをかっこ良いかと想うかどうかは僕にはてんでわからないし、だがしかしそれをすべてのひとがノンといえば当たり前に僕の首が自然に絞まっていくという、考えてみると世の当たり前の仕組みである。でもメイクマネはメイクマネ。ライオンだって草食動物の周りを生涯離れられない(自分はライオンなんかじゃなくって野良猫くらいだが)。だがしかし、ほんとはその仕組みこそが普通のはずだよね。中途半端くらいに気に入ってるものなんて、わざわざ自分でプレゼンしたくなんかないよ。それは少なくとも自分のやることじゃない。
ただね、やっぱりそうは言ってもこれは砂漠に水を卷くような、厳しい戦いなのです。どんな店であれ、そういう部分はあるだろうけど、たまに(いや常に)途方に暮れてしまう時がある。どこまでいってもひとりぼっちなのだなぁ、と素直に納得してしまう。時代的にいっても、相手はマスじゃなくって、個人。インディヴィジュアル。どうにかしてひとりひとりをこちらのセカイに引っ張り込んで行く、果てのない作業。だからといって、場所を呪ってはいけない。そこの持ち場でやっていけないような君や僕だったらば、きっとどこに行ってもおんなじだろうから。逃げても逃げても逃げても逃げても、自分の影だけはどこまでもついてくるだろうから。ということで、冒頭にあげたインタビューのこんな文章が俺には俄然引っかかってきた、のだな(といいながら、勝手に引用する。すみません)。
『・・・前までは、エリアスに『〈サマソニ〉出るんだよね?』って言って怒られたのと一緒で、好きなことをやって有名になればそれが一番いい、と思ってたんです。けど、今はアンダーグラウンドのままでも世の中にアピールは出来る。〈ダイス〉とか〈セイクレッド・ボーンズ〉っていうレーベルがあるんですけど、やっぱり自分のスタイルは一切変えなかったり。『よし、メジャー行くぞ』みたいなのが昔はあったと思うんですけど、それがない。多少はあると思うんですけど。』
『・・・でも、(日本は)誰もサポートしないじゃないですか? そう思いますね、本当に。金にならなきゃ、っていうのが基本的にあるんで。若い子もわかってないじゃないですか? 親に言わせると、『それは金になるのか? まずは食えるようになってからやれ』とか言われると思うんですけど、『それじゃ駄目だよ、逆なんだよ』って外人に話すとよく言われるんです。彼らはその価値観が本当にわからない、みたいなことを言う。だから、『あ、俺、間違えてないな』って。食えなくてもやった方がいいんだな、と思いますけど(笑)」 』
まぁアングラかどうかなんて、誰が決めんだ、いや俺が決めんだ、おいだったらどうでもいいじゃん、なのかもしれないけど、問題は姿勢だと思うんだ。姿勢。しせい。市井。・・・ん? いや、そりゃ誰だって守らなければいけないものはある。こんな俺にだって、例外無くそれはある。もうトシだし、そんなこと言ってられない。でもギリギリのところまではやっぱり戦いたい。10人からなんとなく愛される店よか、2~3人にどうしようもなく性懲りも無く愛される店がいい。そして願わくば、自分や店がどこかに行ってしまったとき、その影が遺ればいい。そしてその影が次の影へと引き継がれればいい。自分が店を始めたあの時、そして途方に暮れたまさしくこの時、いろんな店の影にこうやって自分が励まされたように。自分が考える店というのは、まさにそういうものなんだけど。
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