自分が岡山へ初めて行ったのは、数年前。
熊本の地方紙の取材で、岡山市内と倉敷を観光協会の方々とともに周り、おすすめのお店なんかを紹介してもらいました。
その時から岡山を気に入ってしまい、現在に至ります。
そもそも熊本に住んでいる自分が、なぜ縁もゆかりもない「岡山」という土地にピンポイントに惹かれるのか。
今回の出張はそれを確かめるための旅でもありました。
前回も書いた、独自のセンスで全国の器を紹介する『アートスペース油亀』、
地元児島から出てきた古道具をアヴァンギャルドに展開する『womb brocante(ウームブロカント)』、
もはや雑貨店という枠を超え、ひとつのメディアとなって、全国の手仕事をつぶさに、丁寧に追いかける『倉敷意匠計画室』の『アチブランチ』、
オリジナルのノートをはじめ、行けば必ず何かを買いたくなる『富士商店』、
・・・などなど、もちろんまだまだあるのでしょうが、これらの店に行くだけでも十分交通費の元は取れる、と確信できる数々のショップがあるのはやはり魅力のひとつ。
ただ、それだけではなく、今回痛切に感じたのは、岡山という場所の(特に倉敷という場所の)、“絶妙な生活感”のようなもの。観光地でありながら、地元の人々の生活が所々に息づいていて、とても自然に観光地と地元の人々が繫がっているあの感じ。そこが素晴らしいなと。その心地よさこそを、この地から自分は前から感じ取っていたのかもしれない、と。
倉敷のど真ん中にある焼き鳥屋さんに「観光地だから高いのかな・・・」なんて心配して入ったら、地元の人たちで満員で安くて美味しいし、古い家屋を上手に使った店が多くてなんだかほっとするし。歴史を感じさせる建物がズラリと立ち並ぶなかで、庶民の生活がいちいち感じられるから、旅行者も身近な気持ちで街に接することができるというか(ほら、へたに観光地に行くと、モノや食べ物がいやに高かったりして、いかにも必要以上に観光客として扱われて、なんだか頬をはたかれるような感覚ってあるじゃないですか。あれがないんですよね)。
あと、これは個人的な感覚かもしれないけど、どこの店でも看板が茶目っ気があっていちいちかわいい。だから、歩いててぜんぜん飽きない。これも岡山を気に入った理由のひとつかもしれません。
あるひとつの店が、モノやサービスを提供するだけではなくて、とある土地を気に入って紹介したり、薦める。それはちょっと不思議なことかもしれませんが、考えてみるととても自然なことのようにも思えます。どんな人だって一足外に出れば旅行者なのだし、自分と肌の合うような心地よい場所を求め、彷徨うこと(そして時にそこに移り住んだりさえすること)は、たぶんこれからいろんな人にとって、もっと必要になっていく気がするからです。
wいつの間にかhpとblogが出来てますね。
返信削除初コメント、ありがとうございます。写真、勝手に使わせていただいてます。雑貨の店はまだ準備中なので、こっそりやってます。ということで、こっそりとよろしくお願いします。
返信削除ああ、君かw
削除