2014年9月23日火曜日

雑記(取材とかについて)




 最近よくひとから「いつも展示会をされていますよね。すごいですね」というようなことを言われる。でもその実、ひとが来ているかというとそうでもなく、だからまぁこういう文章も書けているわけで、正直いうと展示会によっては「うーん」という場合も少なくない。いや、ひらたくいうと、数字が取れないことも多々ある。というか、何より歯がゆいのは、こちらが思っているほどその商品の素晴らしさとか熱が伝わっていないのでは・・・ということだ。その想いをなんとか伝えようと、展示会のたんびに自分でDMを創ったり、あるときは映像を撮ってPVを創ったり、日々Facebookで更新したりするのだけども、どうも「伝わっている実感」が少ない。ずっしりと腹に来ない。これはやる側からすると本当にこたえる。萎える。いじける。そうやってビールの空き缶とワインの空き瓶が毎日毎日増えていく。まぁまだお店も一年目なので当たり前かもしれないけど、そろそろ「打ち出し方」を考えなければいけない時期かもしれない。

 「打ち出し方」といえば、そりゃまぁ取材についての話になるのかもしれない。オープンして、いくつか取材の話が来たけども、なんとかお断りしてきた。し、一度は地方のテレビの取材がなかば強引に入ろうとして、まさに突然目の前にカメラが回り始めたけど、それもなかば強引に蹴った(でもあれはとても失礼な取材方法だったといまでも思うし、いかにもテレビだから出ればいいじゃん的なノリに腹が立った)。結構友人とかお客様にも取材を受けないと公言してきたので、たぶんそれなりにそれなりな思われ方をしているのだろうなぁとぼんやり思う。

 ただ、ここでしっかり書いておくと、僕もこの仕事の以前は編集、ライターをやっていた人間だ。つまり取材を打診し、行う側だったということ。いろんなパターンの仕事があるけども、どうしてもどうしてもしたい仕事、やりたい企画、巻き込みたい人々、ということに対してはその熱を伝えようとあれこれやってきたし、ダメなら口説こうと何回も何回も通ってそのひとや店を好きになった。人に何かを伝えるのが仕事ならば、まずはその熱を相手に伝えて理解してもらうのが仕事のはじまりじゃないのかなぁとぼんやり思うのだ。これを傲慢と取るか頑固と取るか、そりゃそうだ当たり前に普通の話じゃんかと取るかはそれぞれだろうけども、僕には至極当然の話のように思える(そういえばいま展示会をやらせてもらっている『そら植物園』の清順さんも同じようなことを言っていたから嬉しかった)。といって、ただただ取材を受けたくらいでそうそう変わることもないのが結局は事実なのかもしれない。そこももしかすると取材をしていた側の人間なので、過度に何かを期待しすぎなのかもしれないなぁとも思う。

 でもまぁとにかくそんな頑なことを言っていると難しいこともあるということだ。わざわざひっそりとひとが集まらないような方法を取っているのだからそれは当たり前だ。その辺のバランスはとても難しい。それはあたかも、最初に煌びやかで確かな志を持った尖ったロックバンドが、売れるためにだんだん分かりやすくメロディアスになっていき、当初の尖りがなくなり丸ーくなって最初のコアなファンがガッカリする…みたいな構図に似ているのかもしれない(最近リチャード・アシュクロフト率いる「the verve」の初期をよく聴いているのでそのことばかり考える)。ま、なんにしても大切なのは、大事なキーワードはきっと「伝えること」だろうと思っている。それだけは分かっているつもりなのだけど。

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